ホーローの旅
レポート381 日本橋へ、中山道ホーローの旅
2021.10.3-10
長野県岡谷市~長久保町~長門町~佐久市~軽井沢町~群馬県松井田町~安中市~高崎市~埼玉県深谷市~さいたま市~東京都板橋区
秋真っ盛りの10月、9日間かけて中山道を歩いた。
2020年に日本縦断徒歩の旅で塩尻から京都三条大橋までの305㎞を歩いているので、今回は塩尻から東京日本橋までの残り233㎞を歩くことが目的である。
メインは歩くことであるが、あわよくば副産物のホーロー看板にも出会いたい。
はたして、まだ見ぬお宝に出会えるだろうか?
そんな小さな期待を胸に、時速5㎞の歩き旅が気始まった。
10月3日。中津川から松本行きの普通電車に乗り継ぎ、11時52分に塩尻駅に到着。 ここから東京日本橋までの長い旅がスタートした。
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まばらに道行く人々は一様にマスク姿。 感染者が多い東京に近づくにつれ、マスクの人波は増えてくるだろう。脇目を振らずにひたすら歩くのみだ。
初日は諏訪湖を望む塩尻峠を越えて下諏訪までの15㎞を歩くが、看板はさっぱり。岡谷市内で纏を持ったリスのデザインが可愛い防火看板を見つけただけで終わった。
2日目は通勤風景が始まった下諏訪の町を早朝出発。通学の自転車に乗った女子高生が坂道を転がるように凄いスピードで走ってくる。 うかうかしてたら跳ねられそうだった。
諏訪大社下社春宮に立ち寄り、複雑な彫刻が施された社殿を仰ぎ、旅の安全を祈った。
ついでに万治の石仏に道草。 「よろずおさまりますように」と願掛けながら時計回りに石仏を3周し、最後に「よろずおさまりました」と呟く。
これで願掛けはうまくいった(笑)。
和田峠(古峠)までの3㎞の登りが苦しい。 何度も立ち止まりながら息を整える。
登山をやっていた10年前だったら何でもない登山道だったと思うが、さすがにきつい。
峠を越えてようやく和田宿の集落に出ると、金鳥ペアが貼られた民家にばったりと出くわした。
建物の下にたたずむ道祖神にばかり目がいっていたが、視線を上げた土壁に看板があった。
2005年に訪ねた時はクルマで通過したからか、まったく気づかなかったが、ゆっくりとした歩き目線が功を奏したようだ。
また、16年前に見つけたクスリの看板も風化が一層進んだもの健在で、まるでそこだけが時間が止まってしまったような空気を感じた。
約30㎞を歩き長久保の民宿に入ったが、やはり人が住む町には看板がある。長野県北部ではポピュラーなお茶『瀬川園』の看板も多く残っていた。
3日目は塩名田宿を経由して佐久までの約30㎞を歩く。
白壁の酒蔵が軒を並べる静かな町並みをアサギマダラがゆらゆらと舞っている。 手が届くくらいの高さを優雅に翔ぶ姿に心が和んだ。
望月宿には映画『八つ墓村』のロケ地となったレトロな旅館や石仏群もあり、苦行のような季節外れの炎天下の歩きを忘れさせてくれた。
佐久市に入ると『火の用心優良の家』の鮮やかな朱色の看板が目についたが、昭和28年、30年、32年、34年と発見するも、そけぞれ微妙に字体やデザインが違って面白い。
そしてこれらの看板が60年近く前のものだということに改めて驚くが、それ以上に残されていることを素晴らしく感じた。
佐久はホーロー探検で何度も訪れているが、酒蔵もたくさんあり、長野県にあっては看板が多く残るエリアである。
歩き旅ならではこそ、木造家屋の目立たない位置に貼られたレートクレームの看板や初見の牛乳箱も見つけることができた。 クルマではおそらく見落としてしまうことだろう。
4日目。中山道の旅最大の難所・碓氷峠を越える行程となった。
歩行距離も長いので気合を入れて歩く。 佐久から霧に煙った軽井沢宿を通過し、喧騒の軽井沢銀座から碓氷峠の遊歩道に入った。
しばらくは快適な幅広の整備された道だったが、やがて鬱蒼とした広葉樹の森を縫うように続く登山道となった。
峠には神社や力餅を売る茶屋があったりして意外に人臭かったが、坂本宿を目指して峠を下り始めると、私一人の息遣いしか聞こえない静寂となった。
急勾配の登山道を足元に注意してリズミカルに下るが、これを登りでやるのは大変だろう。
