ホーローの旅
レポート318 ♪襟裳の春は何もない春ですぅ~後編
2015.5.6
北海道帯広市~清水町~新得町~小樽市~余市町
2日続きの晴天が、ホーローの旅の最終日を迎えてくれた。
帯広から国道38号線を清水町方面に進むと、あっという間に一直線に伸びる道路である。
遅咲きの桜と白樺並木、背後には雪を抱いた日高山脈がそびえる。 どう表現したらよいだろうか。何とも絵になる風景だ。
こうした景色を毎日眺めることができたなら、幸せだろうなぁ…と、実現できそうもない妄想が頭をよぎる。
とはいえ、美しさの裏側には厳しさがある、表裏一体があるのが自然。冬の厳しさを思えば、軟弱な自分にはとても暮らしていけない環境だ。
並走していた根室本線から少し離れ、御影という小さな町に立ち寄る。
御影駅からまっすぐ伸びる坂道を下りると、シャッターが下りた金物屋があった。
うれしいことに軒下には看板の姿。「天龍ポンプ」の青く光る看板だった。
看板探しも10年になると、初見の看板に出会うことは滅多になくなったが、これは正真正銘の"初モノ"である。分類別リストに彩りを添えてくれた。
再び根室本線と並行し北上すると、十勝清水駅がある清水町の中心地に出た。商店街もあって比較的規模の大きな町だが、期待に反して看板の姿はない。
レンガ造りのサイロやレトロな建物が残る牧場の跡地?にカメラを向けると、ファインダーの奥に木造の小屋が目に入った。
牧場?を大きく回り込んで目的の小屋に近づくと、思った通りレトロな看板が貼られていた。ジューキミシンの二枚組の看板である。
ドンピシャの当たりだ!(今日は冴えている)…最近ではなまっていた、看板を探す嗅覚が甦ったようである。
根室本線を更に北上し、清水町から新得町に入ると、今度は線路の向こうの倒壊した小屋に赤いものが見えた。間違いなくホーロー看板である。
クルマを路肩に止めて、藪の中を目的の小屋に向かう。
イバラや枯草が体にまとわりつき、足元は最悪の湿地。格闘すること5分。ほんの100メートルを泥だらけ、擦り傷だらけになって到着。
蜘蛛の巣をかきわけて看板の前に立ってみると、そこには「横綱印わた」の看板があった。
廃屋になってずいぶん経っているのだろうか、小屋の中を覗くと、土間と思しきスペースには年代物のパッケージがデザインされた洗剤の空箱や長靴が転がっていた。
「横綱印わた」は1911年に札幌で創業した「コマノ」の製品。1998年に廃業しているが、ホーロー看板を使った宣伝を積極的に行ったようで、道内には広範囲に残っている。
午後を回り、新得の町でUターンし、道東自動車道の十勝清水インターから札幌を経由して小樽に向かう。
ずい分無茶な行程だが、新千歳空港から夕方の仙台便に乗って帰宅するためには、これも致し方ない。
小樽に行く目的はひとつである。3月に余市を旅した時、国道沿いにある「美人わた」の組看板を目にしたのが発端である。
気づいた時にはすでに遅く、同乗していたクルマを止めることができず、帰宅してからもずっと気になっていた。
更に、「美人わた」が貼られたこの小屋は2008年にも訪れており、その時は小屋の表と側面にある「モントリオコート」の看板を撮影していたにも関わらず、裏側にあった「美人わた」にはまったく気づかなかったといういわくつきなのだ。
2時間の移動後、小樽インターから国道5号線を余市方面に進み、無事に「美人わた」の看板をゲットすることが出た。
思い出してみると、2008年当時は小屋の裏側に民家の塀があって回り込めなかったようだ。
「美人わた」の組看板は初見で、おそらくこれまで見つけた「美人わた」の看板の中でも、字体を含めて最も古いものだと思う。
帯広から小樽まで走った長距離移動になったが、高速道路を駆使したことにより思ったより時間に余裕ができた。
こうなると欲も出て、函館本線沿いにそのまま走り、余市から二木町に立ち寄ることにした。
このルートも2009年に経験しているが、まだまだモレはあったようで、JR二木駅の近くで「日の出桜スラックス」が貼られた2軒の看板屋敷を見つけることができた。
3日前に新千歳空港を出て、襟裳岬から帯広、そして小樽を回るという長距離ルートだったが、北海道の春のすがすがしさを実感する旅に仕上がったようだ。
何よりも襟裳岬で体感した風の強さと、断崖絶壁をくぐり抜けるように走る黄金道路の雄大な景色がまぶたに焼き付いている。
しばらくは忘れることがない旅になった。(おわり)
(2015.11.7記)
※画像上/帯広から清水町に向かうと、雪を抱いた日高山脈が見えた。芽吹きを待つ広大な耕地が北海道らしい。
※画像中/新得付近を走るJR根室本線。
※画像中/清水町郊外にある牧場跡地?の風景。レンガ造りのサイロや建物がレトロ感たっぷりだ。
※画像下/広大な十勝平野に雄大な大雪山系の稜線が見えた。