ホーローの旅
レポート363 尾張から北勢へ、町名看板を探して
2019.3.25
愛知県大治町~稲沢市~愛西市~蟹江町~三重県四日市市~桑名市
2018年12月に赴任先の仙台で定年を迎え、6年ぶりに自宅に戻ってきた。
それから4ヶ月、何もせぬまま月日が流れ、ようやく本格的に始動したのが今回の日帰り探検である。
目的は愛知県西部から三重県北勢地方の町名看板。他サイトやGoogleストリートビューで見つけた情報も一日の探検を組み立てることができるくらい貯まっている。
特に多度(現・桑名市)エリアは看板の消失も加速しており、このままでは手遅れになりそうだ。 名二環甚目寺南インターを下り、最初に向かったのが大治町の看板看板。
ストリートビューでの事前調査では寂れたトタン張りの倉庫の片隅に転がってる看板が確認できたが、果たしてまだ残っているだろうか。 一抹の不安をもって現場に立ってみると、積み上げられた瓦の隙間に挟まったそれを見つけることができた。
半ば諦めていただけにラッキーである。瓦の上に立てかけて撮影し、撮影後は元の状態に戻してこの場を後にした。
次に(旧・祖父江町(現・稲沢市)の2枚の町名看板を撮る。祖父江町は銀杏の産地として有名で、神社の境内にあるイチョウの巨木を見ながらハンドルを握っていく。
『ここは上牧』と『ここは下沼』とも健在。町名の前に“ここは”という枕詞が付くのも尾張地方の町名看板の特徴である。
続いて愛西市→蟹江町とラウンドしていくが、車窓にはゼロメートル地帯特有の埃っぽいのどかな風景が広がる。
こうしてのんびりとハンドルを握り看板を探していくのはほんとうに久しぶりだ。忘れかけていたホーロー探検の醍醐味を思い出した。
午後を回り、時間を稼ぐため東名阪を利用し、四日市東インターから富田に向かう。『松原松武町』は古びたトタン張りの家屋に貼られていた。
三重県内では短冊タイプの町名看板は初見である。火事救急119のロゴ入りタイプは岐阜県や愛知県にある定番パターンだ。
ホーロー探検も後半戦となり、桑名市内から多度町(現・桑名市)を目指す。古い民家が並ぶ桑名市中心部では思ったとおり看板の消失が目立っていた。
更にそれは多度町にも波及しているようで、2015年に撮影した看板の消失を目の当たりにすると、町名看板といえども未来はなさそうである。
ただ、救いといえるのが養老鉄道沿いの集落で見つけた看板屋敷。 『オリエンタル即席カレー』『トーア毛糸』『トヨタミシン』『千代田ミシン』の4枚が貼られた木造家屋は看板屋敷としての存在感は十分だった。
おそらく昭和30~40年代に貼られた屋敷と思うが、50年以上が経過した今日に、風雨に耐えてそのまま残っていることが素晴らしい。
電車とのツーショットを狙って粘ってみたが、いつもで待っても電車は来ず、今更ながらにフェチな自分に苦笑するのであった。
(2019.8.7記)
※画像上/古い町並みが軒を並べる多度町中心部。都市化が進む三重県北勢地方にあっては貴重な風景である。
※画像中/同上
※画像下/ポカポカ陽気に誘われて、桜は満開を迎えていた。