ホーローの旅
レポート337 年の暮れ恒例の京都へ、仁丹看板探検
2015.12.28-29
京都府京都市
JR京都駅の改札を出ると、コンコースは真っ直ぐ歩けないほどの人でごった返していた。
恒例となった暮れの探検も今年で5回目である。 いつものように、駅前のレンタサイクルで三段変速のママチャリを調達し、ゆっくりと漕ぎ出す。
雨のため日帰りとなった昨年の探検からちょうど一年。今年は天気も安定し、一泊の探検ができることに感謝だ。
最初のターゲットは『東九條御霊町竹田街道九條大路下ル西入』。これまで何度も探したにも関わらず僕の手を擦りぬけてきたが、アタリをつけて踏み込んだ狭い路地に目当ての看板が光っていた。
幸先の良いスタートである。 2005年から探し始めた京都の仁丹町名看板も、探検を重ねるうちに見つけた数が641枚となった。
仁丹看板をこよなく愛する集まりである京都仁丹楽會が2013年に行った調査によると、740枚の看板が残っているということだが、単純な計算ではあと100枚の未発見があるということだ。
しつこく探してみてもどうしても見つけることができず、消失したと考えていた看板もたくさんあったが、その後のストリートビューの机上探検で、あっさりと現存を確認できた看板も増えてきた。今回は2年前に作ったリストに手を加えながら、地図のプロットを再作成してのチャレンジである。
九條からJR線をくぐり七條へ。撮り逃していた『新町通七條下ル夷之町』を撮影して、『不明門通七条下る東塩小路町東三町』へ向かう。この看板は平成になってから設置された看板だが、すでに字がかすれて読めない状態である。京都駅から近く、人通りが多い商店街にあるが、どれだけの人がこの看板に気づくだろうか。
このままではすっかり読めなくなってしまうのも時間の問題だろう。 鴨川の西にあたる早尾町や岩滝町周辺にはお茶屋が軒を並べる一角もあり、京都らしい情緒を感じるエリアである。
仁丹看板はそんな町家にさりげなく貼られていた。何度も訪ねているが、季節を変えて歩きたくなる風景である。 夏には納涼川床が並ぶ鴨川を見ながらひたすらペダルを漕ぐ。
昼になっても気温は上がらず、薄手のダウンを着ていても寒さがしみる。京都の探検は冬と決めているが、年々寒さに弱くなっていく身には、自転車での探検は思った以上に辛く感じる。
相変わらず観光客で溢れている八坂の搭に続く参道を自転車を引きながら登る。仁丹看板を保管している商店がこの界隈にあるが、今回も空振りだった。
この店はいつ来てもシャッターが閉まっており、仁丹看板を探している同好者には酷な物件である。
商店内に貼られている看板はそれほど多くないが、店舗が休み、あるいは休業状態にあると残念ながらあきらめざるを得ない。五条通にある貸衣装屋も同様で、こうした例はいくつかある。
しかし、老舗の旗屋さんにあるという看板はうれしいことに見事にストライク。店主に撮影許可を貰ってカメラに収めることができた。
五条通から宮川筋に入ると提灯が下ったお茶屋が並び、歴史の街である京都を象徴する風景が展開するが、こんな一角にも仁丹看板が貼られていた。
更に、狭い路地に飲食店が軒を並べる先斗町にも3枚の仁丹看板を見つけた。 そのうち2枚は平成版で、観光客を意識して貼ったのでは?という気がしないでもない。最も、圧倒的に日本人よりも外国人の観光客のほうが多いから、仁丹看板を見ても何を感じるのか分からないが。
初日の探検は下京区を中心に陽が落ちるまでペダルを漕いだ。最後に撮影した役人町の看板はマンションのエントランスに貼られており、そのロケーションからこれまで見つけ出すことができなかった一枚だった。
駐車場のポールに針金で固定されていた霞屋町の仁丹もしかり。錆びてボロボロになっても残っている根性に感謝である。
二日目。快晴の朝を迎えた。京都ではリーズナブルな町家風の旅館によく泊まるが、今回は河原町にあるビジネスホテル。自転車をエントランスに置かせてもらえたのはありがたかった。
ジョギングや散歩をする人を擦すり抜け、朝日に輝く鴨川べりを北上し、川端東一条から京都大学吉田キャンパスに向かう。
吉田牛ノ宮町には4枚の仁丹看板があり、住宅街にあったその内の1枚は初見だった。
出町柳から高瀬川に沿って国道367号線を北上し左京区に入る。一輌電車がコトコトと走る叡山電鉄沿いの集落には4枚の看板が見つかっているが、『上高野畑ヶ田町』がどうしても見つからず、ごみステーション前で井戸端会議の真っ最中のおばちゃんたちに不審な目で見られながら、集落内を行ったり来たり。まぁ、こんなこともある。
二日目の最大の目的は左京区の看板を探すことだが、中でも松ヶ崎エリアの看板は2013年の探検では一枚も見つけることができず、いつかリベンジをと思っていた。
今回、ストリートビューを活用したこともあり、3枚を見つけることができた。 2014年のビューにばっちり写っていた『松ヶ崎御所ノ内町』は、マンションの入り口の庭木に貼られているはずだが、見当たらなかった。
後日確認したところ、この看板は祇園の飲食店街に展示されていることが分かった。看板の消失や転売が相次いでいるが、こうした形で京都市内で二次利用されていることは、同じ消失にしろむしろありがたく思う。
さて、レンタサイクルをひたすら漕ぐ探検も午後を回り、腰や足に痛みが走るようになってきた。
こんなことを10年以上続けているが、やはり年には勝てない。(次は、電動サイクルにしよう…)と弱気になりながら、紫野柏野町から南下して、太秦に向けてペダルを漕いだ。
東映映画村がある太秦は、仁丹看板が貼られた範囲では一番西のエリアにあたる。民家の二階の壁にある『太秦多藪町』はすぐに見つかった。太い筆で書かれた堂々した字体である。
太秦の商店街に入ると、すでにクリスマスは過ぎたというのにサンタの衣装を着けた大魔神の像が迎えてくれた。少年のころ、リアルタイムで観た映画である。大魔神が優しい埴輪の表情から鬼の形相に変わる場面が恐ろしくて、あれから50年も経ったというのに、いまだに強く印象に残っている。
大魔神から更に太秦街道を西に走り、雷電嵐山本線沿いで2枚の看板をカメラに収め、太秦の探検を終えた。
すでに陽は傾いている。ホーロ探検を初めて10年が過ぎ、足腰が痛いと言いながらも体力も気力もまだまだ大丈夫だ。
今年も仁丹看板を探す旅で一年を締めくくることができた。
来年はどんな年になり、どんな探検が出来るだろうか…そんなことを思いながら、京都駅までの遠い道のりをひたすらペダルを漕ぐ、年の終わりだった。
(2016.7.2記)
※画像上/叡山電鉄の一輌電車がコトコトと走る。上高野三宅八幡駅近く。
※画像中/八條内田町付近。古い家屋が軒を並べる、落ち着いた住宅街だ。
※画像中/太秦の商店街にある大魔神像。クリスマスはとっくに過ぎたのに、いまだにサンタの衣装を着けていた。
※画像下/早朝の鴨川の景色。夏には納涼川床が並ぶ、京都を代表する風景である。
※宿泊/『京都リッチホテル』素泊まり4500円。河原町五条近くにあるビジネスホテル。京都市内にあってはリーズナブル。☆☆☆☆★