琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート382 春の東京ホーローウォーク2022

2022.5.10-14
東京都杉並区~荒川区~北区~中野区~渋谷区~大田区~世田谷区~目黒区~墨田区~足立区~深川区~品川区~神奈川県川崎市


探検レポート382

ちょっとばかし衝動的だが、旧東海道にチャレンジしたくなり、東京日本橋から京都に向かう492㎞を歩くことにした。
コロナ禍に阻まれたとはいえ、日本縦断の歩き旅から1年半ぶりの本格的なウォーキングである。
どうせなら足慣らしも兼ねて、その前哨戦として都内の町名看板を探すことにした。
とはいえ、リストアップした未撮影の町名看板がたくさんあり、その全てを回ると4日間は必要。
東海道歩きのトレーニングとしては、歩行距離も70~80㎞になりそうだ。
なまった体には厳しいかもしれないが、そんな思いを込めて看板探し+東海道歩きの旅が始まった。

▼5月10日
早朝の新幹線で東京入り。西武新宿線に乗り継いで上井草駅に降り立つ。
改札を抜けた途端に、まばゆいばかりの陽光に立ちくらみを覚えるが、気を取り直して歩き始める。
駅前商店街を抜け向かったのが、都心には珍しい古い板壁の家屋に貼られた町名看板。
エスビーカレーがスポンサーになっている町名看板は八王子市を中心に見つかっているが、都内では珍しい看板だ。
庭木が邪魔してうっとうしいが、一枚目をスマホに収めることができた。 幸先良いスタートに足取りも軽くなった。
善福寺、上萩と回り、西荻窪駅を突っ切って、西萩北まで一気に歩く。 体が歩くことに慣れてきたのか、体調がどんどん良くなってくるが分かる。
このところ悩んでいたふらつきや立ちくらみも、どこかへ飛んで行ってしまったようだ。
西萩北の町名看板は、樹齢150年を超えるケヤキの大木が植わる公園の近くにあった。
公園の前には教会があり、バザーのような催しをしており女性たちが忙しく働いていた。
ケヤキの前にはお爺さんがのんびりとくつろぎ、個後のひと時を切り取ったほのぼのした風景に心が和んだ。
再びJR西荻窪駅に戻り、中央線に乗車し中野駅で降りる。
目的は駅を挟んで北と南にある2ヶ所の町名看板だが、駅前の再開発の工事にやられたのか、どちらも空振り。
夕暮れが忍び寄った街角を諦めきれずに何度も探してみるが、無駄な努力で終わった。
初日の歩数は20,573歩、距離にして14㎞となった。

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▼5月11日
東京の定宿にしている、南千住の安宿で目覚める。
山谷のドヤ街にあるので環境は良いともいえないが、慣れてしまえば3帖一間の空間でも快適である。
もっとも連泊してもシーツは替えてもらえないし、トイレ・風呂は共同なので、貧乏旅に慣れた人しかおススメできない。
東京のホーローウォーキング2日目は、日暮里駅から舎人ライナーに乗り換えて荒川区に向かう。 ちょうど通勤ラッシュに重なった車内はけっこうな混みよう。
コロナ禍なので人と接触するのも嫌だが、これだけ混んでいたらもう諦めるしかない。
都会で住むことの煩わしさは、コロナの感染リスクをとってみるまでもなく、本当にストレスがかかる。
熊野前駅で降り、本日の一件目「東尾久5丁目37」を撮影。 目的の看板は、年季が入った青いトタンの小屋にセミのように貼りついていた。
さて、ここからが朝の散歩だ。 ひっきりなしに交差する都電荒川線の電車を横目に見ながら黙々と歩く。
堀船にある白山神社は隅田川の南岸にあった。
社務所の壁に貼られた看板は、朝日新聞をスポンサーにした珍しいタイプだ。
スマホのカメラを向けたときに、【特別警戒実施中】のポスターが目に飛び込んできたが、「俺は怪しい者じゃないぞよ」などとうそぶきながら、シャッターを切った。
堀船からは都電の線路を跨いで、電柱や家屋の壁に貼られた栄町の町名看板を撮影し、王子に向かった。
すでに太陽は頭上にあって、汗が流れる。 熱中症を警戒してペットボトルのお茶をがぶ飲みしながら歩く。
王子の2枚の看板を撮影し、JR埼京線に乗車して浮間船渡駅へ。
目的はグロンサンがスポンサーになっている町名看板である。 この看板は初日に撮影したエスビーカレーと共に、今回の探検での一番のターゲットの一つだ。
駅を出てから「かつどん500円」のお品書きが貼られた大衆食堂の誘惑に負けそうになりながら目的地へ急ぐ。
家屋の壁に貼られたグロンサンの看板はあったが、しかし、そこには人の姿もあった。
ここは素直に看板の撮影をお願いしてみようと切り出したが、胡散臭そうな目で私を見た青年は、「やめて」と一言。 にべもなく断られてしまった。
これ以上食い下がるわけにもいかず、とぼとぼと元来た道を駅に戻るしかなかった。
さすがにがっかりしたのか、いつのまにか500円かつどんの大衆食堂を通り越してしまい、駅近くにある王将で餃子のヤケ食いとなった。
午後からは高円寺に出て、大和町や東中野などの中野区の看板を撮影し、渋谷区本町の看板で締め、新宿でゴールした。
疲れた足で南千住の安宿に向かうと、天を突くスカイツリーがやけに大きく見えた。
2日目の歩数は41672歩、歩行距離27㎞。

