ホーローの旅
レポート262 梅雨の富山ワンディ探検
2012.6.10
富山県高岡市~石川県羽咋市~富山県氷見市~南砺市~富山市
おそらく、このあたりだろうか…と、線路際に続く狭い道にゆっくりとレンタカーを乗り入れる。
思ったとおり、ドンピシャのタイミングで看板が貼られた民家の前に出た。 富山への出張で、北陸本線を疾走する車窓からいつも見ていた金鳥の菱形看板がそこにあった。
キンチョールと対で板壁に貼られた2枚の看板は、周りの田園風景と見事に調和している。
昭和の終わりごろまでにはどこにでもあったこうした風景は、北陸本線の沿線でさえほとんど見ることができなくなった。
それでも富山県は、北陸三県にあっては比較的多くホーロー看板が残っている県である。それが証拠に、今では滅多に出遭うこともなくなった由美かおるのアース渦巻の楕円形看板や、水原弘のハイアース、浪花千栄子のオロナイン軟膏といったマニアに人気の大塚系の看板も、“昭和が匂う”集落にはまだまだ健在なのだ。
この日もお宝が放つ“匂い”に誘われるまま偶然に飛び込んだ小さな集落で、立て続けに遭遇することになった。
単純なもので、これでずい分と気をよくしてしまう。この後、何の収穫がなくとも、これだけで満足なのだ。
鼻歌交じりでハンドルを握りながら、次の目的地を目指す。
高岡市から能登半島の内陸部を北上していくルートは、忘れた頃に小さな集落がポツリポツリと出てくる程度で、あとは緩やかなカーブを繰り返す鬱蒼とした緑の山の中をひたすら走っていくだけだ。
県境を越え、石川県に入ると今度はどこまでも続く田園地帯。このギャップが能登半島の風景を象徴している。
梅雨に入ったばかりの曇天に時折薄日が差し込むと、用水路を流れる水がキラキラと反射し、しっかりと根付いた稲の青さが目に沁みる。
能登半島を横断するローカル線の線路を渡り、集落の中に入ったところにその店はあった。創業は万延元年というが、いったい何年経っているのかよくわからない。
とにかく江戸時代にできたそのクスリ屋に足を踏み入れると、瞬時に、お宝が放つ独特の“匂い”に包まれてしまう自分を感じた。
店主のおばあちゃんは始終ニコニコした顔で、ずっとこの店を続けてきたことや、先代の店主だったおじいちゃんのこと、能登名物の「がめはり薬」の効能や、以前は今よりもっと賑やかだった駅前の往来の様子など、控えめに、そして朴訥とした語り口で話してくれた。
店内の柱に貼られた「羽二重石鹸」が貼られた顛末は分からず終いだったが、「こんなのもあるよ」と言いながら、倉庫から「ニッサン石鹸」の看板を出してきて見せてくれた。
長くホーロー探検を続けていると、地方ではどうしても胡散臭いよそ者と見られがちで、いきなり看板の撮影をお願いして撮影拒否されたことも少なからずあったが、初対面の緊張感でさえ緩和される、こうした親切な出会いにはほんとうに心が和む。人とのふれ合いはホーロー看板を探すことの醍醐味だと改めて思うのだ。
この日は、雷雨に見舞われたり、青空が出たりという、梅雨に入ったばかりの不安定な天候の中、再び氷見から高岡に戻り、旧福野町や福光町を走り回った。
黄金色にそよぐ麦畑を突っ切った小さな集落にある民家の板壁には、目に鮮やかな赤と黄色のクスリの看板が貼られていた。
路傍に石仏がたたずむ周りの風景も含めて、しっかりと目に焼き付けてきびすを返した。
(2012.8.5記)
※画像上/富山平野の田園風景を象徴するのが麦畑。富山県南部の田園地帯では見慣れた風景である。この日は強風にあおられて大きく揺れていた。
※画像中/古い町並みが残る福野町の商店街を歩く。
※画像下/旧・福光町(現・南砺市)の町並み。造り酒屋や老舗の商店が軒を並べる表通りから、脇道を入ると、クルマが通り抜けできないような路地もある。