琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート330 四日間で17万歩、東京ホーローウォーキング 前編

2015.9.19-22
東京都中野区~杉並区~新宿区~葛飾区~千葉県市川市~東京都江戸川区


探検レポート330

京都の仁丹看板と並ぶ、町名看板の大票田が大都会東京。
同好者のTMさんのサイト『悠久の思い出』によると東京23区で記録された看板の数は267枚。関東一円に目を転じるとその数は更に186枚上乗になる。
京都の仁丹看板700枚には及ばないが、町名看板に至っては魅力的な一大エリアに違いない。 そんな東京の看板群をずっと気にしながらも、あまりに大きなターゲットに躊躇し、手が出せないまま10年が経過した。
しかし、昨今の拍車がかかった看板消失状況を目にするにつれ、もはや一刻の猶予もなく、今行動を起こさなければ、きっと後悔することになるという思いが日増しに高まってきた。
そんな思いを胸に、いよいよ東京の町名看板にチャレンジする四日間の旅が始まった。

▼9月19日
午前5時。仙台を23時40分に出発した夜行バスが新宿駅のロータリーにゆっくりと停車した。
夜が明けきらぬ喧騒の町に、固まってしまった足腰をさすりながらバスのステップを下りた。これから始まるのが四日をかけてのホーローウォーキングである。
リュックに入れたのはわずかな衣類、カメラと看板の所在を示す200件を超すマーキングと付箋を貼った地図のみ。

探検レポート330

夏と秋の狭間、9月の中旬といえども東京はまだまだ残暑。とにかく歩き続けなければいけないので、体力勝負となるだろう。
新宿駅から始発の地下鉄丸の内線でまず向かったのが新中野駅。
徒歩で5分ほどの本町3丁目には2枚の町名看板があることが分かっているが、『3丁目8』はいきなり空振り。
一枚目からこれでは、今回の探検の行く末を暗示するようでいやな雰囲気だが、気を取り直して二枚目の『3丁目12』へ。
目的の看板はブロック塀に"しおらしく"貼られており、ようやくスタートラインに立つことができた。
さて、これからが本番である。 JR中央線中野駅までの3キロを、スタンプラリーのように看板を撮影しながら北上していく。歩き始めなので、足慣らしにはちょうど良い距離である。
中野駅前で朝食の立ち食いそばを掻き込み、電車移動で高円寺駅へ。高円寺から阿佐ヶ谷にかけては看板が多く残っているエリアなので、距離はあるがここは徒歩で一枚づつ撮影していくことにする。
TMさんのサイトに収録されていない初見看板を含めて、10枚をゲット。
歩数計の数値を確認するとすでに2万歩を超えている。普段の生活では1万歩がやっとなので、午前10時の段階でこの数値は凄いハイペースである。
日差しも強く、汗を拭きながらの行軍となった。 まだ初日が始まったばかりだとうのに、早くもヘロヘロ状態でJR阿佐ヶ谷駅の改札に立ち、隣の荻窪駅まで電車。あっという間に着いてしまうが、シートに座っている乗車中が一番の休憩タイムだ。
『天沼2丁目17』の看板は東芝がスポンサーになっているタイプで、家電メーカーを始めとしたメジャー系タイプは杉並区には比較的残っているようだ。

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中央線荻窪駅から隣の西荻窪へ。2枚の町名看板とお茶の看板をゲット。
『林屋製の茶』は初見のタイプで急須を模ったユニークな姿看板である。都内でこうした看板が残っているだけでも嬉しい。
今回の旅はとにかく忙しい。今度は西荻窪駅からバスで下井草へ移動。この段階でJRや都営バス・地下鉄が使える1日乗車券を買っておけばと思ったが後の祭りである。
名古屋にいた時から使っている『manaka』に現金をチャージして乗降口を抜けていく。
下井草周辺で6枚を撮影するが、中でも珍しいのは住宅地図がそのままホーロー看板になったタイプ。
『住居表示案内図』とあり、余白部分にはしっかりとミシン販売店のスポンサー名が入っていた。
下井草駅から西武新宿線に乗り鷺宮駅で下車。時刻は12時30分、太陽は頭上高く、すでに東京の住宅街は炎天下にある。
鷺宮から野方、そして江古田まで約5キロをひたすら歩く。
焼けたアスファルトの路面には季節外れの陽炎が揺れ、歩き疲れた脚は、自分の脚でない感覚。足の裏には早くもマメができてきたようだ。
買い物客でにぎわう布袋の商店街を抜け、汗びっしょりになって西武新宿線の布袋駅に着いた。
すでに今日の探検も後半戦に入っているので、休憩もほどほどに入線してきた電車に飛び乗って中井駅に向かう。
乗り物と徒歩の探検もここまでくると、電車やバスに何回乗ったか数えるのが面倒になってきた。初めは経路をメモしていたが、それも途中でやめた。とにかく、本日の計画を遂行するのみだ。
中井駅からは上落合の住宅街を抜け『東中野5丁目17』の看板を撮影した後に往路を引き返し、再び中井駅から地下鉄都営大江戸線と丸の内を乗り継いで中新橋駅へ。
本日最後の踏ん張りである。弥生町、南台、方南の町名看板を痛みが走る足を引きづるように歯を食いしばって5キロを歩き通した。
方南駅前では大宮八幡の祭礼が行われており、夕暮れの商店街に太鼓の音が響いていた。
この日は町名看板を36枚撮影し、歩数計の表示は45740歩。歩いた距離は約25キロだった。

