ホーローの旅
レポート383 東海道ホーロー歩き旅 前編
2022.6.13-10.5
神奈川県横浜市~小田原市~静岡県三島市~静岡市~浜松市
衝動的に、にわかに歩きだした旧東海道の旅。
東京日本橋から京都三条大橋まで辿る492㎞の東海道を、徒歩で、“ついでに”ホーロー看板を探しながら旅する企画である。
2020年の旧中山道の旅で、滋賀県草津から京都三条大橋の26㎞まではトレースしているので、ゴールは草津までの466㎞となる。
今回は旧東海道を外れずに忠実に歩くことが目的である。
しかし、古くから人通りの多い街道筋というロケーションなので、全体を通してホーロー看板に出会うことが少なく残念であった。それでもまだしぶとく残っている看板たちに出会えたことが嬉しい。
5月から10月にかけて5回に渡ったホーロー旅は以下である。
今回は、鶴見から浜松までを前編としてまとめたい。
・第1回 5/14 日本橋~鶴見
・第2回 6/13~19 鶴見~静岡
・第3回 10/3~5 静岡~浜松
・第4回 10/11~13 浜松~名古屋
・第5回 10/25~28 名古屋~草津
▼6月13日
5月に日本橋からスタートし、わずか一日でリタイアしてしまった横浜鶴見から、正真正銘の再スタートを切った。 これから静岡までの旅が始まる。
一方通行の魚河岸通りを生麦駅に向かって歩くが、早くも汗だく。予報では27度だが、体感温度はそれ以上だ。
キリンビールの工場のすぐ脇にある生麦事件の碑を見て、横浜駅に向かう。
生麦付近には町名看板が多く残っており、これまで3枚見つけている。
国道を離れ、脇道を鈎型に曲がる旧東海道筋を歩くと、未撮影の1枚を発見。東海道から逸れることなく難なく見つけることができた。
保土ヶ谷宿は国道1号線に沿って、本陣跡や一里塚跡があったが、バラバラと出てくるので、昔の宿場跡の面影はなかった。
権太坂を皮切りに、上ったり下りたりの坂道が続く東海道を歩くが、暑さもあってけっこうきつい。 その上、右脚のふくらはぎが痛みだした。
2年前の歩き旅で、痛みでリタイアしたのを思いだし、不安がよぎった。応急処置として、ロキソニンテープを貼って脚を揉む。
この日はゴールの戸塚駅まで看板に出会うこともなく終了。
町名看板との偶然の遭遇を期待してみたが、やはり都心に近いエリアでは厳しいようだった。
▼6月14日
梅雨真っ只中の雨の中、戸塚から大磯までを歩くが、一枚の看板と出会うこともなく黙々と歩き一日が終わってしまった。
このエリアには町名看板も残っているが、旧東海道筋には貼られていないのが残念だ。
歩き旅はクルマと違って、目線が四方八方に届くので看板探しには一番有効な手段だと断言できるし、古い町並みなどを歩けばそれだけに期待もする。
しかし、まる一日歩いて塩やたばこの看板にすら出会えないのは、無常だし、これ以上のつまらなさはない。
▼6月15日
右脚のすねの痛みが治まらないので、ロキソニンを飲んでの出発となった。
二日続きの雨である。 梅雨の時期なのでしかたないが、雨に濡れて歩くことはモチベーションが下がるばかりで、楽しさを見いだせない。
伊藤博文や吉田茂の別邸がある大磯から箱根湯本までを歩く。 小田原にも町名看板が残っているが、旧東海道筋には貼られていないのであえて道草をしてまで撮影することなく通過。
看板との遭遇は二日続きのボーズで終わった。
小田原城の紫陽花や菖蒲の群落を目の保養したのが、唯一のなぐさめか。
▼6月16日
雨が降ったり止んだりのうっとうしい梅雨空の中、箱根峠を越えた。東海道一番の難所、クライマックスである。
県境を越え三島までの約29㎞は、歩き難い石畳が続く道となったが、箱根峠を越えて三島の町が近づくと、小さな集落も出てきてホーロー看板との遭遇を大きく期待した。
