琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート282 雨の大津百町を歩く

2013.3.10
滋賀県大津市~彦根市


探検レポート282

滋賀県大津市の町おこしの一環として最近注目されているのが、「大津百町」の保存と情報発信のプロジェクトである。
江戸時代に東海道の宿場町として栄えた大津は、百余の町が集まった交易の場で、その賑わいぶりが「大津百町」と呼ばれ、大津の商人たちは町家を舞台に活躍をみせたという。
こうした歴史を後世に残すため、平成13年に町家文化の情報発信基地として大津百町館という資料館ができ、大津の歴史を知る上で人気の観光スポットとなった。
また、平成13年から始まった大津百町プロジェクトでは、旧町名と現町名の表示がされた町名看板(ホーロー製)を設置する事業も始めており、大津を愛する人々の熱意が忍ばれるチャレンジとなっている。
更に、町名看板に目を転じると、地元の人にはあまり知られていないが、大津百町を中心としたエリアには戦前に貼られた仁丹の町名看板も残っており、このところ仁丹看板に傾注している身としては、以前から探検のチャンスを伺っていた。
これまでに大津市内では11枚の仁丹看板が記録されているが、近年になって新たな発見情報もあり、こうなるといてもたってもいられなくなるのは周知の性分である。
前置きが長くなったが、早春の冷たい雨が降る朝、ちょうど一枚残った青春18切符を握りしめて、大津に向かうことにした。

探検レポート282

米原からJR東海道本線の快速を乗り継いで大津駅で下車。
仁丹町名看板を求めて、年末から3月にかけて何度も京都へ通った勝手知ったる路線であるが、大津で降りるのは久しぶりだ。
色とりどりの傘の花が咲く駅前ロータリーから、大津百町の中心部へ向かう。
最初に目指したのは東上栄町の仁丹看板。情報を得ていたのですんなりと見つかったが、商店の軒下を覆うテントシートから顔を半分出しているロケーションだった。
自力ではおそらく見過ごしていただろう。
ここから浜大津までは大津百町のメインストリートとも呼べるルートで、デフォルメした大津百町のロゴがプリントされた平成の町名看板がいたるところで見つかった。
看板によっては旧町名と現町名が配置されているものもあり、デザイン的にも優れているので、おそらくあと何十年も経ったら私のようなホーローマニアが血眼になって探すアイテムになるかもしれない。
平成22年から設置され始めたこの町名看板は、現在も貼られ続けているようなので、単なる町名表示の看板という位置づけではなく、どうせなら百町を象徴する情報発信のツールのひとつになって欲しいと思う。
私が探しているのは仁丹の町名看板であるが、市内に11枚が残っていると一口に言っても簡単には見つからない。
一軒一軒の町家の屋根から壁を舐めるように見ながら歩く。
ようやく見つけた上京町の仁丹看板を撮ってから、大津百町館に立ち寄った。入場無料というのもうれしい。

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ここで百町の旧町名が記載された地図を買い、詰めていた女性にこれから向かう膳所の旧町名に残る仁丹看板について質問。
しかし、この女性は百町にさえ仁丹看板が残っているということは知らないようで、膳所の情報についてはまったく埒があかなかった。
情報はできるだけ多くあったほうがいいので、百町プロジェクトの方で膳所の歴史に詳しい人を紹介してもらうことになった。
結局、識者の人と電話のやり取りをするも私が探している膳所大津町の仁丹看板については、町名そのものがどこにあるかも分からずしまいだった。
じっとしているのももどかしいので、大津から京阪鉄道に乗車して膳所本町に向かうことにした。
駅から北に向かうと古い街並みが残る界隈に出た。
アタリをつけて仁丹看板を探してみるが、どんどん時間が経過するばかりで一向に見つからない。更に雨も激しくなり、靴の中にも沁みてくる始末だった。
砂漠で針を拾うとはこのことである。看板に記載された膳所大津町はどこにあるのか…結局何も分からずに駅に戻ることになった。
再び、大津市内の中心部で看板探しを開始。雨がひどいので、大津百町館があるアーケード商店街の中を行ったり来たり。

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首が痛くなるくらい商店の二階部分を見上げて歩いた甲斐もあって、新規の仁丹看板を発見。
旧町名の上馬場町の仁丹看板は、ちらりとしか見えないマニアックなロケーションに隠れていた。
こうした出会いは、まさにホーロー探検冥利に尽きる。これまでに11枚しかないといわれていた大津市内の仁丹看板に新たな1枚を加えることになった。
雨が染みた靴の気持ち悪さに辟易しながら、この日は夕方まで大津の町を歩いた。
しつこく止まない雨は、弱く、強くを繰り返し、町を灰色に染めていた。
日中だというのに、街灯の光が町家の並ぶ路地を照す。 こうして冬が去っていくのだろうか。
次回、大津を訪ねるときは、明るい日差しを浴びて、まだ見ぬ仁丹の看板を探してみたい。
そんなことを考えながら、濡れた靴下の不快感を忘れようと、足早に大津百町を後にした。
(2013.6.29記)
※画像上/大津百町の代表的な町家が軒を並べる風景。大津市中央一丁目。旧中堀町あたり。昼間だというのに、街灯が灯っていた。
※画像中/京阪鉄道京津線が横切る。上栄町駅あたり。
※画像中/大津百町、船頭町あたりの町並み。軒をくっつけるように町家が並ぶ路地。
※画像下/大津市のマンホール蓋。琵琶湖の観光や行事がデザインされている。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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