ホーローの旅
レポート243 冬晴れの和歌山街道を行く
2011.2.26
三重県伊勢市~松阪市~津市
伊勢自動車道を多気インターで下りて鳥羽への道を進むと、目に鮮やかな一点の曇りもない紺碧の空が広がった。
伊勢市二見町江(ごう)の集落は、海岸から北に向かって一直線に伸びる細道を辿った場所にある。
クルマがすれ違えないような道幅では駐車もできず、集落の外れにある脇道に止め、カメラを首から下げて足早に来た道を戻った。
古い木造家屋が両脇に連なる集落は、規模が小さいながらもなかなかの雰囲気。一言でいえば、お宝の匂いがプンプンするのである。
レンガ造りの煙突と蔵を従えた大きな木造家屋の玄関には思った通りお宝が貼られていた。鍾馗(しょうき)さんを探して全国を行脚しているKiteさんから教えていただいた物件である。
以前は醤油の醸造をやっていたのであろうか。蔵独特のツンとするすえた匂いは漂ってこないが、建物の正面にある空き地には一升瓶を入れる木箱が積まれており、ここが醤油蔵であったことが推測できた。
看板は山吹色の「ぢヒット」と「トッピンカン」の2枚。およそ醤油蔵には似つかわしくないが、伊勢地方独特の「笑門」の札がついた〆縄飾りがかけられた玄関には、派手な看板にもかかわらずよく同化していた。
江の集落からは飯高町を目指して北上する。二見町の旅館街を抜ける途中で、真珠漬本舗の本社に寄った。
しかし、日曜とあって門は閉ざされていた。前回訪ねたときも休日だったので、いまだに真珠漬の看板の話が聞けずじまいだ。
というのは、以前、この会社に対して看板についての問い合わせメールを送ったことがあったが、返信もなく、それ以後ずっと気になっていたからだ。
東海から中国地方にかけての鉄道沿いに今でも残る真珠漬の看板は、その大きさや種類の豊富さもあって、興味をそそるシロモノである。
「れとろ看板写真館」のさとうさんの情報では、北海道にも貼られた事実が分かっており、その積極的な広告戦略を探る上で、広域に貼られた分布を調べていく作業は興味深い。
櫛田川沿いに広がる松阪市飯高町に入ると、和歌山街道と呼ばれる旧道が続いていた。
かつてのお伊勢参りの旅人や、紀州藩主が江戸と和歌山の間を参勤交代で行き来した道である。
集落ごとに宿場が置かれていたようで、宮前(滝野)、七日市、波瀬といった集落にはそれぞれに本陣が設けられ、今でも当時の面影が色濃く残っている。
宮前集落のすでに廃業した酒屋で見つけた「菊露養命酒」は、菊の花を模った丸型の看板が素晴らしい。
本家の養命酒とは無関係のようだが、ネットで調べても実態は分からなかった。(註1) 晴れてはいるが底冷えがする集落の道をのんびりと歩くと、「セキネの自転車」のホーロー看板が貼られた家屋があり、更にその向かいの廃屋には「犬に糞をさせないで」のハリガミがあった。
平和で、ほのぼのとした風景のひとコマを切り取ったようで、何だか幸せな気分になってくるのが不思議だった。
これは最奥の集落である波瀬でも同じで、「菅公シャツ」の看板が貼られた道から古い町並みが連なる集落に入っていくと、竹ほうきで玄関口を掃いていたおばあちゃんから「どこから来なさったの?」と声をかけられた。
じっとしていると体の芯まで寒さが入り込んでくるような、人の姿もない静かな集落で、ほわっと暖かい温もりに触れた気分だった。
夕暮れが近づき、この日の締めは榊原温泉近くの看板を撮影して打ち切りにしたが、雲ひとつない青空の下で一日中過ごせたことが印象的な探検となった。
海が目の前の二見町で嗅いだ潮の香りや、和歌山街道に揺れる、枯れたススキの匂い…そろそろ三寒四温の春がくる。
(2011.9.16記)
※画像上/伊勢市二見町江の集落。クルマがすれ違えないような集落を貫く道に、古い町並みが軒を並べる。
※画像中/和歌山街道が通る松阪市(旧飯高町)宮前の集落で見つけた廃屋。よく見ると“犬に糞をさせないで”のハリガミが…。
※画像下/ネコがじっとコチラを見ていた。
※(註1)松阪市新町にあった、西井久兵衛商店(西井醸造、西井酒造)が製造していた薬用酒。命名は不老長寿の菊の露にちなんだ。昭和30年代後半頃までは、製造販売されていたようだ。(2016年 伊沢隆司さん情報)