ホーローの旅
レポート258 サクラ咲く、京都・大阪ぶらり旅
2012.4.7-8
兵庫県宝塚市~大阪府大阪市~京都府京都市~八幡市~大阪府大阪市~京都府京都市
2枚残した青春18切符を使った最後の旅は、やっぱり大阪、京都。
予測はしていたが、4月10日で期限が切れる18切符と、桜の見ごろと重なる週末とくれば、人出が多いに決まっている…更に言うと、京都方面である。
もう目茶苦茶の状況となることは分かっていた。 案の定、JR東海道本線の名古屋~米原間の快速電車1時間半は立ちっぱなし。乗り継いだ明石行き快速も京都まで座れなかった。
ということは、3時間ずっと立っていたわけだ。ほとほと新幹線代をケチっての貧乏旅に嫌気がさしたが、まぁ、こんなことも長くホーローの旅をしていれば、ありえることである。
というわけで、サクラ満開の大阪、京都を目指すホーローの旅が始まった。
まずは尼崎から乗り継いで、宝塚へ。目的はただひとつ。とある神社の参道にあるローソクの看板を撮ることだ。
「おかめローソク」の看板は、2006年に東大阪市の神社の参道にあるローソク店で撮っているが、宝塚の看板は初見の別バージョンなのだ。
参道にあることは分かっていたので、すぐに見つかると思っていたが、さにあらず。
参道を往復して3軒ほどあったローソク店で店主に尋ねてまで確認したが、結局分からずじまいだった。
諦めて蕎麦でも食べて帰ろうと思い、念のため関東在住のホーロー看板マニアのTMさんに電話をすると、参道の中腹のローソーク店にあるはずだという返答。
もしや、お店が休業ではないかと思い再び登り返してみると、その予想はピタリと当った。
ローソク・仏具の屋号や店の看板も出ていないので、まったく気づかなかったわけだ。
ようやく目的の看板を撮影して満ち足りた気分で参道を下りることができた。
午後からは再び大阪駅に戻り、前回撮り残した千林の仁丹町名看板を訪ねた。
その勢いで大阪市内には珍しい金鳥ペアがある看板屋敷を撮影し、更にバスに乗って大東町まで足を延ばして仁丹看板を撮ることができた。
翌日の探検で追加した1枚を加えると、これで大阪市内に残る仁丹看板のほとんどを訪ねることが出来たわけだ。
他人から見れば思いっきり滑稽な行動に映るだろうが、この努力、ホーロー看板に魅せられた同好の方には分かってもらえると…思う。いや、思いたい。
このところの探検は、勝手に下町ホーローウォーキングと称して、もっぱら歩くことを主眼にするスタイルが気に入っている。
歩数計をいつもズボンのポケットに忍ばせ、今日はどれだけ歩いたか、デジタル表示を見てニヤついている。
まったく単純なのだが、こういうのも習慣となると、もう当たり前の世界なのだ。
歩数計はすでに体の一部分になってしまっているので、もちろん、毎日の出勤時にも忘れない。
自宅に置き忘れた日には計測できない不満に、一日中残念がっているわけだ。
この日も京橋から京阪本線に乗って淀(京都市)で下りると、歩き始めから歩数計の表示をチェックしていた。
淀川の堤防に沿った道を歩数計を気にしながら、投稿者のおとんさんに教えていただいた「ビクターカラーテレビ」の看板を撮影し、再び往路を戻る。
暮れなずむ淀川の残照が美しく、何度もシャッターを押しながら歩いた。
すっかり暗くなった頃、橋本駅近くにある銭湯「橋本湯」に着いた。
昭和の初めに創業したという老舗の店だが、4代目というご主人が大変気さくな方で、番台に貼られた薬湯の看板を撮りにきたと言うと、私をマスコミ関係者と勘違いしたのか、やおらパンフレットや新聞の切り抜きを出してきて、店の歴史や町の見どころを熱く語るのであった。
ともあれ、歩き疲れた身体には大変心地よいお湯だった。
翌日、いつものように大阪市西成のあいりん地区にある激安宿で目覚めた。
すでに私にとっては定宿状態なので、受付のおじさんに顔を覚えられて、毎回使える割引パスまで貰っている。
この日は鶴橋近くで仁丹の町名看板を撮ってすぐに、環状線に乗り換えて京都伏見に向かった。
JR奈良線稲荷駅で下車し、龍谷大学を横目で見ながら、レンタサイクルを借りる伏見アーバンホテルへ。
伏見での目的は“伏見バージョン”とも言うべき“伏見市”のロゴがある仁丹の町名看板と、同じくここにしかないメンソレータムの町名看板を撮ることである。
2005年に訪ねたときは中途半端に探し撮ってきたが、最近の情報で、これらの看板の消失が相次いでいると聞き、居ても立ってもいられなくなったのだ。
自転車で効率的に回りながら、できれば現存している看板たち全てを救い出したい。
いや、見つけ出したい…そんな気持ちでペダルを漕ぎ出した。
思ったとおり6年前に訪ねた時から町は様変わりしていた。古い町家が取り壊され、改修されたりしていたし、何より京都独特の抹香臭い雰囲気が薄れているような気がした。
龍馬や酒蔵人気がヒートアップしたようで、観光客の低年齢化も進んだのか、商店街のテナントもターゲットが変化して随分と様変わりしたようだ。
そんな町の路地から路地へ、ハンドルを操り、ペダルを漕ぐ。
汗を拭きつつ見つけた収穫は仁丹が11枚、メンソレータムが18枚だった。
消失も数枚確認したが、その昔は町のいたるところに町名看板が貼られていたのだろうと思う。
今更だが、もっと早くホーロー看板に出会っていれば、少しでも多くの最後の姿を記録できたと思うと、残念でならない。
徒歩と自転車でホーロー探検を楽しんだ二日間だったが、何よりも癒されたのが、ちょうど満開となったサクラだった。
どこに行っても彼女たち(サクラは女性的である)が待っていてくれた。
帰りの満員電車のことなど気にならなくなったぐらい、その控えめな色合いと香りに癒された、サクラ咲く、ぶらり旅となった。
(2012.5.12記)
※画像上/大阪市鶴橋近くの小さな公園のサクラ。遅い見ごろを迎えていた。
※画像中/大阪市豊島区の街角風景。小さな祠があった。
※画像中/京都市淀の淀川河川敷。
※画像下/京都府八幡市「橋本湯」。玄関入ってすぐの番台の柱に貼られた看板。戦前からあるようだ。
※宿泊/来山北館。素泊まり2100円。周りの環境はどうかと思うが、コストパフォーマンスが素晴らしい激安宿。大阪での常宿。☆☆☆☆★