琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート384 東海道ホーロー歩き旅 後編

2022.10.11-28
静岡県浜松市~愛知県豊橋市~豊川市~岡崎市~知立市~豊明市~名古屋市~三重県桑名市~四日市市~亀山市~滋賀県甲賀市~草津市


探検レポート384

旧東海道を歩くホーロー旅の後半戦は、浜松からゴールの草津宿までの約230㎞を2回に分けて7日間で歩く旅となった。
過去のホーロー探検で断片的に何度かこの区間を訪ねていたので、再撮影のホーロー看板も多くあったが、歩き目線ならではの新たな発見もあって、道中を愉しみながら探すことができたホーロー旅となった。

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▼10月11日
気温がぐっと下がったのか、季節は確実に秋に入ったようだ。
頬にあたる風が冷たいので、今日のスタイルは長そでシャツにさらにウインドブレーカーを重ね着している。
豊橋まで37㎞を歩くので、新幹線の高架をくぐると、心なしか速足となった。 舞坂宿までは単調だったが、松並木を過ぎ浜名湖が見えてくるとがぜん賑やかになってきた。
新居宿には復元された関所や旅籠、本陣跡もあり、見どころも多いが、先を急ぐので立ち寄ることもなく、写真を撮りながら足早に通り過ぎた。
それにしても風が強く、体が持っていかれそうな向かい風に辟易しながら黙々と歩く。 帽子を何度も飛ばされるので諦めてザックに入れて歩くが、出発間際にカミさんにバリカンで丸めてもらったアタマが寒くて仕方がなかった。
鬱蒼と茂る樹々の間から太平洋を望むことができる潮見坂を登り、白須賀宿に入るとようやく行程の半分である。
潮見坂は海抜わずか28メートルしかないのに、登るのに息が切れてしまう体たらくである。
その分、白須賀宿までは緩い下り坂になり、現金なものでそれこそ鼻歌交じりだ。
ホーロー看板はほとんど見かけることがなく二川宿に入った。
古い町並みに残る町名看板や太田胃散の看板は健在だったが、外してしまったのだろうか、西駒屋の味噌醤油の看板は残念ながら見当たらなかった。
この日は豊橋まで歩き、とっぷりと日が暮れた頃にホテルに投宿。
看板との出会いは低調な一日となったが、2005年に見つけた『肩こりムヒ』の看板が17年の歳月を経て健在だったのが、何より嬉しかった。

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▼10月12日
どんよりとした曇り空の下、2日目がスタートした。 駅に急ぐ通勤のサラリーマンや女子高生の群れを横目に、豊橋駅から延びる線路を渡り、旧東海道に合流。
本陣跡を過ぎ、【東海道】の標識に導かれるまま直角に曲がり、坂を下ると豊川を渡る豊橋に出た。
江戸時代は『吉田大橋』と呼ばれ、岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋とともに東海道三大大橋といわれていたという。
御油宿までは国道1号線と並行する旧東海道を歩くが、交通量が多いにも関わらず、歩道がまったくない区間もあったりして、それなりに神経を使いながら通過した。
後ろからクルマに追突されるのが怖いので、歩道がない道は条件反射のごとく逆車線を歩くことにしている。
対向車のドライバーから見ると、正面から歩いてくる私に気づかぬ筈はなく、皆一様に大きく避けていく。
歩き旅では、自分の身は自分で守らなくてはいけないので、ルールを無視しているのは心苦しいが致し方ない。 歩行者の安全を考えると、せめて国道や県道クラスなら歩道の設置を急ぐ必要性を感じる。
日本の道路事情はクルマ優先過ぎて、歩行者に優しくできていないのが腹のたつところだ。 …とブツブツ嘆いても足はひたすら前に進む。
松並木が続く御油宿を過ぎ赤坂宿に入る。 看板との出会いは、ここまでわずか2枚である。
なかでも古い民家の板壁に隠れるように貼られていた『感冒ユイツ』の看板を見つけたことが嬉しい。 クスリの看板はいつ見つけても心が躍る。
すっかり暗くなった頃、岡崎城下の二十七曲がりを歩き、最後は岡崎城の公園を突っ切り、ドンピシャのタイミングで宿泊予定のホテルの前に出た。
しかし、ここでアクシデントが…。
ホテルを目前に、横断歩道を渡ろうと信号待ちをしていたときのこと。 すーと血の気が引き、突然目の前が真っ暗になり、その場で倒れて尻もちをついてしまった。
すぐに我に返って起き上がったが、どうやら、立ちくらみから貧血を起こしたようだ。
これで胸の痛みを伴っていたら、間違いなく心筋梗塞で病院送りだったろうと思う。
どちらにしても、頭を打たなくてよかった。
連日30㎞を超える歩きと、水分補給不足が招いた結果かもしれない。
7月の北海道では、血尿に見舞われたし…。
思っている以上に、自分は年寄りで、体力が低下しているんだろうなぁ…。
そんなことを自己分析しながら、ホテルのベットであぐらをかき、ちゃっかりとビール片手に大盛の焼きそばをがっつくのだった(笑)。

