琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート331 四日間で17万歩、東京ホーローウォーキング 後編

2015.9.19-22
東京都大田区~品川区~目黒区~足立区~荒川区~豊島区~文京区


探検レポート331

▼9月21日
住めば都で、三畳一間のまるで独房のような殺風景な部屋も、思いのほか快適である。
「夕方には戻るよ」と言いながら、宿のご主人に見送られて出発。日頃の行いが良いのか、三日続けての快晴。今日も思いっきり汗をかきそうだ。
JR南千住駅から山手線に乗り継ぎ、品川から京急に乗り換えて梅屋敷で下車。本日の探検のスタートである。 『東蒲田1丁目12』の町名看板はごくふつうの民家のブロック塀に貼られていた。
東京の町名看板はブロック塀に貼られているケースが一番多く、次いで板壁、トタン板といったところだろうか。京都の仁丹看板は貼られた歴史も古く、年季が入った町家の板壁に貼られているのがほとんどで、ブロック塀はごく稀である。
東京で町名看板を探すポイントは、まずはブロック塀がある古い民家となりそうだが、こうしたロケーションはゴマンとあるから、行き当たりばったりで見つけることは砂漠で針を拾うようなものだろう。
ネットで情報を集め、更に、グーグルストリートビューで机上探検して見つけ出すことが、最近の私のパターンである。 一枚目の看板をすんなり見つけたことに気を良くして、再び京浜本線に乗って六郷土手駅で下車。西六郷に向かう。
地図で見るとざっと3kmの円の中に3枚の看板が点在しているが、最短距離で撮影してゴールの雑色駅に戻ると4kmくらいの距離になりそうだ。
この二日間でざっと50kmを歩いてきたので、歩くことに対して感覚がマヒしてしまったのだろうか。4kmくらいは何でもなく感じる。
西六郷の看板たちは、神社やお寺、小さな町工場と民家が雑多に入り混じる一角にあった。
『西六郷1丁目35』の看板は、大きな酒販会社の倉庫の近くにあり、町の雰囲気も昭和レトロな空気が濃厚に漂う一角に貼られていた。
東京にあって、まだこうした風景が残っていることにうれしく思うが、ここから西へ直進300㍍も行けば多摩川に出るし、川の向こうは神奈川県なのだ。
さて、3日目も絶好調なウォーキング男は歩くことに取りつかれたようだ。
ゴールの雑色駅には向かわず、そのまま多摩川の堤防を歩いて『矢口3丁目』の看板を撮影、更に東急多摩川線の武蔵新田駅を横目で見ながら『千鳥』の看板を。

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それでもまだ歩き足らないので、東急池上線の池上駅近くにある2枚を撮影して、そのまま西蒲田を通り抜けて、JR蒲田駅にゴールした。歩数計の数値を見ると歩いた距離は13km、3時間の行程であった。
午後からは目黒区に移動し、原町、目黒本町、そして西五反田の看板を訪ねた。原町界隈はクルマ一台がやっと通れるような狭い道に賑やかな商店街が続いていた。
似たような風景が続く住宅街よりも商店街はぶらり歩きするにも楽しく、足の痛みも感じないほどだ。
この日の最後は東急東横線都立大学駅から至近にある『八雲』の4枚を撮影したが、日没までまだ時間があることをいいことに、最後は京王線代田橋駅まで移動し、『和泉』の3枚の撮影に向かった。
しかし、最後がいけなかった。3枚目の『方南1丁目25』の看板がどうしても見つからず、気落ちした反動からか、疲れが怒涛の如く出てくるのであった。
3日目の歩数は44400歩、24キロだった。

▼9月22日
四日連続の快晴となった。南千住駅の架線橋から見下ろすレールの群れに、ゆっくりと入線した電車が悲しい汽笛を響かせている。季節は確実に秋となっているようだ。
最終日の今日は、東京駅から17時の仙台行きバスに乗ることを考えると、遠くまで足を延ばせない。南千住を起点として、荒川区、足立区、文京区を中心に歩くことに決める。
北千住駅から西に歩き、日光街道を横切ってすぐの『千住宮元町』の看板を撮影。ここから千住寿町にかけては、古いモルタルのアパートがあったり、突然、直角に曲がる路地が現れたり、鳳凰の彫刻を掲げた歴史を感じる銭湯があったりと、下町の風景を拾えるエリアだ。

