ホーローの旅
レポート393 四国遍路ホーロー旅 春の章
2023.4.12-24
高知県高知市~土佐市~須崎市~中土佐町~四万十市~土佐清水市~宿毛市~愛媛県愛南町~宇和島市~西予市~大洲市
「心をあらい、心をみがく、へんろ道」
新緑の森に続く遍路道をあえぎながら登ると、木の枝に下がった目印のプレートが揺れていた。
歩いて回る四国遍路の旅の続きは、雨の高知から始まった。 前回の旅から2週間、その間に右足にできたマメの傷から細菌が入り、発熱と足の腫れに苦しむという予期せぬアクシデントに見舞われた。
1番霊山寺をスタートし、順調に室戸岬を通過できたときには、あわよくば、“通し打ち”で一気に88ヶ所の霊場を回るという欲もあったが、旅の後半には、おそらく発熱していたのだろうか、連日の寝汗とマメの痛みに苦しみ、否応なく高知でリタイヤしたのだった。
傷が癒えたのを待ちきれずに、再び四国の土を踏んだのが二度目となる今回のお遍路である。
31番竹林寺を目指す旅の初日は、肌にまとわりつくような鬱陶しい雨に辟易しながら雑踏の高知市内を抜け、牧野富太郎博士で有名な牧野植物園がある五台山に向かう。
ここからが、愛媛までの2週間の遍路旅のスタートとなる。
私の目的は【南大師遍照金剛 同行二人】と刻印された、弘法大師の化身とされる金剛杖を持ち、白衣を着ての巡礼であり、歩いてお遍路をすることだ。
ホーロー看板を探すことは旅の副産物に過ぎないが、これを煩悩といったらいいのだろうか。
遍路道が古い町並みに入って行けば、巡礼をしていることをすっかりと忘れ、おのずと目をきょろきょろさせて、民家の板壁の角や、古い商店の軒下に視線を飛ばしてしまう。
もはや煩悩を通り越して、これは己が身に染みついた条件反射なので仕方がない。
高知市から四万十川を渡り、足摺岬、宇和島、大洲を経由し、内子までの2週間の旅は、忘れた頃にぽつぽつとホーロー看板と出会う味気ない旅となったが、出会いが少なかったからこそ、一枚一枚の看板との遭遇は強く印象に残っている。
高知市内を抜けて、道が山間に差しかかる場所で見つけたシャッターが下りた食料品店。
直感と言っていいのか、なにやら“匂う”雰囲気を感じ取り、店の側面に回り込むと、そこには『酒は榮富久』の看板が。 初見の地酒看板だった。
一緒に貼られている塩やたばこの看板も良い味を出していた。
次に見つけた『ホープ冷蔵庫』の看板も忘れ難い。
土砂降りの雨の中、古くから高知の遍路道の難所といわれた七子峠を越え、冷え切った体でようやくたどり着いた集落。板壁の民家の軒下で、目に飛び込んできたのがこれだった。
昭和30年代の初め、冷蔵庫が三種の神器ともてはやされる以前の頃だ。 どこの家にもまだ冷蔵庫などない時代、夕餉の買い物に行く商店街にある町の魚屋でこれを見ていた覚えがある。
金歯むき出しの魚屋のおばちゃんが、重い木製の扉を開けると、大きな四角い氷が寝転んだ区画の中に、晩のおかずになる鯖やイワシ、そして大好きだった鯨の肉が並んでいた。
一瞬にして真っ白になった氷の煙を振り払うように、おばちゃんは魚を出して、素早く新聞紙にくるんで母に渡すのであった。
また、ある日にはランドセルを背負った学校帰りの私に、
「のりちゃん、食べりゃあ」(※幼少期、私はのりちゃんと呼ばれていた)
と言いながら、冷蔵庫から思いっきり冷えた「ういろう」(名古屋名物の餅菓子)を出してくれ、その、ぼよよ~んとした感触を味わうように、甘いういろうにかぶりつき帰路に着いたことを思い出す。
