ホーローの旅
レポート290 雨の青森、にんにく街道を行く
2013.7.6
青森県八戸市~おいらせ町~六戸町~十和田市~五戸町~新郷村~田子町~三戸町~南部町~八戸市
雨粒がフロントガラスを激しく叩く。
せっかく八戸までやってきたというのに、この天気はいただけない。
今日の探検は八戸市を中心とした青森県南部を、同好者のゐゑをさんの情報を元に、レンタカーの返却時間の19時まで目いっぱい周ろうというもの。さて、その成果はいかに…。
まず向かったのが、八戸市内にある醤油の蔵元。創業は明治30年。味噌や醤油を造っている蔵元だけに、時代を感じさせる建物に入ると、ひんやりとした張りつめた空気の中、すえた匂いが鼻をついた。
「キッコージュ醤油味噌販賣所」と書かれた看板が柱にかかっていた。柔和な表情のご主人に許可を貰い、看板を撮らせていただくと、「うちは古いからねぇ」と言いながら店の奥から更に一枚出してきて見せてくれた。
かつては店の軒下に揺れていた吊看板だったというが、今はその役目を終えて埃を被っているのが残念である。
八戸市内はまとまった古い町並みはないもの、木造の古い家屋や廃業した商店が目につく。
「帝輪自轉車」の組看板と「大成タイヤ」の看板が残る自転車屋も、目抜き通りから一筋入った脇道にあった。
ファインダーを覗くと、いく分傾いて見える建物はまさに昭和の雰囲気そのものだ。その小さな空間に、時間が止まっているような気がした。
ゐゑをさんの情報を追いかけておいらせ町に向かう。旧下田町の奥入瀬川を渡ると、マンホールにはこの川を遡上する鮭がデザインされていた。
2010年に第三セクターになった青い森鉄道に沿って北上すると、下田駅近くで「編機はアルス」が貼られた看板屋敷を発見。
更に、踏切を渡って緩いカーブを回ったところで肥料の看板を何枚か貼った商店を見つけた。
しかし、店の前には4~5人のおばあちゃんやおじいちゃんたちが日向ぼっこの真っ最中。 看板が撮りたいから移動して欲しいとも言えず、泣く泣く諦めることにした。
B1グランプリで有名になった「十和田バラ焼き」ののぼりが何本も立つ、十和田市の商店街を抜け五戸町に入ると、雨も上がって薄日も射してきた。
2005年8月にも訪ねた五戸町であるが、「弘前相互銀行」やお茶の看板は健在だった。
また、今回の探検で一番の収穫になったが、小さな集落でクスリの看板が3枚貼られた廃商店を見つけた。偶然とはいえ、これはうれしかった。
中でも、「づつうはいたにケロット」と書かれた赤い短冊看板は、これまでに発見していない初見モノである。
ホーロー看板探しを始めて8年が経過し、最近では初見の看板を見つけることもほとんどなかったが、こうした予期せぬ出会いは改めてホーロー探検の楽しさを思い起こさせてくれた。
遠くで雷鳴が聞こえる中、国道104号線を田子町に入ると、たくさんの案山子が迎えてくれた。
田子町はにんにく生産量が日本一であり、「にんにくの町」として全国的に知られている。山岳地帯特有の冷涼な気候と一日の寒暖の差が大きいのが生育にいいらしい。
国道沿いの案山子は実にユニークで、雨に濡れるのも構わず何枚も写真を撮った。
田子町の中心部は2005年に訪ねているが、その時の看板探しが甘かったのか、同じ道を通ったはずなのに、セメントやトタン板の新たな看板を見つけることができた。
国道104号線から外れ三戸町に入る。
ゐゑをさんの情報によると、この町には「花王石鹸」の看板がある雑貨屋があるという。花王石鹸の看板は全国で見つけているが、私が好きな看板のひとつである。
教えていただいた店の前に立ち、中を覗いてみるが、商品が山のように溢れて外からは看板が見えない。
電灯が点いているので店は営業しているようだが、引き戸が開かない。これじゃあ、店にも入れない。残念だが諦めるしかなかった。
看板の存在も確認できなかったが、リベンジはあるだろうか。次にこの町に来る時が楽しみだ。
三戸町からは青い森鉄道に沿って看板探しを続けた。
夕闇が迫る頃、剣吉駅前で撮影した二軒の看板屋敷には、得もいわれぬ孤高の雰囲気があった。
ホーロー看板が貼られていることで、それがアクセントになり、存在感を増幅させるのだろうか。
まるで一枚の絵を観るように、ごく自然に額の中の風景に収まっていた。
すっかり夏の夕暮れである。いつのまにか雨も上がり、駅に延びるレールに薄日が反射していた。
看板屋敷が過去の遺物になることが分かっていても、いつまでもこの風景が残っていて欲しいと願う、旅の終わりだった。
(2013.12.7記)
※画像上/田子町の国道104号線沿いにはたくさんの案山子が並ぶ。田子町はにんにくの生産量日本一で有名。
※画像中/八戸港。水面ギリギリに建つ集落が見える。
※画像下/田子町の中心部を歩く。