ホーローの旅
レポート285 JR東北本線に沿って、看板屋敷探検
2013.5.25
宮城県白石市~福島県国見町~桑折町~宮城県丸森町~角田市~亘理町
田植えが終わったばかりの田んぼを、爽やかな風が吹き抜けていく。
蔵王連峰の碧く伸びる稜線に、白く光る残雪が目にまぶしい。
頭が空っぽになり、心が洗われるようだ。こんな景色をずっと見たかった。
仙台に赴任してひと月が過ぎ、ようやく東北の地でホーロー探検の第一歩を記す時が来た。
レンタカーで仙台駅を出てまず向かったのが釜房湖がある川崎町。更に古い町並みが残る村田町から蔵王町へ。
蔵王町を訪ねたのは2007年に続いて二度目だが、雄大な蔵王連峰を仰ぎ見るばかりで、肝心のホーロー探検は今回も空振りで終わった。
何も見つけられないまま2時間のドライブが過ぎ、白石市に入ってようやくJR東北本線沿いのルートに軌道修正する。
今回の目的は看板屋敷を見つけることにあるが、ネット上の情報によれば白石から福島県国見かけての東北本線沿いにはいくつかの屋敷が残っているようだ。
事前に電車に乗っての下見ができなかったのは残念だが、クルマの車窓からの確認は可能だろうか。
いずれにしても中途半端な探検になるが、お宝の姿を追って、国道から脇道へ、線路脇ぎりぎりのラインを走ってみることにした。
越河駅から県境を越えた貝田駅間は、国道4号線に沿って比較的容易に看板屋敷の確認ができる区間である。
「トーア毛糸」や「ボリショイ菅公学生服」が貼られた屋敷が目に飛び込んでくる度に、看板を貼った屋敷の位置に目星をつけて国道から集落のある脇道にハンドルを向ける。
情報によれば、この区間には「谷風わた」や「菅公学生服」が貼られた看板屋敷もあるようだが、かなりしつこく探してみるも発見することができなかった。
電車の車窓からは見つけることが可能だろうか。屋敷の存在確認を含めて、再度のチャレンジが必要となりそうだ。
国見駅近くにある看板屋敷は素晴らしいロケーションにあった。緑が深い山を背景にして、まるで時間が止まったような空間にぽつねんと建っていた。まさに孤高の屋敷といった感じだ。
「まるまん学生服」「菅公学生服」「ボリショイ菅公学生服」といった3枚の学生服看板とブラザーの2枚の看板。
レトロな建物もさることながら、貼られた看板の配置とバランスがいい。
この屋敷の隣には「加美乃素」の組看板が貼られた家屋があり、線路脇に続く土手を登った少し離れた位置から二軒の屋敷を見ると、まるで箱庭に配置されたジオラマのようだった。
続いて、桑折駅の近くでも看板屋敷を見つけた。線路脇にあるこの屋敷には「ブラザー編機」と「ブラザー電気洗濯機」の看板に重なるように「キンヨー」や「キャラメル」の看板が貼られていた。
「キンヨー」は名古屋の衣料メーカー「瀧定」のブランドで、東海や関西、九州でも見つけている。
ここで東北本線から離れ、引き返すことにした。帰路は再び宮城県に入り、角田市から丸森町、亘理町を経由し仙台に戻った。
亘理町では海岸近くにある荒浜地区を訪ねてみたが、情報にあった「キリンビール」の看板が貼られた酒屋の姿はすでになかった。
東日本大震災による津波で流されてしまったようだ。
町の中心部には被災者の仮設住宅が並び、そのすぐ傍らにある醤油蔵には「マルジンみそしょうゆ」の看板が貼られていた。
荒浜地区から阿武隈川に沿って北上すると、津波で流された家屋の跡が目立つようになった。
辛い風景だが、そんな状況でも奇跡的に残った集落の中に、金鳥看板が貼られた屋敷を見つけた。
金鳥看板の残存数が少ないといわれる宮城県で2例目の発見である。 津波を乗り越えて残った看板に、この日最後のシャッターを押した。
稀有な出会いにただ感謝するばかりだった。
(2013.9.1記)
※画像上/蔵王町から見る蔵王連峰熊野岳(184㍍)。日本百名山に選ばれた宮城の名峰。田んぼの緑色と残雪が目に鮮やかだ。
※画像中/かつては伊達家の直轄地であり土蔵造の商家が建ち並ぶ町並みが残る村田町。「清酒乾坤一」を造る大沼酒造。正徳2年(1712)創業。
※画像下/田植えが終わったばかりの田んぼ。整然と並んだ稲と貼られた水と一直線に延びるあぜ道。日本の正しい風景がある。