ホーローの旅
レポート375 日本縦断徒歩の旅~東日本編
2020.6.10-9.25
長野県長野市、新潟県柏崎市、新潟市、村上市、山形県鶴岡市、秋田県象潟市、秋田市、北秋田市、青森県青森市、北海道函館市、森町、苫小牧市
6月10日、塩尻で中山道と分かれ、長野に向け歩き出す。
気温32度、さすがに暑く、水を浴びるように飲みながら炎天下の歩きとなった。
松本では26年ぶりに山の仲間(ご夫婦)と再会し、松本城近くの蕎麦屋で飲んだ。 彼は転勤で住むことになった松本を終の棲家として、北アルプスが見える高台に居を構えてており、
秋田犬を飼い、家庭菜園をし、薪ストーブのある暮らしを家族で楽しむ毎日。
酔いが回るにつれ、海外の山を目指し、岩登りや沢登りでロープを組んだ若かった日々が走馬灯のように思い出され、昔話に花が咲いた。
お互いに年をとったが、持つべきものは友。人生これからだと改めて実感できたひとときだった。
松本からは大糸線沿いに歩き、持病の検査のためJR西条駅(長野県筑北村)でいったん中断し、自宅に戻った。
6月15日再開。テントやシュラフを担いだフル装備で出発となる。 目指すは北海道だ。
善光寺街道を北上し、野尻湖を通過するが、しなの鉄道牟礼駅前にあった屋敷はほとんどのホーロー看板が剥がされ、見る影もない状態だった。
妙高市からは休憩するごとに靴下を脱ぎ足のチェックをしていくが、小さなマメがいくつもできていた。 毎日30キロ近くを歩き続けている代償か、マメとの闘いは終わらない。
曇天の中、日本海が見える上越市に入ったのは3日後だった。
6月18日に大潟キャンプ場で幕営。コロナ禍の影響でキャンプ場は閉まっていたが、管理人の女性に頼みこんでテントを張ることができてた。
松林の広いサイトには私のテント一張りのみ。なんと、貸し切りだった。 目の前には鉛色の日本海。 まずは日本海を見るという最初の目標をクリアできた。
これからいくつもの目標を目指していく果てしない旅の通過点である。
新潟までは足の痛みを気にしながら黙々と歩く。 柏崎ではずっと以前に撮影した自転車店の看板をチェックし、猛スピードでトラックが行合う国道8号線を歩く。
(何でこんなことやってるんだろう‥) 自問自答しながらのひとり旅だった。
6月22日、信濃川を渡り30キロを歩いた日、弥彦山が見える絶景でホーローマニアの“盟友”とらのしっぽさんの訪問を受けた。
新潟在住の彼は私を激励するためにわざわざ会いにきてくれたのだ。 お互い初対面の短い時間だったが、差し入れまでいただいた。
越後平野は広く、四方は果てしなく広がる水田である。 新潟を歩いているんだ、という実感がふつふつと沸き上がってきた。
縦断の旅東日本編では、6月25日に新潟でいったん帰宅し、7月1日から再び再開したが、秋田県の由利本荘市まで歩いたところで足を痛めてしまいリタイヤすることになってしまった。
そこから再びスタートしたのは秋の気配を感じる9月5日だった。
しかし、異常気象なのか東北の旅では35度を超える連日の猛暑にヘロヘロになった。
テントを張っても暑くて寝れず、寝不足の頭を抱えて歩くことになった。
秋田市では能代につながる街道沿いで『ツバキ醤油』のホーロー看板が掲げられた醤油醸造元を発見。
店内に声をかけると、温厚そうで上品な女将さん登場。
その昔、ご先祖が金沢から北前船でこの地にやってきたという歴史に始まり、店に伝わる調度品等を見せていただくことになった。 話好きの女将さんになかなか“離して”貰えず、(困ったな~)と思ったとき、突然思い出した。
なんとこの店には2008年に訪れており、今とまったく同じように女将さんに捕まったということを(笑)。
まったくマヌケな話であった。
国道や県道といった幹線道路を歩いているので、道草もままならずホーロー看板に出会うことは難しかったが、それでも秋田県の看板商店や青森県の看板屋敷などを再訪することができた。
9月16日に北海道に上陸、鮭の遡上を見ながら噴火湾沿いに歩き9月25日に苫小牧にゴールし、縦断の旅を終えることになったが、時間切れで宗谷岬に届かなかったことが心残りである。
3日後の人間ドックとハローワーク認定が避けて通れなかった。
北海道の秋が急速に深まってきたことは、この数日の気温の変化で身をもって感じたことだ。
苫小牧からの続きは翌年以降に持ち越すが、10月からは心機一転、佐多岬を目指す西日本編の旅が始まる。
(2022.3.25記)
※画像上/夕暮れが迫り、田んぼアートならぬ田んぼシルエット。秋田県北秋田市
※画像中/旅人は北を目指す。日本海を北上する。新潟県村上市。
※画像下/今夜のねぐらは波の音を聴きながら…。北海道豊浦町。