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▼10月13日
子供たちの登校時間と重なった八丁味噌の蔵元が並ぶ通りを抜けると、国道1号線に出て矢作川を渡った。
八丁味噌通りでは東海道を少し外れて、蔵が立ち並ぶ路地に入ったりして看板を探してみるが、まったくの不発。貴重な看板は大切に蔵の中に仕舞われているようだ。
池鯉鮒宿までは散発的に続く松並木を追っかけるように歩くが、旧東海道は国道1号線から大きく逸れているので、クルマの騒音や排気ガスに悩まされることなくのんびりと行く。
名鉄三河線の線路を横切り、知立市街地に入ったところが池鯉鮒宿。 小規模ながら本陣跡や知立城跡が残っていた。
豊明を過ぎ、国道1号線に沿って歩くと、有松の町並みがある鳴海宿に入った。 過去に何度か訪ねたことがある町だが、通しで歩くのは初めてである。
電柱が埋没された町並みは、圧巻の一言。 広く青い空に重厚な木造の商家や白壁土蔵が軒を連ね、そのまま江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を感じた。
日本橋を発してこれまで歩いてきた宿場の中では、スケール、パフォーマンスは断トツの一位ではないだろうか。
かつて自分が生まれ、住んだ町・名古屋にこれほどの文化遺産があったことに改めて驚いてしまった。
名古屋城以外見どころもなく、魅力がない町と揶揄される名古屋だが、有松の素晴らしさをもっと宣伝してもいいのではないだろうか。
地元民でも訪ねたことが無い人が、きっと多いと思う。
この日は昨日に続いて2枚目の『感冒ユイツ』と『笠原式脱穀機』を見つけた以外はホーロー探検は低調だったが、ゴールの熱田神宮までの旅が、改めて歴史の道を歩いているんだという充実感に浸ることができた。

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▼10月25日
前週に続いて、東海道歩きに旅立つ。
早朝自宅を出て、JR中央西線、地下鉄と乗り継いで、前回ゴールした熱田神宮前の佐屋街道との分岐へ。
天候は曇り、気温16度。 いきなり冬がやってきたような肌寒いなか、ゆっくりと歩き出した。
常夜燈がある七里の渡し場まではすぐで、堀川の運河に広がる風景を見ても江戸時代の面影は全くない。
いにしえの旅人たちにとって、潮によっては十里にもなったという、ここから遥か七里先の桑名宿までの船旅はどんな思いで渡ったのか分からないが、陸路の場合は25㎞の行程となるので、いずれにしても一日がかりの旅となったのだろう。
陸路を歩く私は、国道1号線の南を走る県道59号線を選んで、ひたすら西に歩を進める。
県道59号線が通る中川区にはそのものズバリ東海道と書く地名があるが、紛らわしいが呼び方は「とうかいどおり」である。
松並木の跡が残っていたりするので、これも旧東海道の名残りだろうか。
日光川の運河を渡り、蟹江町から弥富に抜ける道すがらに『鍋蓋新田』の町名看板を発見。偶然ながらこれは嬉しい一枚だった。
地に足が付かない不安定な歩道が併設された木曽川鉄橋を渡ると、三重県桑名市に入った。
日本橋がある東京都から数えて5つ目の県境を越え、残すは滋賀県のみとなった。
長良川と揖斐川鉄橋を渡り揖斐川の堤防に沿って歩くと、桑名の七里の渡し跡である。
「一の鳥居」と呼ばれる大鳥居から覗くと、ボートが係留されている水路に桑名城の石垣が続いているのが見えた。
この辺りが桑名宿のメインだろうか、大きな青銅の鳥居が残る桑名総社を眺めながらのんびりと歩く。
桑名宿を通る旧東海道は、直角に曲がったり、思わぬ路地に入ったり、プレートや案内板を探しながら歩く。 復元された火の見櫓もあったりして、古い町並みを眺めながらの歩きは楽しい。
桑名宿では町名看板との出会いを期待したが、残念ながら一枚も見つけることができずに終わった。
そればかりか過去に見つけていた看板も消失しており、看板の未来が暗いことを再確認することになってしまった。
午後3時を回り、空が暗くなったと思った途端、傘を出す間もなくいきなり降りだした雨に打たれた。
ウインドブレーカーのフードをかぶり、そのまま国道に出ると、ドンピシャのタイミングで予約していたホテルがあった。

