ホーローの旅
レポート295 津軽半島へ、晩秋のホーロー旅
2013.11.4
青森県青森市~外ヶ浜町~今別町~五所川原市~つがる市~鰺ヶ沢町~板柳町~階上町
仙台に単身赴任して半年が過ぎ、秋と冬の境目、11月を迎えた。
新たな仕事と生活環境に慣れることを優先したばかりに、”宝の山”が目の前にあるにも関わらず十分なホーロー探検ができず、地図を見ながら悶々とした日々を過ごしていた。
冬が来る前にぜひ訪ねてみたかったのが、津軽半島である。
2008年5月に五所川原市まで足を延ばしたが、そこから更に北は未知数だった。
北の果ての町には何が待っているのか、珍しいお宝に出会えるのだろうか?そんな思いを込めて北を目指す旅が始まった。
仙台から東北新幹線を乗り継ぎ、新青森駅からはレンタカーで出発。まず向かったのが外ヶ浜町。
地図を見ると、外ヶ浜町は龍飛岬がある津軽半島の先端のエリアと、陸奥湾に面した東側にも同じ町名が存在していることが分かる。
面白いことに五所川原市も同様で、中泊町を挟んで二つに分かれている。
民家の板壁にかろうじて貼りついた「ミツカン酢」や廃商店に残る「オロナイン軟膏」を撮影しながら、外ヶ浜町に入った
。波が穏やかな陸奥湾に面したのどかな港町である。ほんの小さな市街地は、クルマで少し走ってみただけで終わってしまった。
“海べりの集落にホーロー看板はなし”というこれまでの経験値もあって、早々に町の探索を切り上げ、JR津軽線に沿って北上することにした。
時折、巨大な高架が現れる、北海道へと続く津軽海峡線を横目で見ながら、ローカル線を忠実に追っかけていく。
すすきが揺れ、背後の山はまばゆいぱかりの錦秋の煌めきである。 小さな無人駅のホームからレールの上を伝い歩きしてみたが、電車がやってくるような気配はみじんも感じなかった。
津軽海峡に面した町、今別町は北の果ての町としては比較的大きな規模である。コンビニやちょっとした飲食店もあった。
国道から脇道に逸れると、懐かしさを感じる古い町並みがあり、板壁に「ブラザーミシン」の短冊看板がさりげなく貼られていた。
右手に海、左手に山林という、同じような風景が続く古い町並みを二つ目の外ヶ浜町に入ると、看板商店発見。
「エビスタビ」と「富士ヨット学生服」の看板が外壁に残る衣料品店だ。 龍飛岬へと続く海岸線が見えるロケーションが素晴らしい。
本州最北端の看板商店ではないだろうか。最も下北半島には行ったことがないので断言はできないが…。
龍飛岬を往復して、今別町から再び一つ目の外ヶ浜町まで戻り、次に中泊町から十三湖へ向かう。
十三湖はシジミ漁が盛んなのか、シジミ汁を飲ませる店が並んでいた。ちょうど昼時なので食指が動いたが、試しに入った店には客が一人もおらず、開店休業状態なのを見て迷わずパスすることにした。
十三湖からは五所川原市の金木を目指した。あっという間に暗雲が空を覆い、雷鳴がとどろくと同時に、物凄い雷雨である。
まったく前が見えない中のハンドル操作で、緊張で手に汗を握りながら南下するが、雷公の束縛は許してくれない。
更に大粒の雹(ヒョウ)まで落ちてくる始末である。
看板探しどころではなくなったが、這う這う(ほうほう)の体で金木町に着いた時に、ようやく雨と緊張感から解放された。
金木の町を訪ねるのは2008年に続いて二度目だが、しばし看板探しを中断して、前回、太宰嫌いを理由にパスしてしまった「斜陽館」を見学することにした。
金木からつがる市にかけては投稿者のゐゑをさんの情報を頼りにホーロー探検を進めた。
巨大な遮光土偶がモニュメントとなっている木造駅の駅舎は意表を突くようなパフォーマンスだが、駅前だというのに人の姿を見ることもなかった。
木造駅から続く商店街も、道幅が広いだけに誰も歩いていないことがすぐに分かった。曇天に包まれてしまった今日の天気と同じように、津軽地方の重苦しい暗さや寂しさを表現しているような気がした。
更に鰺ヶ沢の町も同様であった。2008年の5月に訪ねた時、名物のイカをパクついた“イカ焼きロード”の店は全部閉まっており、香ばしい焼きイカの匂いは漂ってこなかった。
前半は快晴、後半は荒れた天気という津軽半島でのホーロー旅は、最後は広大なリンゴ畑が続く、板柳町の探検で〆とした。
リンゴ畑の中でクルマを留めて、家族総出?で行っている出荷作業を見ていると、一瞬の間、「なんで、俺、ここにいるんだろう??」とぼんやりと思った。
頬に当たる津軽の風はもはや冷たく、すでに冬の気配がした。
(2014.3.9記)
※画像上/JR津軽線から見える風景。揺れるススキの向こうに連なる山。錦秋の秋が輝く。
※画像中/外ヶ浜町の海岸から龍飛岬方面に続く海岸線を見る。
※画像中/秋が深まり紅葉が目にまぶしかった。
※画像下/JR木造駅。縄文時代の亀ヶ岡遺跡で発見された巨大な遮光土偶がモニュメント。