琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート376  日本縦断徒歩の旅~西日本編

2020.10.1-11.18
大阪府茨木市、兵庫県加古川市、高砂市、岡山県岡山市、倉敷市、浅口市、広島県尾道市、東広島市、山口県周南市、山口市、山陽小野田市、長府市、福岡県北九州市、筑紫野市、久留米市、八女市、熊本県八代市、津奈木町、水俣市、鹿児島県阿久根町、薩摩川内市、いちき串木野市、鹿児島市、垂水市、南大隅町


探検レポート376

10月1日、京都三条大橋を出発。 目指すは九州最南端の佐多岬。 何度かに分けてのチャレンジになるが、年内の達成を目指すつもりだ。
大阪府の高槻までは西国街道を忠実に辿り、そこから下関までのルートは旧山陽道を歩く旅だ。
高槻までは予定通り一日で踏破し、二日目の朝、JR高槻駅に吸い込まれるサラリーマンの群れに混ざって構内を抜ける。
ザックを背負った場違いのスタイルは、周りを見ても私しかいない。
(皆んな、仕事してるんだ…)
無職で好きなことをしている自分が、何だか後ろめたい。
(いかん、いかん)
退職して半年が経っても、まだ仕事が気になっている。 無職生活を心底楽しむまでになっていない自分に苦笑した。
ホーロー看板をほとんど見ることがなくスタートから4日目に、見上げれば首が痛くなるような明石海峡大橋をくぐった。
神戸市から加古川市を通過。 明石駅前を過ぎ、名物の明石焼きの店を探しながら歩くが、国道沿いには見当たらず、結局食べることができないまま西明石も通過。
旧街道の痕跡を探すために国道を意識的に外して生活道を歩く。 旧街道とおぼしき土蔵を持った古い家屋もちらほらと出てきたが、道標もないので今一つ確証にかける。

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自治体上げての保護保存がなければ、案内板一つ設置されないので、そこに住まう人々もよもや自宅の前の道が旧街道と気づかない人も多いかもしれない。
高砂市では何度目かの再訪となる仁丹の看板が貼られた家屋を横目に見ながら黙々と歩いた。
相生の市街地を過ぎ国道250号線に入ると、カーブが連続する登り坂になった。 歩道がない白線ラインを高取峠まで一気に登る。 交通量が多く、大型トラックもどんどん走ってくる。
今回は自転車用の赤い点滅ライトをザックに取り付けた。 気休めだが、運転手が気づいてくれたらありがたい。 峠を下り千種川を渡ると、赤穂の町に入った。
スタートして7日目には赤穂から日生を経由して西片上へ。
この旅でぜひ泊まりたかった老舗旅館『ゑびすや旅館』に投宿。 安政三年創業の老舗旅館である。 案内された部屋が、緒方洪庵先生が幾度となく泊まったという部屋。
私のような無学の人間には畏れおおいが、今夜は先生のご威光にあやかって、いにしえの時代を偲びながらぐっすりと眠ることができた。
新規のホーロー看板を見つけることができず、もっぱら撮影済みの看板の確認ばかりになってしまったが、看板探しは二次的目標なので、まぁ致し方ない。 とにかくひたすら歩くのみである。
倉敷から尾道、広島…と黙々と歩き、スタートして18日目に新山口に到着。
甥の結婚式に出席のためいったん帰宅し、英気を養ってから再スタートを切る。

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10月28日新山口駅を出発。
出で立ちはパーカーに手袋。 下着はヒートテックに、ズボンは厚手に変わり、すっかり冬の装いである。 つい二週間前は半袖シャツで歩いていたのに、季節はあっという間に冬の扉を開けたようだ。
翌日には下関から海底トンネルを歩いて、九州に上陸した。
北九州市では1日を看板探しに充てる。 狙いは商店街にあるつくだ煮の看板と未撮影の町名看板である。
つくだ煮の看板は、魚や果物、乾物や練り物、うどん屋等が軒を連ね買い物客で賑わう戦後から続くアーケード街にあった。
古い木製の看板がずらりと掲げられた乾物屋で、店番のおばあちゃんと話す。
どこから来たの?の問いに、岐阜県から歩いてきた…と返すと、 「凄いわねぇ、歩いてとは」と、感心しきり。
看板の撮影のお礼に昆布茶を買うと、別れ際に「がんばれー!」とエールを送ってくれた。
大宰府に向かい宇美の市街地に入ると、酒蔵がある町並みや七五三で賑わう宇美神社もあって見どころも多かった。

