ホーローの旅
レポート389 名古屋へ、下街道を歩く
2023.1.31-2.9
岐阜県恵那市~瑞浪市~土岐市~多治見市~愛知県春日井市~名古屋市
年末年始をゴロゴロと過ごしたツケが回ったのか、体重が増加し、その結果、血糖値が上昇するという“負のスパイラル”を招いていてしまった。
大げさでもなんでもなく、膵臓が半分しかなくインスリンが分泌し難い自分にとっては、血糖値の上昇はそれこそ死活問題なのだ。
まずは、運動して体重を減らすこと。 そう思って、久しぶりの歩き旅をすることにした。
長距離のウォーキングは昨年の旧東海道以来だが、ここまでの“大物”じゃなくても、東海地方には美濃路や中馬街道といった脇街道も無数に走っている。
なかでも『下街道』は、江戸時代に岐阜県恵那市から分岐する中山道と名古屋城下を結んだ脇街道で、私の地元である町を通る60㎞に及ぶ街道である。
古い町並みはあまり残っていないが、路傍にたたずむ石仏や常夜燈に癒されながら、のんびりとホーロー看板を探すことができれば尚良い。
前置きが長くなったが、そんな気持ちで恵那をスタートし、名古屋に向かう旅が始まった。
▼1月31日
気温マイナス3度の氷点下。JR恵那駅からスタートし、雪が残った国道19号線に出て、中山道と下街道の追分を目指す。
恵那から瑞浪までは、土岐川とJR中央線、国道19号線に挟まれた街道を黙々と歩いていく。 雪を被った中央アルプスの稜線が目にまぶしい。
古い民家が軒を連ねるわけでもなく、町並みはパッとしないが、1670年建立の石鐘や1764年建立の馬頭観音などが路傍にたたずんでおり、 ここが江戸時代からの古い街道だということを物語っている。
廃業した「いとう鶴酒蔵」や神社仏閣、真っ黒に変色した干し柿が軒に下がる民家を仰ぎながらのんびりと歩く。
JR中央線の線路脇には、かつて「サイン毛糸」が貼られた民家があったが、いつの間にか姿を消してしまったようだ。
しかし、「イルガピリン」と「キンヨー」が貼られた廃商店は健在だった。
2005年に訪ねた時もすでに店は閉まっていたが、隣地に建物が建っており、壁に貼られた「イルガピリン」がチラリと見えているだけだった。
2枚あった「桃源」のブリキ看板が1枚消失したのは残念だが、それを差し引いても隣が空地になったことにより建物全体が見えたことが嬉しい。おそらく中央線の車窓からも遠く見えるに違いないだろう。
瑞浪から土岐間の下街道は、ホーロー看板を探しながら中途半端に訪ねているので、目新しさはなかったが、それでも歩き目線が功を奏してか、「トーヨータイヤ」や「三菱ミシン」の看板を見つけることができた。
3回に分けた歩き旅の初日は高山宿を抜けた土岐市役所前でゴール。 26.8㎞、40154歩の久しぶりの長距離ウォーキングだった。
▼2月2日
土岐市役所から多治見市役所本庁舎までの5㎞の区間は以前に歩いているので、下街道ウォーキングの2回目は、内津峠を越えて愛知県春日井市のJR神領駅までの約20㎞を歩くことにする。
気温は2度。 一年で一番寒い季節なので、厚手のパーカーとネックウォーマー、毛糸の帽子の出で立ち。もちろん、ヒートテックの股引も履いている。
古い商家や白壁の蔵が軒を並べるオリベストリートから土岐川にかかる多治見橋を渡り、JR多治見駅前へ。
下街道は土岐川堤防と商店街のどちらも通っており、今回は商店街を歩いて池田町へ進む。
多治見市内は地元なので今更だが、こうしてぶらぶら歩くのも新たな発見があっていい。
しかし、がっかりするようなマイナスの気づきもある。
かつて、商店の軒先にあった「ボンカレー」の看板や超レアモノの「明治リボンキャラメル」の看板もいつの間にか消えていた。