昭和20年代から30年代にかけて活躍した家電製品の看板がいまだに残っているのも驚きだが、それ以上に、その思い出が蘇ってきたことに驚く。
こんな小話は枚挙にいとまもないが、今となっては遠いセピア色の思い出である。
かれこれ50年以上も前の話である。
小話ついでに、今回の遍路旅でお接待された話をひとつしたい。
お接待とはお遍路さんに菓子や飲み物などを無償で施すことをいうが、そこには深い意味があり、四国ではお遍路さんは弘法大師と一緒に歩いている存在なので、お遍路さんにお接待をすることは=弘法大師をお接待すること、と同様な意味合いがあるという。
宇和島の町を過ぎ、41番龍光寺に向かう県道の峠道を登っていると、前方から走ってきたバイクが私の横に止まった。
「お遍路さん、お接待」
そう言いながらバイクから降りたのは、けっこうなお年のオバサン。
肩にかけた袋から紙パックのりんごジュースを出し、更にウエストポーチから黒飴をわしづかみにして、差し出された。
オバサンは73才で、歩いてお遍路をしたいけど、もう年だから無理と笑った。
納め札を渡すと、これで10枚貯まったと喜びながら、
「私の分まで歩いてね」
と言って、去っていった。
それからしばらく歩くと、通りかった自販機の前で軽自動車が止まった。
運転席から降りてきた年配の男性が、
「お接待するよ、どれでも好きなのを選んで」
と言いながら、やおら自販機に小銭を入れた。
二度目なので今度は落ち着いて、「南無大師遍照金剛」と合掌しながら納め札を渡して、ペットボトルのお茶をご馳走になった。
朝から矢継ぎ早のお接待に驚いたが、これも一期一会。 ありがたく受けさせてもらった。
…お接待の話はここまでだが、実はうれしいことに、男性からお接待された自販機の後方にある小屋でホーロー看板と出会うことができたのだ。
これは重ねてうれしい出来事だった。
畑の中にぽつねんと建つ小屋には、『不二わた』と『天使わた』の大型看板が2枚。
畳くらいの大きな看板なので、そのインパクトも半端ではない。 本来なら一枚で組み合わされる看板だが、スペースの関係で横並びに2枚貼ったものと思われる。
私のそれからの行動はすっかり興奮気味で、【南大師遍照金剛】と背に書かれた白衣を着ていることさえすっかり忘れ、小屋の周りをいったり来たりして、写真を撮りまくった。
まさしく、お接待の喜びと看板発見の喜びが重なった瞬間だった。
私は、お接待の紙パックとペットボトルで重たくなったザックを担ぎ、久しぶりに見つけた看板に満足し、田園風景が広がった遍路道を歩き、41番龍光寺に向かった。
4月12日から24日まで歩いた二度目のお遍路旅は、愛媛県内子町でゴールした。
その手前の大洲を含めて看板の姿を求めたが、17年前にホーロー探検で訪れた風景はすっかり変わっており、その姿はいつのまにか消えてしまっていた。
お遍路の道は、そこを辿る人がいる限り1200年経った今も累々と残り続いていくが、ホーロー看板はさにあらず、わずか50年の時さえもたずに消える。
二度目のお遍路で、そんな当たり前のことを再認識した旅になってしまったことが寂しい。
(2023.5.6記)
※画像上/平田から遍路道を拾って、39番延光寺に向かう。高知県宿毛市平田町。4月20日
※画像中/愛媛県愛南町から宇和島に向かう。のどかな漁村風景が続く。愛媛県宇和島市針木。
※画像中/町並み保存地区になっている卯之町を歩く。愛媛県宇和島町卯之町。4月23日
※画像中/田植えを待つ水が張られた田園風景。高知県土佐市。4月12日
※画像下/愛媛県宇和町卯之町。ホーロー看板の姿はなかった。4月23日