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レアなホーロー看板が貼られているという醤油醸造元に立ち寄るが、残念ながら目的の看板の姿はない。
つい二日前にも小倉で空振りをしたので、今回の旅ではホーロー看板についてはどうやら縁がないようだ。
八女から山鹿に抜ける国道3号線は栗峠から一気に下るが、道の駅『鹿北』までの2キロには歩道がなく、背後から迫るトラックに注意しながら急ぎ足となった。
道の駅のベンチでイチジクと饅頭を食べる。 イチジクは何十年ぶりだろうか。 記憶の糸を辿っても思い出せないくらいだ。
控え目な甘味は良いが、食べるところがあまり無い。 幼い頃、我が家の小さな庭にイチジクの木があって、おやつ代わりに食べたことを思い出した。
そういえば、イチジクの先端の小さな窪みから蟻が出てきて、それを指先で弾いて食べたこともあった。 そんなことを思い出すとは、イチジクは自分にとって懐かしの味なんだろう。
連日の歩きでそこらじゅうが筋肉痛の体をいたわるために激安の温泉施設に投宿。 62歳の誕生日を静寂の宿で迎えることができた。
11月4日、熊本市から失業保険の認定日に合わせてハローワークに足を運ぶためいったん帰宅し、四日後の11月8日に再び熊本に戻った。
いったり来たりの費用もバカにならぬ旅であるが、仕方がない。

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救いは政府による特別施策のGO TOキャンペーンで安く宿に泊まれることだろうか。
熊本市からは国道3線を忠実に歩き、看板屋敷が並ぶ日奈久温泉を過ぎ、いよいよこの度最大の難関である三太郎峠を越えるハードな一日となった。
国道3号線を通るそれぞれの峠には長いトンネルがあり、いずれも歩道がないというトホダー泣かせの難所である。
中でも佐敷トンネルは全長1570メートル。 交通量も多くあまりにも危険なため、過去の列島縦断者はここを回避して、海岸線を迂回するルートを選んだ人も多くいたほどだ。
赤松トンネルと佐敷トンネルには歩道がなく、マスク、蛍光たすき、ヘッドライト、ザックには点滅ライト、右手に赤色灯というフル装備で突入した。
佐敷トンネルにはいつ終わるともしれない長さが待っていた。 出口の明かりが見えない中で、クルマがすぐ脇を轟音を上げて疾走していく。
やっかいなのは、無灯火でくる輩もいる。 右手に持った赤色灯をぐるぐると回しながら存在をアピールし、必死に歩いた。 マスクを通しても息苦しくて仕方がなかった。
格闘すること20分。ようやく出口が見え胸をなでおろすことができた。
県境を越え、いよいよ最後の県である鹿児島県に入る。 八代海を見ながら歩くが『北薩オレンジロード』と呼ばれるだけあって、みかん畑が広がり、無店舗販売所も目についた。
店を覗くと、一袋7~8個入って300円が相場。 そんなに食べれないし、何よりも重い。

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店番をしていたおばあちゃんに2、3個分けて欲しいとお願いすると、 「歩いてるの?」「どこまで行くの?」 …と、矢継ぎ早に質問された。
「佐多岬まで歩きます」と返答すると、 おばあちゃんは、こぼれんばかりの笑顔で、 「好きなだけ持っていって」 と言って、みかんを私の手に乗せてくれた。
代金も受けとってくれず困ったが、ここはおばあちゃんに甘えて、3個をいただき店を辞した。
そのみかん、早速バス停のベンチで食べたが、甘くて美味しかった。
九州に入ってからは、一人のチャリダーにすれ違った以外、歩き旅の人にはまったく出会っていない。
もっとも、これまでの89日間で出会ったのは二人しかいないので、新型コロナの影響を差し引いても、いかに長距離歩き旅が稀少なのか分かる。
ふと思ったが、9月に函館で出会った神奈川県の青年は、今頃どのあたりを歩いているだろうか。 すでに佐多岬に到達したかもしれないな…などと思いながら歩いた。
コロナの感染爆発がすぐそこまで迫っている状況のなかで、のんきに歩き旅を続ける私をコロナ禍の人たちはどう見るだろうか。
そんなことを考えるだけでも憂うつになるが、今は何も考えないで目の前にある道に足を運ぶだけ。 それだけに集中し、目前に迫った佐多岬を目指すだけだ。
11月16日、鹿児島港からフェリーで垂水港に渡り、いよいよ佐多岬へのラストスパートに入った。

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11月18日、根占の町から35キロを歩き切り、13時45分、九州最南端の佐多岬灯台を望む最先端に到着した。
この日のために用意していた『日本列島徒歩縦断 佐多岬到達!!』と書いたPOPをザックから取り出し、その場にいた10人ほどの若い男女のグループに撮影を頼んだ。
彼らは私が掲げたPOPを見て、 「マジで歩いて来たんですか!」…と言って、 私が「北海道から歩いてここまで来た」と応えると、 あろうことか、その場で拍手が上がった。
拍手が拍手を呼び、やがて大きな輪になっていった。
予期せぬ温かい拍手に、年甲斐もなく、感激が込み上げてきた瞬間だった。
94日間、2400kmの旅が終わった。
(2022.3.26記)
※画像上/青い空に赤い彼岸花が映える。京都三条大橋を出発。
※画像中/西片上港の海上集落。岡山県備前市
※画像中/岩徳線を行く車輌。絵になる風景。山口県岩国市
※画像中/県道14号線沿いには広大な田園風景が見えた。熊本市。
※画像下/九州最南端の佐多岬に立つ。長かった旅が終わった。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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