琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート343 京都仁丹ホーロー旅【最終章】

2016.4.30-5.1
京都府京都市


探検レポート343

正月以来の久しぶりの帰省だというのに、翌日には京都駅のコンコースを歩いている。
さすがにゴールデンウィーク、駅の構内は観光客の老若男女でごった返し、聞き慣れない外国語も飛び交っていた。これから始まる二日間は、【最終章】と位置付けた仁丹看板探しの旅である。
2005年から始めた京都の仁丹町名看板もこれまでの15回にわたる探検で、重ねた数字は672枚となった。
京都市内に残る仁丹の町名看板を研究する集まりである「京都仁丹樂會」が行った2013年4月の調査によると、仁丹看板の確認枚数が木製を含め1359枚(昭和62年~)、現存枚数が740枚あることが分かっているので、何としても700枚の大台に乗せたい。
ストリートビューを活用して手持ちのリストを再確認すると、何と50枚近くも未発見の看板があることが分かった。
看板たちがそのまま残っていれば、うまくいくと今回の探検で700枚突破である。 そんな思いを込めた探検が今回の目的なのだ。
10年に渡ってこだわってきた仁丹看板探しもいよいよ最終章である。

探検レポート343

▼4月30日
いつものように京都駅前でレンタサイクルを確保して出発。願ってもない晴天だ。
今回は泊まりの探検なので、初日の今日は下京区、そして翌日は上京区を中心とした京都市内を南北二分割にした探検である。
まず目指したのはJR奈良線東福寺駅から南に下った本町15丁目。
この界隈は2010年に訪ねているが、見逃していたのだろうか、狙いの『本町十五町目本町通東福寺北門下ル』は意外に分かりやすいロケーションにあった。
まずは1枚ゲットである。スタートでこけるとその後のモチベーションに影響するので、幸先が良い。
ここできびすを返し、新幹線の高架をくぐり正面通りへ。ペダルを漕ぐ足先に力が入る。
本音を言うと、今回は電動自転車にしてもいいかなと思っていたが、反面まだそこまで老いていないよなぁ…と気持ちを切り替えて三段変速を選んだ。 しかし、ちょっとした起伏で息が上がると、やはり電動だったかなぁ…と弱気になるのだった。
正面通で2枚目の初見看板を撮影し、八坂通、寺町通と順調に枚数を増やしていく。過去に撮影した看板も目に入ったらカメラに収めていくが、消失してしまったケースもあり、定点観測よろしく進む。
駐車場のフェンスにかろうじて貼られていた『大宮一丁目』は、錆で覆われながらもよくぞ残っていたと、褒めてあげたくなる看板である。これまで何度も探した看板だったが、こんなところに隠れていたのか。なかなかの"根性モノ"なのだ。
そして、初日の極め付きは『裏寺町通六角下ル西入松ヶ枝町』。京都一の繁華街、河原町通からほど近い一角に、忽然と現れた古い民家に貼られていた。
これまで私の目を何度もすり抜けてきた看板は、「見つかってしまったな」とあざ笑うかのように、全体を見せることなく、物干し台の側面にへばりついていた。
長年の宿題をやり遂げたような気分だ。この看板を撮影できただけでも今日の収穫があったというもの。いや~、うれしい!!

探検レポート343

時間を稼ぐため昼食はコンビニのおにぎりですませ、京都大学から岡崎エリアへ。京都でも指折りの観光地である銀閣寺へ続く哲学の道や浄土寺がある周辺は、現在の行政区は左京区となっているが、仁丹看板の表示は上京区である。
この辺りが左京区になったのは昭和4年(1929年)からなので、仁丹看板はすでに90年近くの時を刻んでいるわけだ。
さて、哲学の道にあるという『浄土寺南田町』はすんなり見つかったが、同じエリアにある『鹿ヶ谷宮ノ前町』と『鹿ヶ谷法然院町』は今回も見つからない。
これまで何度もチャレンジしているが見つけることができない2枚である。 後日、「京都仁丹樂會」にメールで確認したところ、すでに消失したというお返事をいただいた。この時点では知る由もなく、性懲りもなく翌日も探すことになった。
初日の収穫は初見看板が30枚、この時点で702枚となり大台に乗せることができた。
夕暮れまでひたすらペダルを漕ぎ続けた体力勝負となったが、古い町家の旅館に潜り込むと疲れがどっと出てしまい、あっという間に眠りに落ちた一日の終わりだった。

▼5月1日
うれしいことに今日も晴天だ。京都大学近くにある宿は昭和レトロそのもので、部屋がある二階から急な階段を下りると、ぎしぎしと鳴った。
夜が明けたばかりの早朝、向かったのが哲学の道。前日空振りとなった鹿ケ谷の2枚だが、やはり見つからなかった。残念だが、諦めるしかないようだ。
さて、ここからは文字通り東西奔走である。御所を横目にしながら丸太町通をそのまま西進し、西ノ京エリアに突入。

探検レポート343

ここで3枚の初見モノを撮影し、北野天満宮周辺の探検から紫野柏野町エリアへ。
上柏野町、中柏野町、下柏野町は西陣織の家内工場が残る町である。狭い路地にぎっしりと小さな家屋や長屋が連なり、いかにも下町といった風情が匂う。
仁丹町名看板も多く残っており、未発見の看板もたくさんあるエリアだ。 今回は探検の【最終章】と位置付けているので、それこそ路地の一本一本を舐めるように、ネコ一匹逃すまいと丹念に調べていく。
何度も同じ路地を行ったり来たりする"自転車オヤジ"は怪しい人と映っているに違いないが、探検の意欲がそれに勝ってしまう。
結果的にこれまで見つけることができなかった4枚を発見することができた。いずれの看板も難易度が高いロケーションにあり、なかでも『上柏野町西町』は、壁から剥がれ落ち、コンクリートブロックの下敷きになっていた。
午後を回り、最後は浄土寺真如町で探検を打ち止めとしたが、帰路の新幹線の時間を気にするばかりに、"流し探検"となってしまい、ねちっこい探検ができなかったことが心残りだ。
帰宅してから今回の成果を検証してみると、二日目の探検で18枚を上乗せ、合計は720枚となった。
しかし、新たな情報やビューでの新規発見、撮り逃した看板がいくつかあることが分かり、うれしい誤算というのだろうか、今回のチャレンジが【最終章】ではなく、更に【完結編】に引き継ぐことになった。
いずれにせよ、久し振りの京都探検は仕事を忘れ、風薫る5月の空気を思う存分に吸えた楽しい旅に仕上がったことが、うれしかった。
(2016.11.1記)
※画像上/ずらりと並んだ石仏。水子地蔵だろうか。北区西土居町。
※画像中/西ノ京内畑町あたり。古商店が並ぶ一角は静けさの中に落ち着きを感じる。
※写真中/北野天満宮近くで見つけた石仏を奉った祠。民家の片隅に佇んでいた。
※画像下/左京区浄土寺近くの神社。草深く埋もれていた。
※宿泊/『旅館はりま屋』素泊まり3600円。京都大学近くにある町家の旅館。四畳半ながら、自宅にいるような落ち着く空間。☆☆☆☆★



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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