琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート241 再び冬の京都へ、青春18きっぷの旅

2011.1.22
京都府京都市


探検レポート241

青春18きっぷを使った冬の旅。暮れに続いて再び京都にやってきた。
京都駅前で相棒を組み立て、加茂川に沿った川端道路を北上する。
整備された歩道をのんびりと散歩するお年寄りや、河川敷でキャッチボールを楽しむ父子が、それぞれの時間の中で小春日和の一日を満喫しているようだ。
出町柳駅からしばらく走って、目的の看板商店の前に立った。
古い町並みが軒を並べる京都にあって、比較的新しい家が多いこの界隈には、そこだけがエアポケットのようなレトロな空気が流れていた。
看板は全部で6枚。ポピュラーなアイテムがほとんどだが、「ヤマイズミたまり・しょうゆ」は初見タイプだけにうれしい。 Google地図ストリートビューで確認したところ、実は、この商店から目と鼻の先にオロナミンCの看板が映っていたが、実際に訪れてみると、すでにはがされた白い跡がむなしく残っているだけだった。
Googleのデータはそんなに古くはないと思うが、どうやらタッチの差だったかもしれない。
“一人自転車探検隊”は加茂川を渡り烏丸通りを西に向かう。今日の目的は壬生エリアを中心に仁丹町名看板を探すつもりだ。

探検レポート241

京都でホーロー探検を始めて間がない頃は、いたるところに目につく仁丹の町名看板を適当に撮っているだけで、地図上にプロットしてこなかった。
後で反省することになるが、同じ場所にある看板を何度も撮ってしまうおろかさに気づき、思わず苦笑している。
さて、数年前の情報では800枚近く確認されている仁丹看板も、年々減少の一途を辿っている。
昨年には減少に歯止めをかけることと看板の保全を目的に森下仁丹の協力で「仁丹看板復活プロジェクト」が立ち上がった。
昨年は手始めに、書家の手で丁寧に書かれた看板が京都の辻に25枚が貼られたそうだ。
レトロなものに価値を見出す偏屈なホーローマニアの僕としては、こうした試みはうれしい反面、心情は大いに複雑。
戦前に貼られた看板と新しいモノが混ざり合ってしまうことが気になって仕方がないのだ。
今はピカピカでも、数年も経てば見分けが付かなくなることが心配なのだ(そんなこと思っているのは、私だけかもしれないけど)。
二条駅から南下し、壬生エリアに入る。新撰組の屯所があった界隈は、京都らしさを感じる年季が入った町家が並び、とりわけ古さを感じる建物には「松原牛乳」の箱が忘れられたようにかかっていた。
仁丹看板はそんな風景に同化するようにひっそりと貼られていた。
相棒にまたがっては降りて、一枚一枚撮っていく。そして地図に赤ペンでプロットしていく…。なんとも地味な作業だが、これもホーロー探検の楽しみの一つだ。

探検レポート241

壬生から更に南下した入り組んだ道で、いかにも“匂う”酒屋を見つけた。店の屋号を大きく書いた看板の陰に、「力正宗」の組看板が隠れていた。
(ホーロー看板を探している物好きじゃなけゃ、見つけられないだろうなぁ…)などと思いながら、すっきりしない角度からしか写せない看板をカメラに収めた。
ダブリも何枚かありそうだが、この日に見つけた仁丹看板は51枚。
1日の発見枚数としても満足の数字だった。 午後4時を回ると、肌を刺すような冷たい風が吹いた。
手袋を通してもハンドルを握る指先がかじかんでくる。
マフラーを二重に巻いて、一気にペダルを漕いだ。 まだまだ、冬は続く。
(2011.4.15記)
※画像上/壬生界隈。京都らしさを残す町並みがある一角。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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