ホーローの旅
レポート259 佐渡へ、昭和が残る島 哀愁紀行
2012.5.2-4
新潟県新潟市~佐渡市
稜線に雪を抱いた山が間近に迫ると、冷たい風を切り裂くようにゆっくりとフェリーが接岸した。
逸る気持ちを抑えてタラップを降りる。いよいよ佐渡ヶ島のホーロー探検が始まるのだ。
ここまでの行程が長かった。名古屋から新潟行夜行バスで7時間半。更に佐渡の両津港までフェリーで2時間半。待ち時間を入れると実に13時間をかけてやってきたのだ。
それだけの価値がこの島にあるのか。ホーロー看板ばかりでなく、悠久の歴史や自然、その空気に触れることができるだろうか。
これから過ごす数日が充実した日々になることを祈りながら、一歩を踏み出した。
▼5月2日 両津港編
初日の今日は両津の町をのんびりと歩く計画だ。三日分の着替えと地図、カメラを入れたザックが肩に食い込み、ずしりと重い。
退屈しのぎの文庫本や折り畳み傘、エア枕まで持ってきたのがいけなかったのか、このところ整形外科で通院治療している右腕のしびれが更に悪化しそうだ。
両津の町を南北に貫く旧道を北に向かって歩いていく。
軒を連ねる木造の民家や、店先で干物を売っている鮮魚店や荒物屋に目が奪われる。懐かしい昭和の世界に突然放り込まれたような奇妙な錯覚にとらわれた。
国道350号線に沿って続く旧道はやがて商店街となるが、狙いのホーロー看板はなかなか見つけることができず、レアもののクスリ看板を除くと、わずかに新聞やベンチ看板をカメラに収めただけで終わってしまった。
歩数計の表示も1万歩を超え、そろそろ足が疲れてきた。 思案の末、再び両津港にある観光案内所に戻り、レンタサイクルを借りることにした(2時間500円)。
この自転車はなんと電動自転車というヤツだった。なるほど、ペダルを軽く踏むだけでスイスイと走っていく。
機動力が格段にアップしたこともあり、両津港を中心に走ってみた。
看板はほとんど見つけることができなかったが、「清酒天領盃」を造る天領盃酒造まで足を延ばしたり、醤油蔵、廃業した銭湯跡等を回ることができた。
夕暮れが近づき、スーパーでお惣菜とビールを買い込み、予約していたレンタカーを借りて両津港から南へ7キロほど先の民宿に向かった。
しかし、レンタカー会社の従業員の「県道沿いに看板が出ている」という言葉を鵜呑みにしたのがいけなかったか、すぐに分かると思った民宿の場所が分からず、クルマのナビも宿の電話番号を入れても出てこないという年代モノで、入り口を探して何度も行ったり来たりすることになってしまった。
すっかり暗くなった頃、宿に電話をかけて事なきを得たが、何でも、ご主人の話では、先月の暴風雨で県道の入口に設置していた宿の案内看板が飛ばされたということだった。
更に、レンタカーを借りるときに提出した免許証を返してもらっていないことに気づき、宿まで持ってきてもらうというオマケもついた。
ともあれ、素泊まりの宿にようやく腰を落ち着けることができ、風呂に入ってビールで喉を潤すと、あとは寝るだけとなった。
長い一日だったが、天候にも恵まれた佐渡ヶ島上陸の初日は、ちょっとばかし波乱に暮れていった。
▼5月3日 佐渡ヶ島南部探検編
波の音と交ざり合った一晩中吹き荒れた風雨は、出発の時間となっても一向に止む気配がなかった。
雨具兼用のウインドブレーカーを着込み、海岸線が南に延びる県道にアクセルを踏む。
重く沈んだ空と同じ色に染まった海を見ながら、いかにも寒村といった小さな集落を眺めて走っていく。
対向車もないし、誰も歩いていない。雨は激しく、弱く、そして強くを繰り返して、間断なく落ちてくる。
お宝はそんな天候状態に関係なく、突然現れるからその度に同じ動作を繰り返すことになる。
つまり、クルマから降りる→折りたたみ傘を差す→お宝を撮影する→クルマに戻って濡れた衣服とカメラのレンズについた水滴を拭き取る→見つけたお宝の場所を地図に記入…こんな具合だ。
しかし、うれしいことに悪天はいつまでも続かなかった。
朝昼兼用のパンをかじりながらハンドルを握っていくと、小木の集落を過ぎた頃には清々しいほどの青空に変わっていた。
今日の計画は、内陸部の県道沿いの集落もフォローしながら海岸線を半周し、島一番の町である相川まで走って連泊する民宿へ折り返す予定だ。
これまでの経験値では、看板は錆びて腐食が進む海べりよりも、明らかに山の中の集落に多く残っていることを実感している。
佐渡も例外ではなく、忘れ去られたような山あいの小さな集落でレアな看板を何枚か見つけることができた。
また、海岸沿いの廃業した醤油蔵の工場跡にもその姿はあった。
廃墟のような板壁の建物に、ぽつんと一枚だけ貼られた「マルダイ醤油」の看板は、そのまま朽ちていくのか、それとも取り壊されるのを待っているのか、吹き荒れる風雨の中で存在感を見せていた。
