ホーローの旅
レポート374 日本縦断徒歩の旅~中山道編
2020.5.14-9.5
岐阜県御嵩町、美濃加茂市、岐阜市、大垣市、関ケ原町、長野県木曽町、木祖村、塩尻市、滋賀県米原市、彦根市、豊郷町、東近江市。近江八幡市、大津市、京都府京都市、愛知県名古屋市、南知多町
新型コロナウィルス感染の嵐が吹き荒れるなか、少年のころからの長年の夢であった、徒歩での日本列島縦断というチャレンジを行うことができた。
結果的には94日間をかけて、北海道の苫小牧から九州最南端の佐多岬までを歩いたが、天候不順による長雨や梅雨明け後の記録的な酷暑により計画の変更を余儀なくされ、それに追い打ちをかけるコロナ禍に翻弄された、波乱万丈の旅となった。
コロナウィルスの影響については、当初は3月の定年退職と同時に出発する計画であったが、出発間際に新型コロナの第一波の影響を受け、飛行機の欠航、宿泊施設の休業等が相次ぎ、1ヵ月後に出発を延期することになった。
その間に政府による緊急事態宣言が出され、計画実現ができないまま迷走し、先が見えない状態になってしまった。
私が住む岐阜県は5月末まで県外の移動自粛要請が出されており、その間はトレーニングを兼ねて、以前から距離を延ばしていた岐阜県内の中山道を歩くことで縦断の旅に備えた。
5月末で緊急事態宣言が解除されたが、すでに計画は大幅に遅れており、佐多岬から宗谷岬までの2800㎞を一筆書きで目指す当初計画は時期的にも厳しい状況となってしまった。
また逆に宗谷岬から南下することも考えたが、この時点で岐阜県内の中山道をほぼ歩いていたこともあり、苦肉の策として、岐阜県から東西に距離を伸ばして日本縦断を目指すことにした。
2400㎞を歩いた日本列島縦断の旅は、結果的には以下のように大きく3つのブロックに分けて歩くことになった。
【中山道編】2020年4月~7月・長野県塩尻~京都 16回
【東日本編】2020年6月~9月 長野県塩尻~北海道苫小牧 4回
【西日本編】2020年10月~11月 京都~鹿児島県佐多岬 3回
古い町並みが軒を連ねる中山道のような旧街道や、クルマの通行が困難な集落の中を縫うように続く狭い路地や峠道などをのんびりと歩くことは、歩き目線ならではの新たな発見や楽しみがあった。
なかでも、ホーロー看板と出会うことができるのは一番の楽しみで、それこそ目を皿のようにして、民家の軒先や朽ちかけた廃商店の壁を眺めた。 そして、その甲斐があって、かわずかながら初見の看板にも出会うことができた。
中山道の木曽路を歩く旅では、これまでに撮影した看板の生存を確認しながら歩くことになった。
珠玉のような光沢を放つ「太田胃散」や「わかもと」を始めとするクスリの看板や、民家の壁にひっそりと残っていた水原弘の「ハイアース」など、その出会いは、汗を滴らせながらの苦しい歩きをずいぶん癒してくれた。
中山道の終点である京都の旅では山科から三条大橋に至る道のりの中で、これまでに辿ったことがない集落の道を歩いたが、期待に逸れて看板の姿をほとんど見ることができなかった。
しかしそれ以上に、旧中山道にひっそりとたたずむ道標や石仏、一里塚の痕跡を見ることができたのは、京都の奥深さと新たな魅力を改めて感じることができた充実した旅であった。
数年前まで仁丹看板を求めて、夢中になって京都市内を縦横無尽に歩いたことは楽しい思い出であるが、己の足でたどり着いた中山道の終点、京都への旅はかけがえのないものとなった。
(2021.2.24記)
※画像上/奈良井宿の風景。中山道を代表する宿場の一つ。長野県塩尻市。
※画像中/中山道の山道にたたずむ石仏。馬頭観音や不動明王などの苔むした石仏がいたるところで見ることができた。馬籠城跡。岐阜県中津川市。
※画像下/中山道木曽路の最大の難所、鳥居峠を歩く。鬱蒼とした林の中を急な石畳がこれでもかと続いた。長野県木祖村。