琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート26 兵庫・岡山遠征①~京の都へ

2005.4.30
滋賀県多賀町~彦根市~近江八幡市~京都府京都市~亀岡市~南丹市


探検レポート26

唐突だが「琺瑯看板の黄金密集地帯はどこか?」と問われたとき、「それは京都、兵庫、岡山だ」というフレーズが真っ先に浮かぶ。
おそらくその背景には、「ホーローの旅」(泉麻人・町田忍共著)に、この地方のお宝画像が多く掲載されていることが刷り込まれているが、それ以上に、この三県が持つ独特の雰囲気、うまくいえないが古いものがごく自然に庶民の生活に溶け込んでいる点や、岡山県に限っていうと、横溝正史の「八つ墓村」に出てくるような豪農の旧家や古い町並みに、見るからに珍しい琺瑯看板が隠れていそうな連想をしていたからである。
そんな思いもあって、僕にはずっと特別な固定概念があり、それを確認するためにもいつかは行ってみようという気持ちを持っていた。
そして、待ちに待ったGW。探検隊発足初めての4泊5日の大遠征は、当然のように岡山を目指す旅となった。
4月30日朝、四日市のあんもん宅で集合。ママチャリと折りたたみ自転車、テントなどの幕営道具一式を積み込み、彼の奥さんと犬に見送られて出発した。今日の予定は、琵琶湖の南岸を走り大津に出て、京都市内を横断し、亀岡から県境の町・園部までの探検である。
アプローチは三重県藤原町から鞍掛峠を越えて滋賀県多賀町に出た。多賀町から高宮宿までも、もちろんお宝を見逃さずに、小さな集落といえども覗いていく。中山道を辿るのは二度目だが、前回はメインの街道沿いを通っただけに過ぎず、今回は、当サイトの常連投稿者であるるっちさんの情報を追って、ムヒやキリンビールがある酒屋を訪ねた。
古い宿場町は路地に入るとまるで迷路のようになっており、道が狭く車での通行に苦労するが、目標の酒屋は以外にもすんなりと見つけることができた。
店主に聞くと、ムヒの赤い看板はかれこれ50年ほど貼られているという。「譲って欲しい」という人が訪ねてこないか?と聞くと、「ぜんぜ~ん」という返事。場所が場所だけに、マニアの嗅覚もここまでは及ばないのだろう。

京都の看板商店

旧街道を離れ、国道8号線を南下して、大津より京都に入る。GWとあって交通量も多く、京都市内は観光客でごった返している。
京都初見参の私たちとしては、土地勘もなく情報もそんなに持っていないこともあり、先の旅のことを考えて、今回は上京区を中心に探検することを決める。狙いは戦前からあるという仁丹の町名表示看板と、マニアには有名な北野天満宮付近の看板酒屋だ。
碁盤の目に仕切られた京都の町は狭い路地に入り込むと、車では右折も左折もできなくなるから要注意だ。これに対応するために自転車を積んできたのだ。
そして、ここぞ自転車の登場とばかりに快適に探すことはいいが、意に反して収穫は少ない。情報の少なさがモロに出てしまった。アタリをつけて適当に走っても成果は出ない。 しかし、そんなやり方が僕ら探検隊には似合っているようで、北野天満宮では有名な看板酒屋以外にも、あんもんがファンタのレアものを発見してきた。
行き当たりばったり的な探検隊の成果である。人々の生活の中に、古いものが渾然と混じっている京都は、琺瑯探検にとって意外性の魅力に溢れた町であることを実感した。 夕刻となり京都市内を離れ、亀岡経由で園部へと移動する。
途中の平和堂で晩飯と酒を買い込み、本日のねぐらを探しながらの探検だ。国道から脇道に逸れてひとつづつ集落を潰して行く。そろそろ薄暗くなり始めたころ、小さな集落で食料品店を発見。なんと、レアものの琺瑯看板が軒下に何枚も下がっている。
本日最高の発見である。 フラッシュを焚きながら撮影していると、年配の店主が出てきた。何でも親の代から店をやっているそうで、看板もすでに50年以上経過しているという。
話が弾んで、店主は倉庫から何枚も看板を出してきて見せてくれた。 僕らは思わぬ展開に狂喜して撮り続けた。これぞ琺瑯探検の醍醐味である。これがあるからやめられないのだ。
こうして、岡山への旅の初日が暮れた。山間の集落の丘の上に立つ小学校の校庭でテントを張り、あんもんと今日のお互いの健闘と明日からのがんばりを祝して杯を傾けた。(つづく)
(2005.5.8記)



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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