ホーローの旅
レポート322 水原&由美アースペアに出会った山形の旅
2015.6.7
宮城県七ヶ宿町~山形県高畠町~上山市~山形市~東根市
前週の探検で久々の大量収穫となった山形県。
地図をじっくり眺めてみると、国道や県道といった幹線道路から外れた道はたくさんあり、バス路線でなくてもお宝発見の可能性がありそうな集落も見えてくる。
これまでの探検で踏破したルートは地図にマーキングをしているが、まだまだ未踏のルートも残っている。
そんなことを考えるといてもたってもいられなくなり、真っ青に晴れ上がった週末、二週連続の山形探検にチャレンジすることにした。
仙台駅でレンタカーを調達し出発。山形県に入るルートはいくつかあるが、今回は未踏のルートにこだわりたいので、七ヶ宿町を経由して県境を越えることにした。
宮城県七ヶ宿町から山形県を結ぶ街道は江戸時代からある代表的な脇街道で、"七ヶ宿街道"は約一里間隔に七つの宿場を通る奥羽山脈越えの街道といわれている。
山間を走る国道113号線から集落がある脇道を丹念に拾っていくと、目に飛び込んできたのが地酒の看板。
山形県高畠町の米鶴酒造の看板である。白地に文字だけのシンプルな看板だがそれがかえってインパクトを感じる。
県境を越え、山形県高畠町に入る。これまでにも何度か訪ねた町だが、300年以上の歴史を持つ米鶴酒造や大わらじが下がった大日如来像など見どころもたくさんあり、道草をしながらカメラに収めていく。
昼時となり、蕎麦屋を探す。山形と言えば黙っていても「蕎麦」である。美味しい蕎麦屋はたくさんあり、むしろ不味い蕎麦屋を探すのが大変なくらい蕎麦天国なのだ。
上山市に入り、地図にマーキングをしていない未踏のルートを進むうちに、蕎麦屋の案内看板が目に飛び込んできた。
矢印に道引かれるままぶどう畑の小道を進むと小さな集落に出た。
そこにばっちりのタイミングで「オロナイン軟膏」と「かぜ薬スパーク」の看板。「オロナイン軟膏」については久しぶりの遭遇である。
嬉しさを隠しきれない。頬の肉を緩めながら蕎麦そっちのけでシャッターを切る。
こんなうれしい誤算はなかったなぁぁと思い出し笑いでニタニタしながら、すぐ近くにあった蕎麦屋で大盛りの蕎麦を堪能することができた。
さて、お腹もいっぱいになったし、午後からは上山市を中心に回ることに決め、これまで足を踏み入れていない郊外の集落や、JRかみのやま温泉駅周辺を探検することにする。
まずはJR奥羽本線沿いの物件であるが、民家に貼られた「日立ランプ」と「赤鳩トタン」を撮影する。
「赤鳩トタン」は組看板の「ト」の字以外は欠落して残っていない。この看板は出張時に見つけていたが、近くで見るまではどんな看板かは確認できなかった。
間違いなく当たっているだろうが、「ト」の文字一部分だけで「赤鳩トタン」だと推測する自分は、ことホーロー看板に関しては相当なレベルまで達していることに思わず苦笑。
ここまでくると自画自賛だが、「ホーロー看板マイスター」の称号でも授けてほしい(笑)。
「ト」の看板で喜んでいるわけにはいかない。陽が沈むまでに上山市内の未踏ルートを探検すべく地図に次々マーキングをしていく。
バス路線を走ると「山形交通バス待合」の看板が待合室の軒下に貼られていた。これを皮きりに「菅公学生服」や「太陽桜学生服」と次々と発見。
極め付きは水原弘&由美かおるのアースの楕円形ペア看板。最後にこの看板を見たのは2009年の島根県。なんと5年ぶりの発見である。
この看板のロケーションは偶然入り込んだバスも走らない小さな集落の脇道で、廃屋の壁に忘れられたように貼られていた。
何故このような条件の悪い場所に貼ったのかは分からないが、今となってはこうした場所だからこそ残っていたといえるだろう。
いずれにしても、剥がされることなくいつまでも残ってほしい物件である。
この日の仕上げは、上山市から東根市を経由して仙台に戻った。
広い山形県には走っていない未踏ルートも多くあり、探検したルートを地図にマーキングしていく作業もまだまだ楽しめそうだ。
仙台に赴任して3年目。山形や東北にホーロー看板の姿がある限り、足繁く行動を起こす気力を維持していきたいと思う。
時が経つのはあっという間である。
(2016.1.10記)
※画像上/山形県高畠町元町にある竜樹院。巨大な大日如来石仏があるお堂には4メートル、重さ600キロもある大わらじが下がっていた。旅の安全を願って奉納されたものではないかと思われる。
※画像中/上山市で見つけた棚田。遅い田植えが終わったばかりなので稲はまだ小さく、田に貼られた水が反射する初夏の風景がそこにあった。
※画像中/柔和の表情の大仏様に出会った。高畠町元町の竜樹院。
※画像下/久し振りに見つけたペア看板。小さな集落の廃屋となった民家の壁にあった。まだこうした風景が残っていたことに感謝。