時代の流れとはいえ、すでに用済みのホーロー看板たちの出番はすでにないようだ。
美濃焼陶器の町だけあって、いたるところに陶器のモニュメントやデザインタイルが敷かれた歩道などを見ながら歩く。
2005年に初めて訪ねた時、店番のおばあちゃんが大切そうに見せてくれた、グリコの看板を撮影した商店は、駅前の再開発の波にさらわれて、すでに跡形もなかった。
県立多治見病院の脇を抜け池田町に入ると、小規模ながら宿場の雰囲気があり、常夜燈も残っていた。
「池田町屋第九」の町名看板はまだ健在で、赤と青のツートンのデザインは市内に多く残る消火栓の看板にも採用され、1978年(昭和53)に廃止された笠原鉄道が走っていた頃の名残である。
この看板のスポンサーは「池田農業協同組合」になっているが、下街道が通る池田町にはびっしりと新しい住宅が立ち並び、今となっては農地はどこにも見当たらない。
国道19号線をしばらく歩いてから森の中の旧道に入り、真冬だというのに、汗を拭き拭き内津峠を目指して登る。
途中には苔むした馬頭観音もあった。
峠を境に愛知県に入ると、これまで見慣れていた【←下街道→】のプレートもなくなり、地図アプリを確認しながら坂下宿に向かって下った。
坂下宿は常夜燈や馬頭観音があるので、ここが下街道ということは分かるが古い建物はわずかしか残っておらず、面白味は今一つだった。
予想はしていたが、ホーロー看板は撃沈状態。かつて撮影した「金鳥」や「ブリヂストン」の看板が貼られた民家や商店も消えていた。
交通量が多い県道を離れ、内津川に沿って歩いて、JR神領駅でゴール。 スコアは17.48㎞、26905歩のウォーキングとなった。
▼2月9日
JR中央線神領駅を出発し、前回中断した下街道の合流点に向かう。 下街道は国道19号線に沿って、絶妙な間隔を保って名古屋に向かっている。
それにしても豪邸が多い。 財を成した人が住んだのだろうか。 古い家屋や商店の名残はわずかしかないが、建て替えられた家屋は土地も広く豪邸揃いである。
春日井市の鳥居松まではそんな風景に驚きながら歩いた。
JR勝川駅を抜け、国道19号線に出て庄内川を渡り、名古屋市に突入。
ここから大曽根までは住宅街をくねるように続く道を歩くが、単調で面白味はなかった。
昨年の暮れに訪ねた「金虎酒造」で梅酒を購入。
この蔵には2枚の酒看板があり、再度撮影。 大曽根商店街を抜け、代官町の交差点に出ると、善光寺街道の起点道標があった。
下街道はそのまま西に向かって続いているので、そのままずんずん歩いていく。
テレビ塔が見える久屋通りを横断し、今や京町通と名を変えた下街道は本町通りと交差した。
善光寺道の道標があり、そこから南下し、桜通りを横切るとモニュメントがある伝馬会所札の辻まではすぐだった(最後の最後に、モニュメントを撮り忘れるというヘマをやってしまった)
。
恵那の起点から三日をかけて歩いた下街道だったが、やはりというか、山里を歩く郊外のほうが格段に面白かったように思う。
ホーロー看板を見つけるどころか、消失の実態を確認する旅になってしまったことが寂しくもある。
名古屋の札の辻にゴールした時は、サラリーマン時代に勤めていた会社のビルがすぐ近くで、更に驚いてしまった。
知らないということは恐ろしい。
帰路は、栄にあるモンベルを訪店し、トレールランニング用のシューズを購入。 今年の歩き旅が楽しみである。
歩いた距離は17.16㎞、26411歩となった。
(2023.2.22記)
※画像上/清水弘法堂の石仏群。弘法堂は1615年建立。多くの石仏が1700年代の建立(瑞浪市)
※画像中/高山宿。下街道では一番規模が大きい宿場(土岐市)
※画像中/池田町の町並み(多治見市)
※画像下/下街道は賑やかな大曽根商店街を通っていた(名古屋市)