ホーローの旅
レポート271 宮城・岩手へ、夏の終わりのみちのく紀行
2012.8.25
宮城県美里町~登米市~栗原市~岩手県一関市~遠野市~奥州市
名著『時刻表2万キロ』を書いた故・宮脇俊三は、公私のけじめに厳しい人だったという。
中央公論社の編集長時代に彼が成し遂げた「国鉄完乗」や「最長片道切符の旅」では、趣味と仕事を完全に切り離し、出張ついでに趣味の電車旅をすることは決してなかった。
たとえ一部であろうとも、会社の金でちゃっかりと自己の欲望を満足させることに、彼の性分が許さなかったのである。
かくいう私も清廉潔白でありたいと思うも、薄給のしがないサラリーマン。
そこまでの境地に達せられないまま、チャンスとばかりに東北出張のついでにホーロー探険を目論む。宮脇俊三とは比較にもならない、小悪党か小市民である(笑)。
東北を訪ねるのは2009年5月以来である。父親の実家が秋田にあるにも関わらず、震災以来気にはなっていても、どうしても東北方面に足を向ける気になれなかった。
しかし、今回の出張がきっかけとなり重い腰を上げさせてくれたようである。
仙台での仕事が終わった金曜、怖いもの見たさで被災地の若林区に立ち寄り、すっかり陽が落ちた東北本線を乗り継ぎ、古川駅前のホテルに投宿した。 3年ぶりの東北探険のスタートである。
▼8月25日
古川駅前で予約していたレンタカーに乗り継ぎ、美里町に向かう。車窓に広がるのは静かな田園風景だ。
震災の痕跡はどこにも見えないが、内陸部の震度は高かったというから、住民の方々はさぞ恐怖の体験をされたのだろうと想像する。
美里町は2007年5月にも訪ねているが、このときは登米を経由して気仙沼に抜けている。今回は一関に向かうルートを築館経由にする。
金鳥ペアとデルモンテトマトケチャップが貼られた屋敷はすぐに見つかった。国道4号線沿いなので、交通量が半端ではなく、クルマを随分遠くに止めて、ひっきりなしに通るクルマの列の隙間を狙って撮影をした。
デルモンテは今年の7月に新潟県内で不完全に露出したものを初めて見つけたが、今回は完全体である。
1961年(昭和36年)、キッコーマンを親会社として設立した日本デルモンテは昭和30年代後半より、ホーロー看板による積極的な広告戦略を行ったようである。
西日本ではこれまで一度も見つけておらず、他サイトによると千葉県でも発見例があり、東日本を中心に広範囲に看板が貼られたようである。
これに気をよくして一関市に向かう。
2005年の町村合併で大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村が合併し、広大な面積を持つ自治体となった一関市であるが、それだけに看板残存率も高く、「大洋煉炭」が貼られた木造の金物屋や、納豆や醤油、地酒の看板が貼られたよろず屋等、ホーロー看板が残る貴重な風景が生きていた。
特に「さくら納豆」が貼られたよろず屋は、田園風景を流れる小川のほとりにあり、それだけでも十分絵になるが、東北の短い夏を象徴する冷んやりした風に乗った稲の匂いと、遠くから聞こえる蝉の声が、更に雰囲気を倍化させていた。
旧・大東町から姥石峠を越えて遠野市に入った。
人も歩いていない山間部の小さな集落にも地酒や醤油の看板が残っており、かつては唯一の宣伝手段だった名残りが見える。
二度目の訪問となる小友町(現・遠野市)の市街地に入った途端、夏祭りに遭遇した。
南北に伸びるほんの500メートルほどのメインロードは、紅白の横断幕とどこから集まってきたのか大勢の人垣に埋め尽くされ、鬼(?)のような鹿の化け物のような面を被った踊り手が、列を作ってお囃子とともに練り歩いていた。
この通りにはレアなクスリの看板が残っており、訪問の目的もその撮影であったが、この騒ぎでは看板を探すこともままならず、しばらく祭りを見物してからクルマに戻った。
ずっと気になっていたので、帰宅してから調べてみると、祭りは巖龍神社例大祭と呼ばれ、鹿踊り(ししおどり)という、人と鹿が一緒になって踊る祭りということだった。
さて、18時過ぎの東北新幹線に乗ることを考えると、そんなにのんびりもできず、ここできびすを返し、水沢、前沢(現・奥州市)を経由して古川駅前に戻ることにした。
武家屋敷が連なる重要伝統的建造物群保存地区の金ヶ崎(現・北上市)には「うた椿」という化粧香料の看板が貼られた雑貨屋があるという情報を得ていたが、時すでに遅し。
店のガラス戸はカーテーン代わりの白いシーツで閉ざされていた。
金ヶ崎には縁がなかったが、同じく情報を辿って訪ねた前沢町(現・奥州市)の郊外にあった看板商店はいかにも東北らしく素朴で、そして素晴らしかった。
開店休業状態の店内に入ると、天井が高い柱には「ナショナル電球」と「ナショナル乾電池」の丸型看板が下がっており、店の外にも塩やビール、「御進物ニハたばこヲ御利用下サイ」というレトロなロゴが描かれた戦前の看板が貼られていた。
「これ、珍しいですね~」と言うと、「うん、うん」と相槌を打ちながら、深いシワが刻まれた店主のお婆ちゃんは、いかにも東北人らしく柔和な表情で、快く撮影を許してくれた。
すでに陽が傾き始めている。遠くに止めたクルマまで、満ち足りた気分で田んぼに続く道を歩くと、いつしか、カエルの合唱が始まっていた。
明日は雨になるだろうか…ふと思いながら、畦道に分け入る。
みちのくの短い夏が、過ぎていく。
(2012.12.23記)
※画像上/岩手県遠野市小友町の巖龍神社の祭礼。鹿踊り。
※画像中/岩手県一関市(旧・大東町)の田園風景。いかにも東北といった緩やかな山と、のどかな田んぼが広がる。
※画像下/奥州市水沢の古い町並みが残る風景。