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そのままのんびりと北に向かって歩き、荒川に架かる千住大橋を渡る。他サイトの情報では、対岸の『梅田』や『足立』には4枚の町名看板が収録されているが、残念ながら1枚が消失していた。
かなり以前に無人になったかに見えるトタンで囲まれた民家には、明らかに看板を剥がした痕が残っていた。
東武伊勢崎線の五反野駅まで歩き、竹ノ塚駅で下車。『竹ノ塚1丁目21』の看板は、線路脇の民家のブロック塀に貼られており、車窓からもよく見えていたので労せずしてカメラに収めることができた。
ここからすぐに踵を返して、西新井駅から近い『梅島3丁目』の看板を撮影して、再び五反野に戻って『青井2丁目』に向かう。
小さな町工場が並ぶ一角には、向かい合わせのブロック塀に2枚の看板が貼られていた。カメラを引くと2枚の看板が収まるアングルとなるので、東京の町名看板を追う一部のマニアには有名な風景として知られている。
何とも忙しいが、そのままつくばエクスプレスの青井駅まで歩き、北千住駅から地下鉄千代田線に乗り換えて町屋駅で降りる。
『荒川4丁目』界隈には3枚の町名看板が残っているが、この辺りは下町情緒たっぷりで、緩やかにカープする道を歩くと、豆腐屋や板金屋、居酒屋などが軒を連ね、どこか心落ち着く風景が広がる。
しかし、そんな気持ちも一瞬で固まってしまった。夢中でカメラのシャッターを切っていると、いきなり「何やってんだ、このヤロー!!!」の罵声。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、どうやら外を伺っていた家主が家の中から私に怒っているようだ。
さすがにこれには心が動揺してしまい、そそくさとその場を離れることにした。 さて、気を取り直してホーローウォーキング再開である。
荒川から東尾久、日暮里駅までの5kmを行く。四日目ともなるとさすがに疲れが出てきたのか、息が切れる。

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早朝は肌寒かった気温が、いつの間にか50を超えた老体を汗だくにする仕打ちをしてくれる。帽子ににじんだ汗が塩になって白くふいているのを見ると、それが勲章のようにも見えて、頑張っている老体を褒めてやりたくなる。
日暮里駅で昼食を摂り、アイスコーヒーを飲んだりしてゆっくりと過ごすことにした。靴下を脱いでみると、くるぶしから下が全体的に浮腫んでおり、足の裏には水泡を孕んだ大きなマメがそこかしこに出来ていた。 (痛いわけだよなぁ)…今さらだが、痛みを感じないくらい歩いていたことに驚く。
この日の最後は、東京大学近くにある看板を撮影して打ち上げとした。
静かな本郷の町を歩くと、洒落たマンションの群れのなかに、小説に出てきそうな木造の民家が忽然と現れ、そこだけがレトロな空間に包まれているようだった。

17万歩、約100キkmの距離をひたすら歩いた四日間だったが、振り返ってみれば、東京の町をほんの少し横切った程度のボリュームでしかなかったと思う。
撮影した看板も100枚程度で、ようやくスタートラインを超えたに過ぎない。
大都会・東京は果てしなく広く深い。
知らない町の、まだ見ぬ看板を求めて、再チャレンジを誓いたい。
(2016.3.19記)
※画像上/多摩川の河川敷を歩く。遠くに高層ビル群が見える。9月21日
※画像中/都電荒川線の電車がコトコトと走る風景。荒川区荒川付近。9月22日
※画像中/足立区千住寿町付近には古いモルタルのアパートが並ぶ一角があった。9月22日
※画像下/荒川区荒川の風景。小さな商店や町工場が並ぶ下町情調が溢れる界隈だ。9月22日



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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