ホーローの旅
レポート309 暮れの京都へ、黄昏まで仁丹看板を追う
2014.12.30
京都府京都市
赴任先の仙台から帰省して2日目、毎年恒例となった京都の探検にやってきた。
当初は2日間の予定だったが、雨の予報に躊躇して、不本意ながら日帰りに変更。
更に時間を稼ぐために、青春18切符を諦めてアクセスを新幹線に変更。格安で行く京都の探検が、けっこうな出費になってしまった。
さて、スタートはいつも通り京都駅前のレンタサイクル屋から始まる。三段変速のママチャリもいつも通りのチョイス。
昨日の雨はすっかり上がったが、その分、放射冷却が強まったのか、京都の町はしんしんと冷え込んでいる。
厚手のダウンジャケットにマフラーを巻いて、フリースの手袋という完全装備でペダルを漕ぎ出す。
50オヤジのレンタサイクルというのも様にならないが、人の目はまったく気にならない。
自分のスタイルを通すまで、という気合で、大晦日を翌日に控えた観光客でごった返す駅前のイオンを軽快に走り抜けた。
まず目指したのは、南区八條と九条。
ここには、今のところ仁丹看板の南限発見地と目される物件がある。2枚の看板は意外にもすんなりと見つかった。
いつもなら1枚の看板を見つけるのに20、30分の時間を費やすのに、今日は運が良いのか、それとも"冴えているのか"、幸先の良いスタートである。
今回の探検は下京区と上京区の未発見の看板を探すのが目的であるが、合わせて50ヶ所の未確認ないし、過去に探しきれなかった看板のリベンジをすることにある。
一日で回るのは限度があるが、暗くなるまでが勝負なので、とにかく先を急ぐことにする。
JR東海道本線の高架をくぐり、七条通りを超えると西七条と呼ばれるエリアになる。
ここには「七条市部町」や「七条東野町」という、これまでにチャレンジしても探しきれなかった2枚の看板があったが、すんなりと見つけることができた。
しかも「七条市部町」は同じ看板が2枚あるというおまけつき。今日はツイている。
仁丹看板が多く残っている西本願寺周辺には、京都らしいレトロな町並みがひっそりと残る一角があった。
木造三階建の商店や長屋風の町家には、改めて惚れ惚れするほどの風格があった。こんな町に住んでみたいと思うのは私だけではないだろう。
さすがに日帰りの探検では無理があるようで、二条城を越えて上京区に入ったところで、残り時間が気になり引き返さざるを得ない状況になった。
御所を横目に丸田町で鴨川を渡ると、午後3時だというのに日が陰って薄暗くなってきた。焦っても仕方がないが、今回は暗くなるまで走ることに決めている。
祇園周辺は、これまでの探検では観光客の多さもあって適当に流してきたところだが、今回はじっくりと走ってみた。
というのは、9月に観たばかりの映画『舞妓はレディ』(周防正行監督2014)の舞台となったのが祇園で、そのロケ地を訪ねてみたいことにある。
ロケ地となった置屋街や白川にかかる橋、祠がある広場もすぐに見つかったが、映画の中で建物に貼られていた仁丹看板は発見できなかった。どうやら飾りの看板だったようだ。
祇園四条から鴨川沿いを南下し宮川筋に入った。すでに陽は傾き、西日が町家に下る籐のすだれを橙色に染めている。
仁丹看板が貼られ、鍾馗様が屋根を守る町家の風景は京都ならではである。いつまでこうした景色を見ることができるか分からないが、ずっと残ってい欲しいと思う。
この日の最後は五条大橋から東山郵便局を経て、大和大路通周辺の探検で終えた。
「はり」「あんま」の看板が下がる町家の軒下に外灯が点り、すっかり暗くなった京都の町を最後のひと踏ん張りと念じながらペダルを漕いだ。
年に一回となってしまった京都の仁丹探しも、今年はこれで終わり。
一日中自転車を漕いだ運動量は半端ではなかったみたいで、ヒートテックのシャツは汗に濡れ、いつしかマフラーを外して走っていた。
今日の結果は新規発見が10枚、生存確認が15枚。これで京都市内の仁丹看板の発見枚数は629枚となった。
未発見、あるいは完全に消失を確認していないものを含めると、京都市内の仁丹看板はおそらく800枚ほどあると考えている。そんな意味では残り170枚、まだまだ探検が楽しめそうだ。
今年を振り返ってみると、病気で入院と手術を経験し、看板探しの活動は不本意な結果で終わってしまったが、体調も復活し、毎年年末に続けてきた京都の探検ができたことが素直にうれしかった。
来年はどんな年になるだろうか。再び京都で探検ができることを目標に、首を長くして北国の町で長い一年を過ごすことにしたいと思う。
(2015.5.9記)
※画像上/祇園。映画のロケ地にもなった置屋がある通り。和服姿の道行く女性が京都らしい良い雰囲気。
※画像中/鴨川沿いを走る。京都市四条あたり。
※画像中/置屋の玄関先に灯る提灯。
※※画像中/西日が町家に下る籐のすだれを橙色に染めていた。
※画像下/五条から南下し本町通に入ると町家が軒を連ねる。このあたりは鍼、あんまの店も多い。