しかし、その願いもむなしく、予約していた三島神社近くのホテルまではまたしてもボーズに終わった。
今回の東海道ホーロー旅では、街道筋を忠実に歩き看板を見つけていくことを目的としているが、その“掟”を破って、投宿後に散歩がてら三島市内の町名看板の探検に繰り出してみた。
消失確認した【東本町2-1】以外の2枚を発見。ラッキーなことに欠落していたと思われる1枚は、そっと外構ブロックの上に置かれていた。
▼6月17日
昨日の箱根峠越えで、石畳につまずいて右足の親指の爪を痛めた。 右足のすねの痛みも残っているので、ロキソニンを飲み、テーピングをして出発。
朝の通勤風景が始まった旧東海道が通る県道145号線は、三島広小路駅を右手に西に向かって伸びていく。
満員電車に揺られたサラリーマンを辞めて2年が経ったが、いまだに仕事の夢を見る。
今は好きな歩き旅にうつつをぬかしているが、40年間の仕事の垢はなかなか落ちない。 因果なものだ。
この日は千本松原を見ながら岳南鉄道の吉原本町まで歩くが、ホーロー看板はおろか、晴天なら間近に迫る富士山さえ見えなかった。
昨日の箱根越えもそうだが、富士山のまさに懐に飛び込むくらい近くにいるのに、その気配も感じない。 まぁ、日頃の行いが悪いからだろう。
さて、この日はうれしい出会いもあった。 晩ご飯の買い出しに投宿したホテルからスーパーまでの道すがら、2枚のホーロー看板を発見。
【この立場親の立場を認めあい】【町ぐるみみんなで護る青少年】…おお良いでははないか! これぞ正しい標語看板である。
▼6月18日
一昨日に痛めた右足の親指は、爪が紫色に変色し剥がれかけている。
一歩踏み出すたびにズキズキと痛む。 カットバンを貼り、テーピングをし、ロキソニンを飲んで出発。 旅に出てから毎日痛み止めの世話になっている。
吉田本町から曇天の中を出発するが、今日も富士山は姿を現さない。 まさに、雲隠れ。
由比宿に入ったところで、雨となった。 それも、これでもか!と叩きつけるような土砂降りである。
道路が川のようになる悪条件のもと、旧東海道随一の景勝地・薩埵峠を越えるが、ホーロー看板に出会う期待どころか、歩き旅を続けることも嫌になってしまう。
興津川を渡り興津駅に出ると、激しかった雨もようやく小降りに代わり、清水までの4㎞を黙々と歩いく。
そんな中、古い民家が軒を連ねる一角で、町名看板を発見。
雨に打たれ続け、疲れ切った敗残兵のような気持に、一筋の光明が見えた気がした。
▼6月19日
旅に出てから7日目。鶴見から177㎞を歩いてきた。
清水から静岡までは、昨日までの雨模様が一転して炎天下の歩きとなった。
アスファルトの照り返しと、蒸し暑さに辟易しながらペットボトルの水を朝から2本消費。
11㎞を歩いて静岡駅でゴールし、いったん旅を中断し帰宅することにした。
午後の新幹線までは時間もたっぷりあるので、静岡市内でホーロー看板を探すことにし、駿府城址や浅間神社に立ち寄ったりして6㎞ほど道草して静岡駅に戻った。
狙いの虫下しのクスリ看板は建物から消失していたが、町名看板は予定通りゲットできた。
▼10月3日
暑かった9月も終わり、秋の気配を感じる季節になった。
6月に中断した旧東海道の旅を再開することにし、静岡から旅をスタート。
この3カ月の間に北海道の苫小牧から宗谷岬の400㎞を歩き、念願の日本列島縦断の徒歩の旅を達成できた。
体が歩き旅に順応しているので、足取りは軽い。
旧東海道で最も有名な老舗『丁子屋』がある丸子宿を過ぎ、宇津ノ谷峠から藤枝に向かう。
彼岸花が咲く山間の小さな集落には、久々に拝む金鳥ペアの姿が。
