ホーローの旅
レポート299 秋田へ、この春の四つの探検
2014.4.2-5.15
秋田県八郎潟町、大仙市、北秋田市、秋田市
3月から5月にかけて、秋田に5回の旅をした。
青春18きっぷを握りしめて、秋田県北部から日本海に沿って更に内陸を回った3月の旅は、深い雪に閉ざされた駅舎や、車窓に流れる雪に埋もれた集落の残像がまぶたに焼き付いている。
4月に入ると、18きっぷのシーズンが終わっても“乗り鉄”のうずきが収まらず、仙台で桜が満開になった第2週に秋田内陸縦貫鉄道に乗る旅をした。
かれこれ30年以上前の国鉄時代に角館から阿仁合までの区間を乗車したことがあったが、今回は第三セクターになってからの、角館→鷹巣間の94.2キロの完全乗車を目指した。
更に往復乗ってしまうというチャレンジで、乗り継ぎ時間を入れると6時間の旅となった。
角館から9時20分発の鷹巣行きに乗車して乗り鉄の旅が始まったが、思った通り、乗客の姿はほとんどなく1両編成に僕を入れて4人しかいない。
しかし、涙ぐましい努力といおうか、阿仁合までの区間ではアテンダントの女性のガイドがあったり、車内販売があったり、その乗客サービスには真摯な姿勢を感じた。
また、駅で停まるたびに、駅員がホームで手を振ってくれたのも印象的だった。
内陸縦貫鉄道は秋田の豪雪地帯を行くだけに、たっぷりと残雪が残る風景を満喫したが、車窓からは期待していたホーロー看板の姿を一枚も見ることができなかったことが残念だった。
鷹巣駅に着き、3月の旅でJR奥羽本線鷹ノ巣駅付近で見つけた看板屋敷を撮影すべく、目星をつけたポイントに向かうが、見つけ出すことができなかった。
今回の旅の目的の一つだっただけに、がっくりと肩を落として鷹巣駅に戻った。
帰りの待ち時間がわずかしかなく、昼メシも食べずに終点の鷹巣から折り返したが、阿仁合駅からは行きと同じアテンダントの女性が乗ってきた。
更に途中の駅からは中国人観光客が大挙して乗り込んできて、一両車両は満員状態。
マナーを知らぬ奴らは大声ではしゃぎ、狭い車内を歩き回って誰構わず写真を撮りまくり、旅の気分はいっぺんに吹き飛んでしまった。
かつての我々日本人も海外に出るとそうだったかもしれないので、ここは大目に見てやろうと目をつぶっていたが、それにしてもうるさい!!
でも、それを承知してか、アテンダントの女性は画用紙に中国語で書いたイラストを見せながらガイドをしたり、車内販売をする商魂たくましい姿勢にいたく感動した。
毎年2億円もの赤字を出し、廃線の危機にあえていでいる路線だが、関わる人々のすがすがしい努力を見させてもらった。
5月に入って訪ねたJR羽越本線沿いにある2軒の看板屋敷は、新緑に包まれるように建っていた。
踏切のすぐ脇にある1軒は、母屋の入口にある左の小屋に「レヂノ鉄板」の組看板や「菅公学生服」が、右の小屋には「富士ヨット学生服」や「ボリショイ学生服」が貼られ、インパクトのある看板屋敷である。
また、その斜め向かいの屋敷には「忠臣服」と「富士ヨット学生服」が貼られており、これも看板屋敷としての存在感が十分である。
実はこの2軒の屋敷は、まだ雪が残る3月にも撮影しているのだが、デジカメのデータをパソコンのハードディスクに格納した後、クラッシュが発生し、すべてのデータを消失することになってしまった。
バックデータを取っていなかったのが悔やまれるが、諦めるしかなかった。 リベンジとして5月に再訪したときには、看板屋敷を取り巻く風景がすっかり変わっていた。
新緑の山はどこまでも明るく、3月に訪ねた時のどんよりとした重苦しい空気はみじんもなかった。
東北は、いつの間にか初夏を迎えたようである。
(2014.6.16記)
※画像上/残雪を背景に秋田内陸縦貫鉄道を行く一両編成。オレンジ色やうぐいす色など個性的なカラーの車両が走る。
※画像中/秋田内陸縦貫鉄道の車窓からのんびりと雪景色を見る。
※画像下/JR奥羽本線羽後境駅近くにある小屋。ジューキミシンとトーア毛糸が貼られている。畑の脇には残雪が残っていた。