坂本宿までは8.5㎞の長い下りとなったが、石がゴロゴロとしている登山道は狭く、靴底が薄いウォーキングシューズなので足の痛みが辛くなってきた。
夢中になって下っていると、至近距離でニホンカモシカと遭遇。 ほんの3メートルの近さなのに、ヤツは逃げることもなく、しばらくの間にらみ合いになってしまった。
思わず突進されるかと思ったが、ゆっくりと視線を外して胸を撫で下ろした。
そのまま8.5㎞を下り切り、ようやく道路に出た。
碓氷峠は登りから下りまで、カモシカに遭遇した以外は人に会うこともなく、静かな歩きを楽しむことができた。
坂本宿を過ぎ横川駅に向かう道で、看板屋敷を定点観測。 当HPのトップページの画像となっている金鳥やダイヤ学生服が貼られた屋敷は、まるでそこにあることが当たり前のように輝いていた。
翌5日目。肌にまとわりつく小雨が降るなか、横川駅を出発。
線路沿いに歩いていくと、車窓から確認していた金鳥ペアが貼られた屋敷があった。
安中宿から板鼻宿を過ぎ、さらに南下していく。 高崎名物のだるまを作っている作業場や店が、目立つようになってきた。
しかし、体には異変が…。 恐れていた、脳天に突き抜けるようなマメの痛みが襲ってきたのだ。
歩道に落ちているほんの小さな石を踏んだだけで、まるで生け花で使う剣山に足を乗せたような痛みと形容しようか。 昨年の縦断の旅でさんざん悩ませてくれた、あの痛みである。
休むたびに靴下をぬいでチェックし、マメの水疱を安全ピンで抜き、カットバンとテーピングを施す。 これがなければ旅も最高なんだが…。
この日は雨から曇天、マメの痛みに苦しんだ一日となったが、小さな集落で水原弘のハイアースの看板とも久しぶりに遭遇できたし、 中山道が通る安中市内ではずっと以前に撮影した看板たちにも再び出会うことができた。
マメの痛みをさておいても、ホーロー探検としては収穫の一日となった。
埼玉県に突入した6日目は晴れたり曇ったり、小雨が降ったりと安定しない天候の中、ひたすら南を目指して歩いた。
午後からは暑さもピークになってきた。 本庄宿を過ぎて出てきた八幡神社はまさに砂漠のオアシス。
涼しい風が抜ける賽銭箱がある社殿で、ザックを枕にしばしまどろんだ。
汚れてテーピングだらけの裸足を向けてしまったので、神社にひとときのお礼とお詫びを込めて、少しばかしお賽銭を奮発した。 これでバチは当たらないだろう。
この日は深谷市まで約30㎞を歩いたが、酒蔵にあった地酒看板を除いて看板との出会いは撃沈状態。 予想はしていたが都心に近づくにつれ、致し方ないだろう。
7日目から日本橋にゴールした9日目まではマメに痛む足を引きずりながら中山道を忠実に、黙々と歩いた。
さいたま市に入るとあまりの人の多さに、苦しいがマスクを着けて歩く。
それにしても日本人の真面目さには感心する。 誰一人としてマスクを着けていない人はない。 ワクチン接種率が更に上がれば、収束もみえてくるだろう。
ホーロー看板との出会いもほとんどなく、すっかり頭から看板のことは消えてしまった。 目的遂行のために日本橋を目指して歩くのみとなった。
最終日、右足にできたマメは痛いのを通り越してマヒしている状態で、顔をしかめながら東大赤門前を通過し、14時ちょうどに日本橋に到着。
後半はマメの痛みと暑さに耐える歩行となったが、それでも日本の今の風景を眺めながらの一年ぶりの歩き旅は、何かしらの心の解放感を得ることができたように思う。
コロナ禍に翻弄され続けているが、わずかだが看板たちとの出会いもあった。
二年越しで楽しんだ中山道534㎞の旅が、ようやく終わった。
(2022.6.10記)
※画像上/茂田井間の宿。白壁の酒蔵が軒を並べる。
※画像中/佐久宿近く。浅間山が大きく迫ってきた。
※画像中/碓氷峠を横川に向かって下る。可愛いコイツとしばしにらめっこ。
※画像中/安中宿を歩く。以前撮影したホーロー看板がある風景は健在だった。
※画像中/最終日、東京都に突入。巣鴨商店街は平日とあって人通りは少なかった。
※画像下/10月10日14時、日本橋にゴール。麒麟像が迎えてくれた。
※宿泊/グリーンサンホテル(諏訪)・民宿みや(長久保)・AZホテル佐久インター(佐久)・セントラルホテル高崎(高崎2泊)・東横イン熊谷駅北口(熊谷2泊)・浦和ワシントンホテル(浦和)