ホーローの旅
レポート326 熱中症寸前の近畿ホーローウォーキング
2015.8.10-11
大阪府大阪市~兵庫県尼崎市~大阪府大阪市~八尾市~奈良県奈良市~京都府京都市
朝のニュースは連日の猛暑を伝えていた。
それを証明するかのように、地下鉄中津駅を出た途端、うだるような空気の中に放り込まれた。東北の涼しい環境に慣れた身には、ありえない暑さだ。
岐阜の自宅に帰省してすぐ、少ない休みをやりくりして作った2日間のホーロー探検である。気合を入れて頑張るしかない。
大阪市中津界隈は、戦災から逃れた古い町並みも残っており、昭和の匂いが濃厚な町。今日のスタートはそんな風景からである。
太田胃散の群青色に輝く看板は、昔ながらの長屋が並ぶ一角にあった。古い板壁と同化した看板は町家の雰囲気によくなじんでいる。太田胃散が残る風景もずい分少なくなった。自分にとっても1年ぶりに見る看板だ。
中津の目的はこれ一枚なので、体力を温存するためにすぐに踵を返す。たとえ徒歩で往復15分といえども、この暑さではすぐに汗が噴き出てくる。
いったん大阪を離れ、梅田から阪神本線で尼崎に向かう。南竹谷町の木造の民家に貼られている町名看板が次のターゲットである。
事前にストリートビューで確認していた甲斐があって看板はすぐに見つかったが、この建物には違うタイプのもう一枚の町名看板があった。予期してなかっただけにうれしい誤算だ。
今回の探検は電車を駆使した徒歩の旅。真夏のウォーキングはあまり経験がないが、50代も半ばを過ぎた自分の体力が耐えられるのか、まったくの未知数なのだ。
それだけに余分な体力を極力使わずに、目的に向かって最短の距離を歩き、素早く次の行動に移す…これしかないだろう。
尼崎から再び大阪に戻り、向かったのが福島区野田。過去の探検で何度か訪れているが、野田から福島、鷲洲にかけては戦災に遭わなかった古い町並みがそこかしこに残っている。仁丹歯磨のロゴが入っている仁丹町名看板の大阪バージョンや、古びた薬局にオロナイン軟膏があったりして、炎天下の町歩きといえども楽しい。
しかし、楽しく感じたのはほんのつかの間で、陽炎が揺れるアスファルトからは熱気が照り返し、汗はとめどなく流れ、リュックを背負ったTシャツはもうびしょびしょ。
歩数計の数値はまだ1万歩を超えたばかりだというのに、早くも熱中症一歩手前の状態である。
包丁とぎの看板を提げた古びた店の横に見つけた日陰に座り込んで、ペットボトルの水を浴びるように飲んだ。 汗が塩になって、帽子のヘリにだんだら模様を作っている。
ホーロー探検はまだ始まったばかりだというのに、すでに敗残兵の体たらくである。文字通りヘロヘロになって地下鉄の駅にたどり着き、しばしベンチで休んだ。
体力が回復したのを見計らって、地下鉄御堂筋線の長堀通駅から南空堀商店街を目指す。人通りがまばらな商店街には目当ての仁丹看板があった。大切に保存されているのだろうか、アーケードを支える柱に貼られていた。
地下鉄の中は冷房が効いて快適である。しかし、汗が引く間もなく谷町六丁目駅から次の目的地へ。距離にして2㎞といったところだが、森下仁丹本社ビルに貼られた看板の前に立つまでが、とてつもなく長く感じた。
太陽は頭上高くにあって、容赦なく熱を降り注ぐ。タオルを首に巻いて、汗を拭きつつ、仁丹看板の前に立った。この看板は京都タイプのデザインで平成になって貼られたものだが、仁丹看板を追っかける身としては外すことができない代物である。
炎天下の探検はまだまだ続く。歩数計の数値は2万歩を超えている。東成区、旭区、豊島区の仁丹看板を撮影しながら移動するが、東住吉区の平野にたどり着いても暑さは一向に衰えず、厳しい町歩きとなった。
「平野政所町一丁目」の仁丹看板は事前のストリートビューでも見つけることができず、予想はしていたが結局見つからなかった。
