ホーローの旅
レポート328 去りゆく夏の札幌ホーローウォーキング
2015.8.30
北海道札幌市
雨模様の仙台を出て3時間後、からりと晴れた札幌の町を歩いている。
抜けるような青空だ。東北地方は秋雨前線の影響でずっと天気が悪いのに、北の大地北海道はまるで別世界。
時折吹き抜ける冷たい風が、秋の訪れを示している。ともあれ、雨に濡れない町歩きはありがたい。
札幌駅北口を出て15分。目的の民家の前に立った。ストリートビューで偶然見つけた民家には2枚の町名看板があった。
これまでにも札幌市内で町名看板を見つけてきたが、札幌駅からほど近い都心に、まさか看板が残っているとは思わなかった。
1958年(昭和33年)に開催された『北海道博』のロゴが入った看板は赤と青の2種類。今でも営業しているかどうかは不明だが、スポンサーは薬局と洋品店である。
町名看板が貼られた民家からほど近くに醤油と味噌、地酒の看板を貼った酒屋があった。過去にも何度か訪ねている看板商店だが、町名看板に気が付かなかったことが間抜けである。
さて、この酒屋、以前訪ねた時には店舗の正面にも『清酒千歳鶴』の看板があったと記憶しているが、すでに消失していた。昭和チックな店構えも味があるだけに残念である。
札幌駅に戻り、地下鉄東西線に乗り換えて南郷7丁目へ向かう。ここからがウォーキングの本番だ。
まず目指すのは『本郷通8丁目』の看板。ネットを検索していて見つけた物件である。ストリートビューで確認できたこともあって、簡単に見つかるだろうとタカをくくっていたがどれだけ探しても見つからない。
半ば諦めかけた頃、振り返った民家にその看板はあった。 スポンサーとなっている北洋相互銀行は1951年(昭和26年)から1989年(平成元年)まであった銀行で、現在は北洋銀行として継続している。
町名看板には情報が詰まっており、スポンサーになっている企業や施設を調べることで、おおよそであるがその看板が作られた時代背景が分かる。 ちなみに、『本郷通8丁目』からすぐの距離にあった『白石町本通9丁目南』の看板のスポンサーは、道銀白石支店だった。
この支店は現在も営業をしているので、スポンサー付きの看板としても現役で通用すると思う。 今回の目的は札幌の町名看板を探すことだが、午後から始めたウォーキングの最後のターゲットは、中央区屯田にある『バンビキャラメル』がスポンサーになった町名看板。
札幌駅まで戻って、地下鉄南北線の中島公園からのんびりと歩き出す。 道幅が広い菊水旭山公園通りから一本北の道を辿っていく。
年季が入った木造の民家もあって、ホーローウォーキングとしても"そそる"エリアだが、期待に反してお宝の姿はなかった。
『バンビキャラメル』は小樽・池田製菓の人気商品。情報によると、バンビの可愛いイラストが入った『南九條西十四丁目』の町名看板には"講和記念"のロゴが入っており、これは1951年(昭和26年)に連合国と日本の間で結ばれたサンフランシスコ講和条約のこと。すでに半世紀以上も経過して、この看板が残っていることに驚きである。
しかし、目的の住所にたどり着いてみると、あるべき場所にあった看板が消失していた。2013年度のストリートビューでは確認できるのに、遅かったとしか言いようがなかった。
札幌市に残るホーロー製の町名看板は今回の収穫を含めると11枚となったが、まだまだ残っていると思う。
現行の町名看板(街区表示板)は、札幌市の場合、条例によって区制施行の1972年4月から設置が始まったそうだが、歴史を物語るホーロー製の看板がひっそりと残っていることに深い感動を覚える。
『バンビキャラメル』の町名看板の例にあるように、人知れず消えていく運命にある看板だが、町角の板壁にいつまでも残ってくれることを願ってやまない。
ほんの数時間の、秋風が吹く札幌の町歩きだったが、北海道の歴史を物語る看板たちに出会えただけでも実りある経験だったと思う。
(2016.2.27記)
※画像上/札幌市中央区屯田近くで見つけた建物。昭和チックの古いマンションのようです。
※画像中/倒壊寸前の廃屋に茂っていた草花。
※画像下/薄曇りの札幌市内を歩く。