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▼5月12日
梅雨入りの早さを予感できそうなどんよりとした空の下、連泊している山谷の安宿を出て歩き始める。
小さな町工場が軒を並べる雑然とした一角に入り、荒川4丁目の町名看板の前に立った。
この看板は都内の多くある長方形の看板と違って、荒川区のみに貼られている短冊タイプである。黄色地に緑のツートンカラーも可愛いデザインだ。
3日目の探検は大田区方面を攻めることにし、JR三河島駅から電車を乗り継いで蒲田に向かう。 そこからは京急本線や池上線を乗り継いでの看板探しである。
久我原から東玉川、北馬込までは看板を追っかけてのひたすらの歩きとなった。
都内の看板はブロック塀に貼られたパターンが多いが、時代を反映してかブロック塀は現代のような化粧ブロックはなく、ホームセンターで100円前後で売っている安価なブロックか、大谷石の製が多いようだ。
これまでのホーロー探検であまり気にせずに看板が貼られたロケーションを見てきたが、今年になって新築を建てる長男の家づくりに首を突っ込んでいるので、家の外壁や屋根、外構にいたるまで気になって仕方がないのだ。
午後を回り、コンビニのサンドイッチを小さな公園で頬張って先を急ぐ。北馬込から自由が丘まで2時間のウォーキングとなった。
自由が丘の商店街からカフェや豪奢な家屋が並ぶ坂道を登ったり下ったりして、目的の看板の前に立つが、看板は周りのお洒落な雰囲気には程遠い板壁に貼られていた。
この日の最後は東急東横線沿いにある祐天寺の1枚。 今にも落ちそうな空を見上げて、34900歩、23㎞歩いたウォーキングを切り上げた。

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▼5月13日
予報通り朝から雨となった。 3連泊した山谷の安宿を後に、明治通りから隅田川に架かる白髭橋を渡り、町工場がひしめく墨田5丁目を目指して歩く。
折りたたみ傘が飛ばされそうな風が吹く中、町工場のすすけたトタン板に貼られた1枚目の町名看板をゲット。
「きれいな町はみんなのこころ」「やれせくな車は急には止まらない」といったいかにも下町らしい標語の看板を見ながら県道461号線を北上する。
『千住曙町』の看板は、隅田川と荒川に挟まれた大きな中洲のようなエリアの町工場の隙間にひっそりと貼られていた。看板探しをしていなければおそらく気づくこともないだろう。
しつこく降り続く雨は止む気配もなく、戦意を損失させた。
それでも現金なもので、雨宿りを兼ねてのんびりと昼食を摂っただけで看板探しのモチベーションが上がってくるから可笑しい。
竹の塚、深川平野町、東陽町と周り、翌日からの東海道歩きに備えて東京駅に出て日本橋馬喰町のホテルに向かった。
この日の歩数は21933歩、距離14㎞。

