ホーローの旅
レポート302 日本最北端へ、さいはてホーロー紀行 前編
2014.5.3
北海道旭川市~愛別町~上川町~遠軽町~北見市~佐呂間町~湧別町~紋別市
旅人なら、北の果てへのあごがれがきっとあるだろう。
まだ19才だった学生の頃、21日間使える国鉄の道内周遊券を握りしめて、稚内から利尻島を目指す一人旅をした。
旭川から夜行の急行電車に揺られ、眠れないまま、早朝の稚内駅に降りた。9月の初めだというのに、さいはての町はすでに秋が深まり、身震いするほど寒かったのを覚えている。
それ以来数々の旅をしてきた。“尖端マニア”と自負してもいいくらい、岬の突端や高い山の頂にこだわった。
最北端や最南端、最高点のように『最』が頭につけば尚、うれしい…という、いたって単純な旅をし続けてきた。
今回の探検は、ホーロー看板を探しながら36年前の旅を少しでも再現し、思い出に触れたいという、ちょっとばかしセンチメンタルな探検である。
再現したいという気負いとは裏腹に、旅の足はレンタカーだ。
ローカル線に揺られていた19才ののんびり貧乏旅とは段違い。少しはお金を持っているけど休みは取れない、しがないおじさんサラリーマンである。まぁ、許してほしい。
旭川を出て最初に向かったのが愛別町。2月の出張で、北見へ向かうJR石北本線の車窓から見つけた酒看板が最初のターゲットだ。
目星をつけてクルマを走らせても、看板が貼られた目的の屋敷はなかなか見つからない。
耕した土がむき出しの広大な畑を右往左往し、ようやく屋敷の前に立った。 すでに空き家になっているようだ。
芽吹きを待つ庭木は寒々としており、建物を含めたすべてが土色に見えた。そんな風景の中に、浮き彫りになったような白と赤の鮮やかな「お酒は大雪山」の看板が貼られていた。
1981年に廃業した地元愛別町の大雪山酒造の銘柄である。
30数年の時を経て、会社が元気だったころの痕跡が看板として残っている、かけがいのない事実。私はそうした“事実のカケラ”を拾い集めて全国を回っている。
銘柄に命名された「大雪山」は、36年前の旅で登った山だ。層雲峡からロープウェイとリフトを乗り継いで黒岳へ登り、旭岳まで縦走した。
当時は今よりもずっと登山者が少なく、テントを張った幕営地では、ヒグマを恐れて一晩中びくびく震えていたことを覚えている。
無事に旭岳を往復し、二日後に下山した層雲峡でラーメンをすすっていると、店のテレビからは『愛は地球を救う~24時間テレビ』の放送が流れていた。
今でこそ毎年恒例の番組に成長したが、1978年、初めてスタートしたときのことだった。
当時の私は社会福祉を学んでおり、かじりついて観る一方、あてもない旅をする自分に対して、こんなことやってていいのだろうか…と自問自答する悩み多き青年だった。
36年前の北海道一人旅、少しづつ思い出とリンクしてきたようだ。
上川町に入ると、雪に覆われた大雪山が間近に迫った。JR石北本線と並走する国道39号線をひたすら東に走る。
白滝駅近くの廃屋で見つけたのが「ニッショー学生服」。出張の車窓から確認していた看板だ。
この看板は全国で見つけているが、いかにも昭和レトロを感じる学生服を着た中学生のイラストが人気の看板である。
いまどき学生帽は見かけないが、私が中学生の頃はまるで体の一部のように当たり前に被っていた。
上川の町では建材店で初見のトタン板看板を見つけた。店主のおじさんが撮影を快く許可してくれたのもうれしい。
「雪印トタン」の看板はまるで牛乳かアイスクリームを連想するようなデザインだった。 これで気を良くして、いよいよこの旅の白眉ともいえる北見市の看板屋敷地帯に突入。
これまでの出張で、JR石北本線の車窓からチェックしてきた看板屋敷たちだ。
まずは7種類8枚が貼られた堂々とした屋敷。留辺蘂駅から北見寄りに線路づたいに入った場所と記録していたが、雪に埋もれたときの冬の風景の記憶が邪魔して、どうしても見つからない。
目星をつけた集落の先から雑草をかきわけて、線路沿いを探しても見つからない。
一時間以上ロスして半ばあきらめかけていたとき、国道39号線から至近に見える位置で見つけた。
何のことはない、この屋敷は国道を走る車窓から誰でも確認できる、すごく見つけやすいロケーションにあったわけだ。
看板屋敷は配置も素晴らしいが、うっとうしいサラ金系のスチール看板が一枚も貼られていないところが良い。道北を代表する看板屋敷だと思う。
北見に向かう国道39号線沿いは、全国的に見ても指折りの看板屋敷密集地帯だと思う。
電車の車窓からチェックできなかった屋敷もいくつか見つけた。
元々はJR石北本線の車窓から見える位置に広告宣伝をする目的で貼られたと推測できるが、電車から見えない場合のロケーションも考えて、クルマを対象とした国道沿いの民家や倉庫の壁に貼ったのではないかと思う。
また、このエリアの特異性としては、「ミツカン酢」の看板がよく目につくことだろうか。
(株)ミツカンは日本を代表する愛知県の醸造酢メーカーであるが、地元の東海地方にはあまり貼られておらず、全国的に見ても北海道や岡山県には多く貼られたようだ。
東海地方ではすでに有名ブランドになっていたから、地方にしつこく貼ったのは、知名度を上げるための販路拡大にあったのだろうか。今となっては謎である。
午後を大きく回り、北見市の“黄金地帯”を後ろに、遠軽から紋別を目指した。
サロマ湖畔を間近に見ることができる国道238号線は北海道らしい雄大な景色が広がるルートだ。
サロマ湖はホタテ養殖が盛んで、社会人になった頃、夏休みを取って湖畔を訪ねたことがあった。
ホテルのバイキングで、蒸かしたジャガイモとホタテが食べ放題だったことを覚えている。 そんな“食いしん坊ロード”だけど、狙いのホーロー看板は地酒の看板を一枚見つけただけで何もなく、あとはひたすら紋別に向かって北上した。
今にも降り出しそうな空と鉛色のオホーツクの海が、いかにも陰気で寒々しい。
それを体現するかのように、ミズバショウの群落を見たくてクルマから降りた途端、まるで霧吹きでかけられたような、肌にまとわりつく冷たい雨が降りかかった。
北見で看板屋敷を追っかけていた時の暖かさはどこにもない。
重苦しい北の天気に、さいはての町が近づいていることを感じた。
暖かい今夜の宿まで、あとわずかである。(つづく)
(2014.9.7記)
※画像上/霧にかすむ夕暮れが迫った紋別の町。遠くを歩く人の姿があった。
※画像中/上川町。JR石北本線は雪を抱いた雄大な大雪連峰に吸い込まれるように伸びていく。
※画像中/愛別町。古いレンガづくりの倉庫が哀愁を誘う。誰も歩いていない。
※画像下/重く沈んだ北の空が、鉛色のオホーツク海をいっそう暗くしていた。紋別市。
※宿泊/紋別プリンスホテル 素泊まり4900円。価格の割には部屋や設備は古い。大浴場があるのはgood。近くにスーパーがないので食糧調達はクルマを駆ってイオンへ。☆☆★★★