琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート340 ぶらり埼玉ホーローウォーキング

2016.2.11
埼玉県越谷市~さいたま市


探検レポート340

東武伊勢崎線越谷駅で下りると、冬とは思えぬ柔らかな日差しに包まれた。
空は雲一つなくどこまでも青い。 江戸時代に交通の要衝であった越谷宿の中心、越谷本町へ続く旧道には木造の古い内科医院や黒い壁と瓦の重厚な建物が並び、古い町並み好きの自分にはうれしい風景。
カメラを向けながらのんびりと歩く。 昭和の世界に引き戻されたような錯覚を感じる、トタン板のホーロー看板が貼られた堂々とした構えの金物屋に立つ。
実はこの店を訪ねるのは二度目である。2007年に取材したとき、店の壁面に貼られた町名看板にはまったく気付かなかった。何ともどん臭いが、こうしたことはよくあるパターンで、後になって気づくことが多い。
『越谷本町3』の町名看板は商店の軒下の樋に隠れるように貼られていた。まずは本日一枚目のゲットだ。
前回の探検ではここで引き返しているので、そのまま北越谷駅に向かって歩いていく。 乾物店と書かれた木造の店にはキッコーマンの看板が貼られ、そのまま歩を進めた廃屋の壁には町名看板があった。
情報を得ていた町名看板を更に2枚撮影し、北越谷駅に到着。JR武蔵野線を乗り継いで浦和に向かう。

探検レポート340

当サイトとリンクしているTMさんの『悠久の思い出』には、浦和の町名看板として9枚が収録されており、地図にプロットするとそれらのほとんどがJR北浦和駅までの間に残っていることが分かった。
そうなると、ここはウォーキングを外せない。駐車場の金網フェンスに貼られた浦和駅至近にある『東高砂町8』は、表示も浦和市となっていた。
町名看板は減少の一途を辿っているが、2001年にさいたま市になってすでに15年が経過したにもかかわらず、こうして残っていることに感謝である。
さて、この"浦和市"の看板であるが、北浦和駅までの5キロのウォーキングで5枚を見つけた。
最後の『常盤2丁目12』を発見した時にはさすがに足が痛くなった。普段ならこの程度の歩数で足を痛めることはないが、このところの運動不足で鈍っているのだろうか。それとも年だろうか…。
午後を回り、最後の目的地、大宮に向かう。 JR大宮駅近くで遅い昼食とするが、つけ麺の有名店『大勝軒』で大盛を頼んだのが失敗だった。普通盛でも量が多いということを知らず、半分も食べれずに席を立つことになった。
さて、満腹になったし、今回の旅、最大の目的地である看板商店に急ぐ。この商店はネットで偶然に見つけたものだが、店内にレアなホーロー看板があるようだ。
商店街の一角に建つ店の外観は、とても老舗とは思えぬ佇まい。意を決して店内に入り、温厚そうな店主に来意を告げる。

探検レポート340

これまでの経験では「ホーロー看板を撮影したい」と切り出すと、たいていの主は一瞬表情をこわばらせ引いてしまうが、この店のご主人は快く承諾してくれた。 どうやら看板以外にもミニカーや古い道具が飾られた店内の様子に興味をもって、来店する客がいるようだ。
店内のホーロー看板は『カルピス』を筆頭に全部で6枚。看板の話に花が咲くと、ご主人は倉庫から「こんなものもありますよ」と、タタミ一畳ほどもある『賀茂鶴』の看板を出してきてくれた。
『酒王賀茂鶴』は広島県西条の蔵元で、看板の右下には"昭三四東京熊本間張付"のロゴがあつた。
旧国鉄東海道本線から山陽本線、鹿児島本線に沿って、この看板が貼られたことはあまりにも有名で、今ではどの沿線にもほとんど残っていないが、埼玉県の酒屋でこのいわくつきの看板と、まさか出会えるとは思わなかった。
思わぬうれしい誤算があった大宮の酒屋を後にし、最後の力を振り絞って4枚の町名看板の撮影に向かう。 現金なもので、足の痛みもなくなっている。
JR大宮駅を中心に広範囲に散っている町名看板4枚を最後は快調な足取りで撮影し、うららかな冬の一日となった、ウォーキングを終えた。
(2016.9.4記)
※画像上/江戸時代に越谷宿があった越谷市越谷本町を歩くと、こうした旧家に出会うことができる。
※画像中/越谷宿で見つけた石造りの防火用水。
※画像下/さいたま市のJR大宮駅界隈。飲食店がにぎやかに並び、とてもホーロー看板が潜んでいるように思えない町並みだ。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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