ホーローの旅
レポート280 近鉄週末フリー切符で行く、冬晴れの関西探検
2013.2.9-10
奈良県明日香村~大和高田市~天理市~奈良市~大阪府大阪市~豊中市~八尾市
週末の二日間が4000円で乗り放題になるフリー切符が近鉄にある。
以前から知ってはいたが、当日購入ができないとか、名古屋から大阪、奈良方面の急行の連絡や本数が少ないこともあって、その利用には踏ん切りがつかないでいた。
しかし、JRの青春18切符の発売が待ちきれない端境期に、どうしても関西方面に行ってみたくなり、思い切って近鉄を使った探検を行うことにした。
▼2月9日
快晴 早朝に自宅を出て、近鉄名古屋から飛鳥へ向かう。
乗り継ぎは伊勢中川、大和八木、橿原神宮前、そして飛鳥まで約4時間の旅である。
新幹線や特急を使えばあっという間だが、そこはプアーな探検隊である。多分に負け惜しみだが、鉄道好きということを建前に、“長く電車に乗れることの楽しみ”に気持ちを置き換えた。
2月と思えないポカポカ陽気の快晴の中、飛鳥駅からウォーキング開始。まず向かったのが、情報を得ていたクスリの看板がある集落。
「ダイスキ」はすぐに見つかった。“すりこみぐすり”とあるところを見ると、塗りクスリのようだが、効能に肩こり、痛み止め、虫さされ、かゆみ止めと書いてある。
万能薬として重宝されてきたのだろうか。ネーミングも秀逸である。
奈良県には製薬メーカーも多く、その名残なのか、小さな集落を歩けば、こうしたレアなクスリの看板が比較的残っている。
“ホーローの華”とも呼ばれるクスリの看板は、収集マニアも多く、私も好きなカテゴリーである。
田舎の農家の納屋に貼られた看板を見つけただけで、胸が高鳴るくらいときめいてしまう。
再び飛鳥駅に戻り、大和高田市を目指す。落ち着きのない細切れ計画であるが、ここでは古い町並みに残る町名看板を撮ることが目的だ。
鮮やかな朱色の丸ポストが残る古い家屋に看板はあった。スポンサーになっている「清酒三笠山」は、すでに廃業した地元の蔵元、村島酒造の銘柄である。
百人一首にも歌われた三笠山は奈良県を代表する名山。その名を付けた銘酒は、ホーロー看板の中に最期の輝きを宿すだけで、今となっては飲むこともできない。
“細切れ計画”探検隊は更に細切れの度を増していく。ここからがフリー切符の真骨頂なのだ。
大和高田から大和八木、更に平端から天理線に乗り継いで天理へ。
乗り継ぎがうまく行けば、最短で39分で到着する行程だが、休日の昼間の時間帯という条件が悪いのか、大和八木と平端での連絡に思いの他かかってしまい、結局、昼飯のタイミングも外してしまう状態で天理に着いた。
天理市では天理教の巨大な施設を横目で見ながら「はれやか」の青地バージョンを撮影し、踵を返した。
朝からの電車移動とウォーキングですでに歩数も1万5千を超えており、昼飯抜きで歩いてきたこともあり、途中で見つけた商店で缶コーヒーでも買おうと商店を除いた瞬間、ヒビっとくるものがあった。
まさに電光石火とはこのこと。 ガラス越に二枚の看板が見え、入口にも資生堂石鹸や仁丹ハミガキのレアな看板が…。
「こんにちは~、偶然通りかかったものですが、そこの看板の写真撮らせてもらいませんか?」
店番のおばあちゃんにいつもの常套句で尋ねる。
人懐っこいおばあちゃんは、「どうぞ、どうぞ」「ウチは古いだけやもんね」と言いながら、「ミツワ石鹸」と「ギアー錨」の看板を布できれいに拭いてくれた。
更に入口にある仁丹ハミガキの看板を撮り終わって店を辞する私に、「あんたさん、紫色の靴履いてるの。教団の人?」と言われてしまった。
理由を聞くと、天理教を象徴するカラーは紫色だという。確かに路上で見かける人たちもお揃いの紫色の半纏を羽織っている人が多かった。
おばあちゃんはそんな理由で連想をしたのだろう。 私が履いている紫色のPumaのスニーカーは確かに50歳を超えたオヤジが履くには勇気がいる色だ。