すでに午後4時を回っていたが、足の痛みに耐え、体力の限界近くまで歩いてみたが発見できない。次にリベンジするしかないようだ。
この日の最後は阿倍野区王子町にある仁丹看板。地下鉄昭和町駅から最後の力を振り絞って歩く。精肉店でコロッケを揚げているおばちゃんを横目で見ながら、路地に分け入る。
この看板もストリートビューで確認することができなかったいわくつきだが、ねらいが良かったのか最短距離のルートで見つけることができた。
時計を見ると午後6時。ついでに確認した歩数計は3万2千歩。後は、いく分涼しくなった町を今日のねぐらがある西成のドヤ街まで行くだけだ。
その後はいつもの新世界。想像するだけでもヨダレが出そうだが、その先には冷たいビールと串カツが待っている。
翌朝、陽が昇るとともに行動開始。中古車のような我が身に昨日の探検はあまりにも酷だったのか、身体が火照ってよく眠れなかった。
熱帯夜が明けた今日も、昨日とたがわず暑い一日となりそうだ。宿からJR新今宮駅までのほんの5分の距離ですでに汗ばんできた。
鶴橋から近鉄に乗り継ぎ八尾駅で下車。ここでレンタサイクルを確保し、いざホーロー探検へ。
八尾の探検も三度目だが、前回見逃した仁丹の町名看板を撮影するのが目的である。 八尾の仁丹看板は京都や大阪、奈良にある短冊形とは異なり、緑色の地の長方形。"スポーツに"や"映画に""気分転換に"といったコピーも入っており、ここにしかないタイプなのだ。
ペダルを漕ぐこと2時間、事前にストリートビューで確認していただけに、予定通り5枚の看板を撮影することができた。
これで八尾の仁丹も9枚となったが、まだ残っている可能性はありそうだ。単身赴任が解かれ、いつの日か再訪するチャンスがあればじっくり探してみたいと思う。
八尾から奈良に向かう。クーラーが効いた電車の中が唯一の安らぎの空間である。汗がにじんで肌に張り付いたTシャツが気色悪いが、炎天下の町に飛び出せばそれも気にならなくなるだろう。
近鉄奈良駅前でレンタサイクルを調達し、奈良町へ漕ぎ出す。自転車は行動半径が広がるので効率よく回れたが、さすがに平城京跡近くにある「佐紀東町」の仁丹看板には気合がいった。
三段変速のママチャリがほんの緩い勾配にもかかわらず坂道を登ってくれず、脚を攣りながらペダルを漕いだ。
炎天下を歩くことを思えば天国だが、それでも汗みどろになりながらの探検となった。
この日のゴールは伏見区の桃山御陵駅近くで撮り逃していた仁丹看板を撮影した後、最後は城南宮にある町名看板で閉めた。
近鉄竹田駅からの往復4㎞が想像以上に厳しく、神社の境内にたどり着いた時には、立て続けにペットボトルを2本開けた。
それでものどの渇きを癒すことができず、荒い息を整えようと大きなクスノキの下で大の字になってまどろんだ。
幸いに参詣する人もおらず、人目をはばかることなく蝉しぐれを浴びながら目を閉じた。 時折爽やかな風が通り抜けると、ほんの少しだが五感が安らいだ。
過酷だった真夏の二日間を忘れるひと時だった。
(2016.2.14記)
※画像上/奈良市奈良町の風景。この日の気温は37度。じっとしていても汗が噴き出てくる炎天下の午後。
※画像中/猛烈な暑さのけだるい午後、Yの字に分かれる変わった道があった。大阪市。
※画像中/大阪市中津界隈。戦災を逃れた町並みが今も残っている。
※画像下/大阪市新世界。通天閣の下に広がる町で、雑多でディープで、怪しげな雰囲気がなんともいえない。
※宿泊/ビジネスホテル福助(大阪市西成区)和室三畳。新世界からほど近い"あいりん地区"にある素泊まり1500円のホテル。3畳一間で風呂、トイレは共同。「今日は何しに来はったの?」と、開口一番。…宿のご主人にも顔を覚えてもらったし、すでに定宿状態で、大阪に来るといつもこのホテル。独房のような感じも好きですが、慣れてしまえば快適。大浴場あり。☆☆☆☆★