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▼10月26日
桑名市内から静かなたたずまいの旧東海道を辿る。
常夜燈を見て員弁川にかかる町屋橋跡に出たが、ここで行き止まりとなってしまい、仕方なくUターンし県道まで戻り、員弁川を渡った。
近鉄の伊勢朝日駅前には東芝の工場があり、通勤時間と重なったこともあり、工場に吸い込まれていく社員さんたちの群れに混じって歩く。
ふと、電車に揺られて通ったサラリーマン時代を思い出したが、すでに2年以上経過し、今となっては“遠い昔”の思い出である。
平日の通勤時間に、ザックを担ぎ、好きな歩き旅にうつつを抜かす自分は、傍から見たら世捨て人のように映るだろうか。
まぁ、仕事もせずに好きなことができている幸せは、言葉に表すこともできない。
富田の一里塚を過ぎ、再開発中の近鉄富田駅付近を通過すると、4㎞毎に出てくる一里塚を数えながら黙々と歩くだけになった。
昔の旅人もそうだったのだろうか。 あと二里、あと一里…そんなことを思いながら目的地に急いだかもしれない。
四日市に入ると、市を挙げて東海道を宣伝しているのか、道筋にはやたらとゆるキャラの「小入道くん」がプリントされた幟が目についた。
それ以外にも【←東海道→】と書かれた木札やプレートもいたるところにあって、これを追っかけて行けば迷わずに歩いて行けるからうれしい。
旧街道を歩く楽しみには、地図を見ながらオリエンテーリングのように道を探索する要素もあると思うが、過剰サービスと取れなくもないが、案内がまったくなくて迷ってしまうよりはありがたい。
この日は亀山までの34㎞を歩いたが、看板探しはまったくの不発。
三重県内でよく目にする結納店のローカル看板を除くとほとんど見つけることができず、もっぱら歩くことに終始した一日となった。