看板ばかりでなく佐渡の風景にも触れておくと、赤泊や宿根木、相川の集落の風景は、“日本に残る稀有な昭和の風景”といっても過言ではない。
時間が止まったような空間に、幼少の頃になじんできたとうに忘れてしまった懐かしい匂いが漂っているのだ。
特に宿根木の集落には、家屋を縫うように入り組んだ路地に立つと、すれ違う住人の人情すら垣間見える雰囲気があった。
真野から相川町の中心部である下戸までは、商店街や家屋も連なり、生活臭を感じるルートだが、そんな一角にも昭和の雰囲気を色濃く残す場所があった。
「オートメオクサマ粉石けん」やオロナミンCの看板は、忘れ去られたような商店の柱にさりげなく貼られていた。
どれだけの人が気づき、この先いつまであるのか分からないが、次回、再訪することがあったら、残っていて欲しいと思う。
▼5月4日 佐渡ヶ島北部探検編
昨日の晴天はほんの束の間の贈り物だったのか、再び雨となった。
今度は風がないだけ、濃霧が立ち込めるコンディションである。
連泊した宿は寝静まっているのか、廊下に出ても物音一つしなかった。部屋の鍵を入口のカウンターにそっと置いて、宿を後にした。
目指すは両津港から北周りの半周ルートである。帰りのフェリーの時間を考えれば、佐渡金山を見学しても昼過ぎには戻ってきたい。それが早朝5時30分からの行動になったわけだ。
まずは“内海府海岸”と呼ばれる島の東側の海岸線を走っていく。
すぐにオロナミンCの後期タイプの看板を見つけ、幸先のよいスタートに思わず顔がほころぶ。
気合の表れとでも言おうか、しかし、結果的にはこの看板が本日の唯一の収穫となってしまった。 二ッ亀や奇岩が連なる外海府海岸を過ぎても一向に霧が晴れることはなかった。
結局、ホーロー看板の姿を見ることなく相川町まで来てしまった。 こうなりゃあ、後は観光しかない…こんなノリで早々にホーロー探検を諦め、佐渡金山を見学し、両津の町に戻ることとなった。
急ぎ足で回った佐渡ヶ島だったが、看板のみならず、自然の美しさや、素朴でノスタルジックな町並みに触れることができた旅となった。
次第に遠ざかっていく山の稜線を背景に、雨に煙る港をフェリーが離れていく。
わずか三日の、朱鷺が棲む哀愁の島旅は終わった。
▼5月2日・4日 番外編 新潟市内&信越本線ホーロー探検
5月2日朝、名古屋からの新潟行き夜行バスが着いたその足で、市内にあるという看板商店(酒屋)を訪ねた。
店に着いてみるとまだ開店前らしく、入口のドア越しにカーテンが垂れていた。
佐渡行きのフェリーの乗船時間までは2時間あるので、再度出直して来ようと思って店を離れたときに、内側からカーテンが開いた。 思わず「ラッキー!」と声を出す。
早速、柔和な顔をしたおかみさんに来意を告げ、快く看板撮影を許してもらう。
この店には、店内の柱周りと外壁に計12枚の看板が貼られ、ただならぬ気配を感じる外観ばかりでなく、さしづめ博物館のような雰囲気が漂っていた。
おかみさんの話では、店に嫁いだ47年前にはすでに看板たちが貼られていたという。
中でも「ブルドックケチャップ」はその希少性を知っている人から、譲って欲しいと何度も言われたそうだ。
写真を撮らせてもらっているうちにご主人も現れ、店内でも飲める酒屋として切り盛りしていた当時の様子や、年々変わっていく町の風景まで話は尽きなかったが、先代から受け継いだものをしっかりと守っていく姿勢には共感することができた。
おそらくこの稀有な看板たちも店が続く限り残ってくれると思う。
さて、新潟でのもうひとつの行動に触れておくと、佐渡から戻った5月4日には、信越本線の新潟駅から見附駅までの区間を往復し、車窓から確認できる看板屋敷を調査した。
帰路は日が沈んですっかり暗くなっていたが、特徴的な金鳥の菱形看板を見逃すことなく、地図にプロットすることができた。
次回再訪の楽しみが倍加する収穫だった。
(2012.6.3記)
※画像上/両津港の玄関口で迎えてくれた佐渡おけさのモニュメント。
※画像中/両津の町を歩くと干物を干した商店が目につく。魚の他にタコやイカもあった。
※画像中/宿根木の集落。小高い丘から俯瞰する。青い空に海が映える。
※画像中/相川の町並み。木造の民家や商店が軒を並べる様子は、懐かしい昭和の世界に戻ってしまった錯覚にとらわれる。
※画像中/奇岩が連なる田切須崎付近の海岸線で。
※画像中/県道45号線のどんづまり沢崎鼻の海岸。名も知らぬ草花が咲いていた。
※画像下/宿根木海岸で。波は穏やかだった。
※宿泊/佐渡庄や(椎泊)素泊り3990円。佐渡の宿泊施設は料金が高い。この宿はその中でもリーズナブルだが、素泊まり主体なので、サービスは期待できない。☆☆★★★