ホーローの旅
レポート314 八戸発着、青森県東部探検
2015.4.29
青森県八戸市~六戸町~東北町~七戸町~十和田市~新郷村
仙台に赴任して三度目の桜を見たばかりだというのに、季節はあっという間に初夏の装いである。
4月29日は母の命日で、本来なら名古屋の実家に戻って墓参りをするところだが、5月連休の真ん中に仕事が入っては仕方がない。
連休前半の一日、母への思いを胸に青森県をぶらり旅することにした。 翌日に東京への出張が控えていることもあり、今回は新幹線を使っての八戸発着の日帰り探検である。
できれば陽が落ちる頃に八戸のレトロな横丁で一杯ひっかけて戻りたい。さて、どんな探検になるやら…。
新八戸駅でレンタカーを調達して出発。探検ルートは青い森鉄道に沿って北上し、野辺地で折り返す往復400キロの行程だ。
六戸町から三沢市までは県道211号線を行くが、ホーロー看板はまったく不発。左右に広がるのどかな農村風景の中をひたすら走るのみだった。
2012年に廃線になった十和田観光電鉄の七百駅の駅舎に立ち寄ると、たんぽぽが咲く爽やかな風景の中、錆びた線路がそのまま残され、コンクリートのホームも静寂の中にあった。
東北地方の私鉄がどんどん廃線になっていくのは寂しい限りだが、致し方がない現実である。
十和田観光電鉄の線路に沿って三沢市を目指すが、電車とすれ違うはずもなく、ひたすら殺風景な景色が続くのみだ。
三沢市が近づくと少しは人臭くなってきたが、ホーロー看板の姿を見ることなく三沢駅に着いた。
青い森鉄道の三沢駅はレトロな駅舎の雰囲気も良いが、十和田観光電鉄の改札に繋がる連絡通路にある食堂が何とも言えないくらいレトロ。年季が入った板壁にそばやうどんのお品書きが貼られ、昭和の雰囲気そのままである。
まだ10時半なので、込みあがる食欲をぐっと我慢して、三沢駅のホームから確認できるというナショナル電球の看板を探すことにした。
西口から東口に渡る連絡跨線橋から俯瞰して確認するが結果は×。すでに取り壊されたのだろうか、目視意外にもクルマを使って付近を探してみたが、看板を貼った民家を見つけることができなかった。
三沢市から東北町に入ると、ようやく活気づいてきた。飼料や肥料、カゴメジュースの看板など、レアものではないが看板がある風景を見ることができた。
また、小川原湖は景色も素晴らしく、澄み切った空気の中に、のっぺりとした対岸の鶴ヶ崎の岬が手に取るように見えた。
午後を回り、東北町から野辺地を目指したが、情報を得ていた国道41号線沿いにあるというカゴメソース、帆立漬が貼られた屋敷を探しだすことができず、結局、野辺地までのルートは収穫もなく、ドライブ主体の探検になってしまった。
このままでは撃沈で終わる予感がよぎり、重い気持ちで七戸町に入った。しかし、意に予測に反して七戸の町にはお宝の姿があった。
かつては酒造りを行っていたという酒屋には、「銘酒タカノハ」の看板が残っていたし、年季が入ったレトロな金物屋さんの軒下にはヤスリの看板が下がっていた。
七戸の町は町並みも素敵で、木造の家屋が軒を並べる通りや、酒蔵や醤油蔵が並ぶ一角があったりして、小さな町の中にレトロな要素が詰め込まれている魅力的な町だった。
この日の探検は十和田市に出てから奥入瀬まで足を延ばしてみたが、看板にほとんど出会うことなく八戸に戻ることになった。
期待した収穫にはほど遠い探検となってしまったが、八戸の町に戻ってレトロな横丁を歩くと、一刻も早く喉を潤すことばかり考えていた。
提灯に明かりがともったのを見計らって、一人ぶらり、名物のせんべい汁で一杯。 八戸に、夜のとばりが降りた。
(2015.8.23記)
※画像上/2012年に廃駅になったとわだ観光電鉄の七百駅。かつては賑わっていただろう駅も、静寂の中に埋もれていた。
※画像中/青い森鉄道の上北町駅から小原原湖に出ると、澄み切った空気の中に、のっぺりとした対岸の鶴ヶ崎の岬が手に取るように見えた。青い空と青い水が印象的だった。
※画像下/八戸は横丁の町。狸小路、五番街、ハーモニカ横丁など終戦直後から続く8つの横丁が残っている。みろく横丁は町おこしを目的に平成14年にできた模擬横丁だが、観光客や女性客にはこちらのほうが安心して飲めそうだ。