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▼10月27日
今日は、東海道の難所といわれる鈴鹿峠を越える日。
峠を越えるまでは店がなさそうなので、コンビニでサンドイッチとおにぎりを買って、昼めしに備えた。
小学生の登校の列とすれ違いながら、朝の亀山宿を歩く。
「東海道を歩いているの?」
鍵型に曲がった路地から突然現れた、ゴミ出しに向かうおばあちゃんに声をかけられた。
(ほう、どうやらこの私は旅人に見えているようだ)。
(…不審者じゃなくてよかった)。
東海道随一の白眉ともいえる景観をもつ関宿は、人っ子一人、猫も横切らないような静けさの中にあった。 電柱が埋設されているので、見上げる空が広い。
これまで何度も訪れて目新しさはないはずなのに、日本橋から17日間をかけて、ここまで歩いてきたということに感慨ひとしおなのである。
根が、単純なのだ。 感動は、カタチを変えればいくらでも味わうことができる。
古い薬局のショーウインドに展示されたホーロー看板も健在だった。
時々入れ替えているのだろうか。いつ来ても違う看板が置かれている。
関宿からは鈴鹿峠に向かって黙々と歩く。 山の中の隠れ里のような坂下宿を過ぎると、にわかに勾配が増し、東海道は植林された杉林を縫うように繋がる山道となった。
森の中にひっそりとたたずむ片山神社を見て、さらに急になった坂道を一気に登る。
東海道の難所といわれる鈴鹿峠だが、汗をかくまでもなく、意外にあっけなく登り切った。
お茶畑に挟まれた東海道を一気に下ると国道1号線に合流し、滋賀県に入った。
東京から数えて6つ目の県境を越えたことになる。 泣いても笑ってもこれが最後だ。
峠越えがあまりにもあっけなかったので、ここからはスピードを上げてずんずん歩く。
16時、宿場の雰囲気を色濃く残す、水口宿に到着。
ホテルに隣接したアルプラザ平和堂で焼き鳥と鯖寿司を購入し、投宿。
政府の旅行支援もあって、宿泊料金は激安の3700円、さらに3000円分のクーポン券がおまけについた。
これで、ゴールを迎える明日は、豪華な打ち上げができそうだ。
この日は関宿以外にも滋賀県に入ってから『太田胃散』や初見の日立看板など、東海道ホーロー旅で一番の収穫となった。

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▼10月28日
東京日本橋から18日目。 5回にわたってリレーしてきた旧東海道の旅が、いよいよゴールを迎える。
水口宿から街道をまっすぐ歩き、泉の一里塚跡を過ぎると横田の渡し大常夜燈にぶつかった。
かつてはここから横田川(野洲川)を渡し船で渡ったというが、今は国道1号線にかかる横田橋を渡ることになる。
東海道は石部宿まで草津線の線路と並行しながら進むが、民家も多くてけっこう人臭い。 スマホで撮影するにも気を遣う。
石部宿を出て、金山跡の手前から大きく迂回していく東海道を進むと、六地蔵の一里塚。 そこからすぐに『旧和中散本舗』の立派な木造家屋が出てきたが、贅を尽くした江戸時代の豪商の館らしい。
シーボルトも立ち寄って薬を買い求めたという謂れもあり、いまだにこうした建物が残っていることにも驚きだが、何と言っても古きものを守っていく姿勢が素晴らしい。
遠くに草津駅前の高層ビルが見えてくると、東海道の旅もいよいよゴールが近くなった。
JR手原駅を過ぎ、新幹線の高架をくぐり、国道1号線バイパスの上を通る橋を渡って、草津宿に入った。
ゴールまでは秒読みなので、旅の最後を慈しむように、所々に残る古い建物を眺めながらのんびりと歩いた。
長かった旅の最後を飾るように、金鳥ペアと太田胃散の看板が迎えてくれたことが何よりもうれしかった。
12時ちょうどに中山道との合流点がある追分に到着。
JRの高架下の道標には、「左中仙道みのぢ 右東海道いせみち」と彫られていた。
2020年7月に見上げた道標が、ひどく懐かしく思えた旅の終わりだった。
(2022.12.10記)

※画像上/人っ子一人いない関宿。時間が止まったような静かな空間があった10月27日
※画像中/17年の歳月を経て再び出会えた『肩こりムヒ』。嬉しい邂逅だった。10月11日
※画像中/天然記念物指定されている御油の松並木。東海道の白眉の景色。10月12日
※画像中/有松の町並み。大都市名古屋にこれほどの景観が残っていることに驚かずにはいられない。10月13日
※画像中/水の都、桑名宿。七里の渡しの船着き場。10月25日
※画像中/四日市市に入るとゆるキャラの小入道くんが迎えてくれた。10月26日
※画像中/コスモス畑を見ながら野洲川に沿って水口宿に向かう。10月27日
※画像下/ゴールの草津宿に入る。18日間の長い旅が終わった。10月28
※宿泊/ニュー東洋ホテル2豊橋駅西口・岡崎オーワホテル・ホテルエスバリュー桑名・ホテルエコノ亀山・水口センチュリーホテル



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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SINCE 2005.3.17