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▼9月20日
南千住駅の近くにある宿で目覚める。
場所は"山谷"と呼ばれる一角で、宿のご主人が、「ここは簡宿(簡易宿泊所のこと)なんで、ふつうのホテルとは違いますよ」…と開口一番。
三畳くらいの部屋にパイプベットとテレビ、そして部屋に似つかわしくない大型の冷蔵庫。トイレ、風呂は共同だが、風呂は高級旅館並みの清潔さと機能があった。
昨日の探検がハード過ぎたのか、全身筋肉痛。足の裏はマメができて水泡になっている。
針がなかったので、爪楊枝でマメをつぶして消毒し、応急処置をした。
初日の4万歩超えはもちろんこれまでの最高記録で、齢56才のオヤジとはいえ、よく歩いたものである。
さて、二日目はJR南千住駅から金町駅へ。千葉県と隣接する県境の町である。
葛飾区金町はJR金町駅を境に南北に渡って町名看板がたくさん残るエリアだ。ここではとにかく歩いて撮影するだけなので、ストリートビューでチェック済の看板をスタンプラリーよろしく訪ねていく。
そのまま柴又駅まで歩き、帝釈天へ。看板探しを抜きにしても、ここはどうしても訪ねたかったスポットである
。柴又といえば"寅さん"。山田洋二監督の『男はつらいよ』シリーズ48作をすべて観た自分としては聖地のような場所なのだ。
帝釈天の参道には『とらや』のモデルになった『高木屋老舗』があり、寅さんが楊枝を咥えて、「よぉ~」と今にも出てきそうな雰囲気そのままだった。
名物の草だんごを食べながら帝釈天や寅さん記念館を見学し、矢切の渡しの入口まで行って柴又駅に戻った。
金町、小岩、千葉県市川は距離も近く、町名看板の密集地帯としてホーロー探検のやりがいがあるエリアである。交通機関をうまく使えば、効率的に看板探しができそうだ。
京成柴又駅から高砂駅を経由して京成本線を国府台駅へ。小さな改札をくぐり、北に延びる松戸街道に沿って歩き出す。

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交通量が多く、しかも歩道もないので、後ろからクルマにぶつけられそうで怖い。
千葉商科大学の周辺にある2枚の看板を撮影するが、そのうちの一枚は民家の塀に貼られており、ちょうど庭木の剪定中だった年配のご主人に許可を貰って撮影した。
しかし、当のご主人は看板にはまったく無頓着なのか、「え、看板なんかあったかぁ…」という返答。目の前の看板を指して撮らせてもらった。
帰路の3キロは時間を短縮するためにバスを利用し、そのまま終点のJR市川駅まで乗車。市川駅の周辺は東京のベットタウンらしく、なかなかの賑わいである。昼食を済ませた後、4枚の看板を撮影した。
市川駅に戻り、江戸川を渡ってJR小岩駅に到着。このエリアには10枚の看板が記録されており、地図を片手に一枚づつ訪ねていくが、きつい西日に向かって汗だくの歩行の割に、見つけ出した看板は7枚という結果に終わった。
探検二日目は歩くペースもつかめてきたのか、3万9千歩という数値に関わらず快適なウォーキングとなった。
今はただの交差点になってしまったが、かつての山谷の象徴だった『泪橋』を渡り、宿が見えてくるまでの道すがら、ビールで喉を潤すことをひたすら思い描きながら、すっかり暗くなった町を急ぐのであった。(つづく)
(2016.3.13記)
※画像上/京成柴又駅広場に建つ寅さんの銅像。
※画像中/中野区江古田の町名看板が貼られた民家。静かな住宅街に趣がある民家あり。9月19日。
※画像中/葛飾区金町の神社の境内で出会った猫。9月20日。
※画像中/杉並区方南町で見つけた夏祭り。商店街には提灯が下がり、太鼓の音が響いていた。9月19日。
※画像下/葛飾柴又の帝釈天参道。寅さん映画で見慣れた風景がそのままあった。名物の草だんごを頬張りながら歩く。9月20日。
※宿泊/『ほていや』素泊まり2800円。南千住駅から徒歩10分のいわゆる山谷にある。旅慣れた人には申し分ない宿。3泊したが、シーツの取り換え、掃除はなかった。☆☆☆☆★



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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