ホーローの旅
レポート238 晩秋の若狭の海へ
2010.11.6-7
岐阜県坂祝町~岐阜市~滋賀県東近江市~高島市~福井県敦賀市~若狭町~小浜市
11月の日本海が見たくなった。
荒れ狂う、吼えるような海じゃなくて、冬が来る直前の穏やかな海の景色だ…とくれば、気持ちは山陰に行ってしまうが、彼の地が持つ鉛色の暗さよりも、やはり明るいイメージだよなぁ…というわけで、若狭の海を目指すことになった。
更に、時間もたっぷりある。初日は敦賀までの行程をみちくさしながら下道で行くことにした。
岐阜県坂祝町の金鳥看板屋敷を“定点観測”し、看板(6枚もの金鳥が貼られている)の無事を確かめ、岐阜市内に向かう。
適当に走っていると、「日通プロパン」や「LPガス容器置場」の看板が貼られた錆色に染まったコンクリートブロックの物置を見つけた。
「火氣厳禁」や「係員以外立入禁止」などといういわゆる“標語看板”も貼ってあるが、これまでこうした看板は積極的に撮ってこなかった。
しかし、昨今の状況を見ると、(撮っておこうかな…)という気になってしまう。いずれこうした看板が消えていくのも時間の問題だからだ。
さて、岐阜から若狭を目指すルートは、米原経由で琵琶湖大橋を渡り、比良山系を左手に見ながら琵琶湖の西岸を北上することにした。
途中で投稿者のKiteさんに教えていただいた五個荘町の酒屋に道草し、盃型の地酒看板「清酒香の泉」をカメラに収めた。
残念なことに、この酒屋には自販機の陰に「イズミイチ醤油」の看板も隠れていた。
大阪府の醸造メーカーだが、これまでに大阪府と滋賀県内で2枚しか見つけていないから貴重な看板だともいえる。
琵琶湖大橋を渡り、高島市から今津町、マキノ町と北上をする。看板は「富士ヨット学生服」を見つけたぐらいで撃沈状態。もっぱら酒蔵の写真を撮りながら進んだ。
西日が傾きだした頃に県境を越え、敦賀市に着いた。
出張時にJR北陸本線の車窓からいつも見ていた「金鳥」と「キンチョール」を撮影できたのは、長年の宿題をやり遂げたような気がしてうれしかった。
翌朝、晩秋の快晴の空が広がった敦賀から小浜市を目指した。
過去に何度もホーロー探検をしているルートだが、手段を変えると新鮮である。
今回は、若狭地方にある6つの酒蔵を辿りながら、あわよくば琺瑯看板との遭遇を期待している。
若狭湾につながる小さな運河のほとりに建つ鳥浜酒造は、大正9年に「我らの酒を造ろう」という地元民が集って設立した蔵である。
銘柄は「加茂榮」。蔵に併設された売店コーナーに看板が置かれていた。 地元では琺瑯看板を使った広告宣伝にも力を入れていたようで、2005年に電柱に貼られた看板と、廃業した酒屋に残された看板を2枚見つけている。
6つある酒蔵のうち、美浜町の若狭菊酒造と小浜市の若狭井酒造はすでになくなっており、蔵が建っていたと思われる場所が更地になっていた。
何度もレポートで書いているが、この1~2年で酒蔵の廃業が加速度的になり、いつも旅先でチェックしている5年前のリストではまったく用を足さなくなった。
酒蔵の話ばかりだが、美浜町の早瀬浦にある三宅彦右衛門酒造は、おだやな若狭の海を背景にした小さな漁村の集落の中に静かにたたずんでいた。
狭い道でハンドルを切れずに、クルマをこすってしまうというオマケがついたが、白い漆喰と黒板の調和が美しい享保3年(1718年)創業の蔵に、歴史の重みを感じてしばし見とれてしまった。
さて、ホーロー探検のほうはこれといった目新しい発見もなく、「味の素」の屋敷や「ニッサン石鹸大販売店」の看板が貼られた商店の無事を確認しただけにとどまった。
新たなお宝を見つけることは、途方もなく難しく思えるようになってきた。
酒蔵ばかりでなく、“琺瑯看板がある風景”もいずれは消えていく運命である。“思い出”という記憶にとどめるだけでなく、記録に残していく作業もピッチを上げて進めたい。
私のライフワークはいつまでも続かないと思うからだ。
帰路は、薄いブルーに染まった穏やかな海を眺めながら三方五湖を回り、11月の日本海が見たいという思いを叶えることができた。
若狭の海が冬の曇天と同じ鉛色になってしまう季節は、すぐそこまで来ている。
(2011.2.20記)
※画像上/滋賀県高島市マキノ町の吉田酒造。古い町並みの一角に歴史の重みを発散させながら建っていた。銘柄は「竹生島」。琵琶湖に浮かぶ小島である。
※画像中/福井県三方郡三浜町の早瀬浦の道。漁村特有の狭い道を歩くと、景色が広がり三宅彦右衛門酒造に出た。
※画像下/小浜市内の古い町並みを歩く。
※宿泊/ホテルセレクトイン敦賀(福井県敦賀市) 素泊まり4700円 ☆☆☆☆★ 朝食付き。夕食にカレーライスのサービスもある。