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▼5月14日
前夜から降り続く強い雨が収まるのを待って、日本橋馬喰町のホテルを出発。
1.5㎞歩いて昨年10月に中山道の旅でゴールした日本橋に立つ。
京都三条大橋までの492㎞を数回に分けて歩く計画だが、今回は5月17日に持病の定期検診が控えているため、わずか2日の短い日程だが、行けるところまで歩くことにする。
2020年の中山道の旅では麒麟像には触れたが、最後の最後に五街道の起点となる『日本国道路元標』のプレートを踏み忘れるというへまをやったので、今回は橋の真下、道路の真ん中に埋め込まれている元標を、クルマがいないのを見計らって踏んだ。
降りしきる雨の中、8時25分に日本橋をスタート。
京橋から銀座通りはビル風にあおられた雨が全身をずぶ濡れにした。
江戸歌舞伎発祥の地や銀座の柳の碑など、これまで何度も銀座を歩いているにも関わらず、関心がなかったのか気づかなかった名勝を見ながら歩く。
それにしても雨が強い。 ゴアテックスの雨具を着ていても、まるで梅雨時のようにムレるし、ちんけな折りたたみ傘も風にへし曲げられて役に立たない。
泉岳寺を過ぎ品川駅が見えてきた頃、ようやく雨が上がり、JR東海道線と京浜東北線を跨ぎ坂道を下り、品川宿に入った。
品川宿は大井町まで続くので規模もそれなりに大きいが、商店街が続くばかりで古い建物もなく見どころは少ない。 本陣跡や大仏がある寺の境内を覗き見しながらぶらぶらと歩いた。
南大井の町名看板をゲットし、線香の煙がたなびく鈴ヶ森の刑場跡を過ぎると国道15号に合流し、そこから先は多摩川を渡るまではひたすら国道歩きとなった。
途中の中華料理店で昼食。 野菜炒め定食を食べるがこれがめっぽう美味かった。 味は店の外見じゃないとつくづく実感。

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多摩川を渡り神奈川県に入ると、日差しも強くなってきた。 川崎宿で町名看板を撮影するために往復3㎞を道草し東海道に戻り、芭蕉の句碑や市場の一里塚を通過。
コンビニに立ち寄りコーヒーを飲みながら、さて本日の宿をどうしようかとスマホで検索するが、なんと目的地の横浜はおろか鶴見、川崎も含めて宿がまったくヒットしない。
あっても1泊2万円超え。 調べてみると、この日は横浜スタジアムでベイスターズの試合があり、どこのホテルも満室のようだった。
まったくそれに気づかず、宿は当日予約でなんとかなると思っていたのが浅はかだった。
今更東京に戻って泊まるのも癪に障るので、今回は14時に鶴見で中断し、帰宅することにした。
意気揚々と歩き始めた東海道だが、わずか一日25㎞の旅で終わってしまった。
野宿する根性もないし、まぁ、こうしたアクシデントも仕方がない。
JR鶴見駅から東神奈川で乗り換え、新横浜までは横浜スタジアムへ行く乗客で身動きが取れないほどごった返した車両に辟易した。
崎陽軒のシウマイ弁当をお土産に新横浜から新幹線で帰宅。
東京で80㎞、東海道で25㎞歩いた5日間の旅だったが、小さなマメができたくらいで体調は良好、まずまずのトレーニングになったと思う。
次回は、鶴見からのリベンジをできるだけ早い段階で実行に移したくなった。
この日の歩数は38871歩、距離25㎞
(2022.11.18記)
※画像上/銀座の中心部も雨なので人出も少いようだ。銀座5月14日
※画像中/高円寺純情商店街を歩く。コロナ禍の影響か、道行く人は少ない。高円寺5月11日
※画像中/スカイツリーが間近に見えてきた山谷の安宿へ急ぐ。三ノ輪5月11日
※画像中/狭い路地に民家や町工場がひしめく荒川区を歩く。荒川区5月12日
※画像中/年季が入った青いトタンの小屋にセミのように貼りついていた看板。荒川区5月11日
※画像下/雨の東京日本橋。ここから旧東海道歩きのスタートを切った。日本橋5月14日
※宿泊/エコノミーホテルほていや(3泊)・東横イン日本橋馬喰町(1泊)



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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SINCE 2005.3.17