ホーローの旅
レポート317 ♪襟裳の春は何もない春ですぅ~中編
2015.5.5
北海道広尾町~更別村~中札内村~帯広市~池田町~本別町~足寄町
一晩中降り続いた雨が上がった。願ってもない晴天である。
浦河の港から見る海は、穏やかな青さで満ちていた。様似が近づくと、国道から右手に見える景色には奇岩が並ぶ不思議な世界が広がった。
様似まではJR日高本線に沿って、海と牧場に挟まれながら南下する。学生だった35年以上前、21日間有効の道内一周の周遊券を握りしめて、リュックを背負って下りた駅が様似駅。
日高本線の終着駅だ。
当時は周りに何もなく、人も歩いておらず、うら寂しさをヒシヒシと感じたが、今はスーパーもできて、人臭くなっていたことに驚いた。文字通り、隔世の感である。
ホーロー看板の姿を求めて様似の町を走ってみたが、"海沿いの町に看板の姿なし"のジンクスが当たったのか、まったく見つけることなく終わってしまった。
昨日、日高町で撮影した防犯看板が最後だったことを考えると、すでに100キロ以上音沙汰なし状態が続いている。
これでめげても仕方がない。気持ちを切り替えて空と海の青さに眩しさを感じながら、いよいよ“尖端マニア”憧れの地、襟裳岬に向う。
ここから先は私にとって未踏のルートだ。 襟裳岬はさすがに風の岬である。岬の尖端に立つと、吹き飛ばされそうな風が吹き荒れていた。
しかも柵の向こうは絶対に落ちたくない断崖絶壁。灯台の傍らには、吉田拓郎作曲の『襟裳岬』の歌碑があった。
ふと思ったが、山本コータローの名曲『岬めぐり』は襟裳岬がモチーフじゃないかと…。(どうでもいいけど)
昨年は納沙布岬、宗谷岬とそれぞれ最東端、最北端の地に立ったが、襟裳岬は"最"がつかなくとも、そのアプローチは半端ではないので、ポイントは高い。
と言いながらも、ホーロー探検に転じてみると、様似からここまで風に吹き飛ばされそうな小さな集落もあったが、残念ながら看板の姿はどこにもなかった。
ホーロー看板は企業の広告宣伝物である。人の目につかない場所に貼る必要がないこともうなづける。
そんな意味ではこの場所がいかに俗世から離れたところかよくわかるのだ。
さて、風の強さと寒さにめげてしまい、滞在時間30分で踵を返し、黄金道路を帯広に向かうことにした。
右手に太平洋、左手に湿原から緩やかに起伏する雪を抱いた山。まさに絶景である。
海からいきなり立ち上がる絶壁に、小さな集落がへばりつくように現れるが、看板の姿はまったく見当たらない。
こんな日もあるなぁ…と半ば諦めて広尾町に入ると、お茶の看板をようやく発見。
北海道の定番中の定番「お茶は宇治園」である。 これで"ボーズ"はない、と一安心し、忠類村で発掘されたナウマン像の博物館に立ち寄ったり、広大な牧場を観ながら昼寝したり、のんびりと過ごしながらハンドルを握ると、更別村で再び看板屋敷発見。
肥料やお茶の6種類8枚の看板が貼られた屋敷である。鉄道沿いにある学生服や金鳥が貼られた看板とは違い いかにも農村らしいラインナップだ。
同様な屋敷は中礼内村にもあった。かつては商店だったのだろうか、こちらにはオロナミンCも貼られていたが、すでに空き家になっており、藪と雑木の中にひっそりと埋もれていた。
この日の探検は帯広から池田、本別、足寄、士幌を回って再び帯広に戻ったが、めぼしい収穫はなかった。
中でも足寄は松山千春の出身地ということで、それなりの規模もあり、期待もあったが、新聞とビールの看板を見つけただけで終わってしまった。
北海道では釧路や根室の道東の探検でも厳しい状況だったが、帯広を中心とした十勝地方も同様で、ホーロー看板の不毛地帯といえるようだ。
ともあれ、探検二日目は、襟裳岬の荒々しさを脳裏に焼き付けただけでも人生の収穫、思い出に残る一日になった。(つづく)
(2015.10.26記)
※画像上/広尾町郊外の風景。広大な田園、牧場は北海道を象徴する風景だ。
※画像中/様似から襟裳岬に向かう海岸線には奇岩がそびえ、青い海が広がっていた。
※画像中/襟裳岬から黄金道路を走る。海に落ち込む断崖絶壁を縫うように、道路がつけられている。
※画像下/帯広郊外にある旧国鉄広尾線の幸福駅。すでに廃線になって久しいが、今なお訪れる人は多い。
※宿泊/リッチモンドホテル帯広 素泊まり5000円。出張でもよく泊まっているホテル。新しく快適なホテルだ。☆☆☆☆☆