ホーロー探検を始めた20年近く前には、いくらでも目についた定番のような看板も、今ではすっかり希少種となってしまった。
東海道を歩く旅で、奇跡的に巡り合えたことを感謝したい。
▼10月4日
島田から大井川を渡って、掛川、袋井を歩いた。
大井川川越遺跡の集落が見えてきたところで、左足の脛が痛くなってきた。 7月の列島縦断の旅でゴール寸前の稚内で痛めた状態と同じ。 厄介なことになりそうな予感が頭をよぎった。
ペットボトルのお茶でロキソニンを流し込み、消炎湿布を貼り続行した。
東海道最大の難所といわれた大井川の渡しがあったという大井川川越遺跡には、復元された家屋が公開されており、無料で見学することができた。
川が荒れて、水かさが増すと旅人たちはここで足止めを食ったのだろうか。
映画にもなった藤沢周平の『雨あがる』では、おそらくこの地を舞台にして、降りやまぬ雨を待つ旅人たちと浪人夫妻の厚情が描かれている。
これでは「エイホー、エイホ」と担がれて渡らなくてもいけそうかなぁ…と、思いのほか浅瀬の流れが望見できる大井川橋を渡ると、金谷宿に入った。
金谷はこれまでのホーロー探検で何度か訪ねた町で、『ムヒ』や『キッコーマン醤油』等を発見しているが、どこに消えてしまったのだろうか、看板の姿はきれいさつぱりと消えていた。
この日は箱根、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所の峠といわれる小夜の中山峠を越え、袋井まで30㎞を歩いたが、一枚の看板に出会うことなく終わった一日となった。
▼10月5日
最終日。袋井から浜松までの22㎞を歩く。 天気は下り坂の天気を気にしながらピッチを上げる。
曇天に輪をかけた強風となり、看板の旅も、歩き旅もモチベーションは上がらない。
新天竜川橋を渡り、船着き場跡の案内を見て直角に曲がると、ドンピシャのタイミングで餃子の暖簾が揺れる店を発見。
さらに先には、うなぎの看板を掲げた店もあった。 餃子とうなぎは、どちらも浜松の二大名物だ。
しばし迷ったが、軍配は餃子に上がり、11時半の開店と同時に、誰もいないカウンターの客となった。 店を出ると、天気は予報通りの下り坂の様相を呈してきた。
雨がぱらつき始めたので傘をさして歩くが、すぐに止むと、今度は一転して眩しいほどの晴天。
コンビニに寄ってはペットボトルを購入する、不快指数100%の暑さとなった。何ともせわしない、不安定な天気である。
予報ではこれから週末までの3日間、雨が続くということになっている。
当初は、名古屋まで歩く6日間の計画でスタートした旅だったが、わざわざ好き好んで雨の中を歩くこともないだろうと…すでに頭の中には軟弱の風が吹き始めていた。
進むか、止めるか…そんなことを反芻しながら歩く。
JR浜松駅が見えてくると、心は決まった。 最初の意気込みとは裏腹に、なんともあっけない幕切れであったが、今回の旅のゴールは浜松で締めることとなった。
一枚も出会うことがなかった看板のことも、ほんの少しだがとってつけたように頭をよぎった。
(2022.11.29記)
※画像上/宇津ノ谷峠手前にある集落。往時の面影が色濃く残っていた。10月3日
※画像中/鶴見から横浜に入り、小さな運河を渡った。6月13日
※画像中/小田原城を飾る紫陽花と菖蒲。6月15日
※画像中/箱根峠からは延々と石畳が連続する長い下りとなった。6月16日
※画像中/雨の中、薩埵峠に向かう街道には古い町並みがあった。6月18日
※画像下/思いのほか浅瀬の流れが望見できる大井川橋を渡り、金谷に向かう。10月4日
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