以前も友人から「派手な色やな~」と言われたことがあり、おばあちゃんの一言にドキリとしてしまった。
天理で見つけたレアな看板と、店主のおばあちゃんとの楽しいやり取で満足しつつ、今度は奈良市に向かう。
これまでにも何度も訪ねた町だが、あえて再訪する目的は市内に残る仁丹の町名看板を撮ることだ。
奈良市の仁丹看板は町名看板に詳しいTMさんのサイト「悠久の思い出」によると、これまでに10枚が確認されている。
奈良市の看板は大阪市と同じ「仁丹歯磨」のロゴが入るが、看板の大きさは大阪タイプと比べても短い。商標は黒色である。
今回はレンタサイクルを使って奈良町を中心に探したが、結果は3枚となった。
2004年以前には「田中町」と「鍋屋町」の町名看板があったが、この2枚は見つからず、消失した可能性がある。
更に近年見つかった「北半田東町」についても消失確認をした。
今回の探検で過去に見つけたものを合わせると、確認できた看板は8枚となった。
▼2月10日
快晴 大阪市西成区のドヤ街にあるいつもの宿で目覚めた。
ドヤ街は逆さまに読むとヤド街。つまり宿のある町のことを指す隠語が一般化したという。
これは最近見た映画『あしたのジョー』の受け売りだが、この映画は東京の山谷のドヤ街が舞台である。
大阪での探検は情報を駆使しての町歩きとなる。昨日の歩数は2万3千歩。今日はそれを上回るだろうか。
まず向かったのは投稿者のなかのさんに教えていただいた金物屋。
早朝とあってシャッターが下りていたが、この店にあったペンチ、タガネ、ノコギリの看板はいずれも初見だった。
カナモノ系の看板はとにかく種類が多いが、それでも初見の看板を見つけるとうれしい。私のホーロー図鑑にまた新しい仲間が加わった。
地下鉄で梅田に出て、阪急宝塚線で豊中に向かう。駅から遠いが、ここにはキンチョールがスポンサーになっている町名看板がある。
といっても情報が古いので、まだ残っているのか不安である。
住宅地の中を心躍らせながら歩くと、目的の看板があった。思わず「ラッキー」と声に出した。
続いてもう一箇所にもあるべきところに貼られていた。 時間と距離、そしてお金を使って訪ねてきた成果である。素直にうれしい。
大阪での最後の探検は八尾市での仁丹看板探しとなった。もちろんフリー切符で向かう。
八尾駅前にある自転車屋でレンタサイクル(1時間200円)を借り、老骨に鞭打って漕いで行く。
町名看板はあるべきところにあるはずなのだが、番地まで分かっていても、なかなか見つからない。
家屋の脇のガスメーターの横にあったり、電柱にあったり、旧家の板壁にあったりとそのロケーションは様々だ。
それでも当初の計画通り、3枚を見つけることができてまずは満足。
自転車を漕いでも歩数計の数字に反映しないが、この日のスコアは1万8千歩になった。
久しぶりによく歩いた二日間だったが、そこは近鉄フリー切符。八尾からの帰路の連絡が悪く、準急や普通電車を乗り継いで、近鉄名古屋に着いたのは5時間後だった。
肩も腰も固まって、しばらくは整形外科のリハビリ通勤になりそうな 予感がした。
次回訪ねることがあれば、特急と新幹線のリッチな旅にしてみたい、とぼんやり思う冬晴れの旅だった。
(2013.4.28記)
※画像上/西区九条。幹線道路から裏道に入ると、亜鉛やネジ、鉄板などの問屋が並ぶ。そんな“硬い町”にも、居酒屋やスナックが並ぶ商店街や、古い酒屋もあっていかにも下町らしい。
※画像中/大和高田の古い町並みに残る丸ポスト。今ではすっかり見られなくなった。いつまでも残してほしい。
※画像中/奈良市郊外の集落を自転車で訪ねると、仁丹看板が残された一角があった。
※画像中/夜が明けたばかりの大阪市西成区。今日も喧騒の一日が始まる。朝日に染まるあべのハルカスを望む。
※画像下/九条周辺には古い商店が並ぶ。
※宿泊/ビジネスホテル福助(大阪市西成区) 素泊まり1600円。和室三畳。激安だが寝るだけなら充分。コストパフォーマンスもいい。大浴場あり。☆☆☆☆★