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ホーローの旅

レポート394 四国遍路ホーロー旅 初夏の章

2023.5.17-6.1
愛媛県内子町~松山市~今治市~西条市~四国中央市~香川県観音寺市~高松市~さぬき市~和歌山県高野山町


探検レポート394

「早く歩くか、ゆっくり歩くか、なん日で廻るか、なん回廻るか、そんなことよりしっかり歩け、そして何かを残せ」
遍路は自分との闘いだと、つくづく思う。
お遍路をして、人は変わるのだろうか。
何かを得たいがために、歩くのか。
人それぞれに答えがある。
私はその答えを見つけるために、4月に中断した愛媛県の内子から再び歩き始める。
満を持しての結願への旅である。44番大宝寺から結願の寺、88番大窪寺まではおよそ400㎞。これを2週間で歩くことが今回の計画である。
まだ肌寒い3月から始めたお遍路も、いつのまにか季節は新緑が眩しい初夏となった。
何度も触れているが、遍路道を歩く楽しみの一つとして私が好きな路上観察がある。
とりわけホーロー看板を見つけることはライフワークとして体にしみ込んでいるので、いつも目を皿のようにして歩調に合わせ、ゆっくりと流れていく景色を観察している。
看板ばかりでなく古い民家の造りにも興味があるし、廃業した銭湯、井戸のポンプや牛乳箱、とっくに潰れた商店ならば、朽ち果てるまま放置されている自販機などにも目を向けている。
簡単に言えば、古いものが好きなのだが、とりわけホーロー看板にあっては飽きもせずに20年に渡ってその姿を追っかけている。

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四国ではこれまで何度もホーロー探検をしてきたが、いずれもクルマを駆使した探検だったので、集落の中にかろうじて続く路地のような生活道や、それこそ遍路道のような何百年にも渡って人々が往来してきた古道にハンドルを握ることはなかった。
お遍路道はまさに盲点ともいえるロケーションだった。
一日に何人がこの道を歩くのだろうか、というくらい辺鄙な、隠れ里のような集落の道にある廃商店に貼られたたくさんのホーロー看板。
延々と続く森の中を縫うように踏み跡が残る遍路道に忽然と現れた、リスが纏を振るっている愛らしい絵柄の山火事防止の看板。
墓地の片隅で見つけたすでに用無しとなった地下足袋の看板等々。
一枚一枚の看板との出会いを思い出したらきりがないが、クルマでは到底見つけることができなかった看板たちがたくさんあった。
遍路道が通るのは、山の中の辺鄙なところばかりではなく、国道や県道が遍路道になっていることも多い。
というか、実のところ全体の6~7割がそうかもしれないが。

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内子から44番大宝寺がある久万高原町に向かう国道379号線沿いの民家で見つけたニコホン綿の看板は、見事に背景の森と同化した孤高の姿に、見つけた瞬間にドキリと胸が躍るものがあった。
帰宅するまでずっとその時の感動が続いていたが、過去の記録を調べてみると、何のことはない。
2009年8月にここを訪れ、まさしくこの民家のこの看板を撮影していた。
ということは、当時は知る由もなかったが、クルマで訪れたこの道は、まぎれもなく遍路道だったわけだ。
同様なことがもう一つ。 地場産業の瓦の工場が軒を並べる愛媛県菊間町から今治市へ向かう道を、暑さに辟易としながら歩いた午後のこと。
ひっきりなしにクルマが行きかう国道から、排気ガスの苦しさから逃げるのと、涼しそうな日陰となった脇道に誘われるまま逸れてしまった。
突然眼に飛び込んできたのは、6枚もの看板がびっしりと貼られた屋敷。
忠臣服、富士ヨット学生服、トヨタ毛糸編機…うーん、素晴らしい! まさに、ビンゴ。
ドンピシャの出会いだった。

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しかしこの興奮が醒めやらぬうちに、暑さで朦朧とした頭をいったん鎮め、記憶の底を探ってみる。
…そうだ、思い出した。
2006年にまぎれもなくこの場所で撮影した看板屋敷だった。
知らなかったが、この屋敷も遍路道の途上にあったのだ。
確かに、ここが間違いなく遍路道だと分かったことに、看板屋敷からそのまま隣を並走する国道を横目に歩いていくと、巨大な工場の敷地内に入ってしまい、そこにはコンビニに併設されたお遍路さんの接待所があったからだ。
接待所というのは、民間の人たちが、お遍路さんのために善意でサービスを提供している休憩所のことである。
四国にはこうした接待所がたくさんあり、金剛杖に白衣姿の歩き遍路さんたちに、お茶や菓子を無料で振る舞っている。
私も何度かこうした接待所に助けられたことを思い出す。
昼めしを食いっぱぐれ、 歩いても歩いても飲食店に巡り合えず、頭の中は食べることの欲求という煩悩に支配された午後2時。
辿り着いた73番出釈迦寺で、お茶とどら焼のお接待を受けた。
空腹が極に達していたので、涙が出るほど嬉しかった。

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横道に逸れてしまったが、こうして見ると、ホーロー看板と遍路道はまんざら関係がないわけでもなさそうである。
今回の2週間の旅でも、忠実に遍路道を歩くなかで50枚に近い看板を見つけている。
3、4月のお遍路でも遍路道上で多くの看板との出会いがあった。
一日中ハンドルを握って看板を探しても、一枚も見つからない昨今の状況を考えると、この確率は凄いものがあるのではないか。
クルマでは出会えない看板も、遍路道という年間でわずか1000人ほどしか歩くことがない古の道には、まだ残っていることが何といっても嬉しく思う。

さて、3ヶ月に渡った私の四国遍路は、5月31日に予定通り88番大窪寺で結願を迎えた。
その2日前には四国地方は梅雨入りし、しとしと降る雨を見上げてのゴールだった。
1200㎞もの長く苦しい遍路道を歩き続けてきた過程で、煩悩との闘いもあったし、関わった人々に対して感謝できた素直な自分もいた。
お遍路の旅は自分を磨く格好な場だったように思う。
(2023.6.12記)
※画像上/重信川を渡たり、48番西林寺に向かう。道後温泉も近い。愛媛県松山市。5月20日
※画像中/白壁が軒を並べる内子の町並み。伝統的建造物町並み保存地区。愛媛県内子町。5月17日
※画像中/かつては遍路宿が軒を並べていたという隠れ里のような集落が現れ、遍路道は路地を縫うように細々と続いた。愛媛県久万高原町。5月19日
※画像中/71番弥谷寺山門の仁王像。にらみつけるその眼光の鋭さにたじろいだ。香川県観音寺市。5月27日
※画像下/久万高原町から国道33号線を歩き三坂峠に近い遍路宿に向かう。田んぼに映る山の稜線が美しい。愛媛県久万高原町。5月19日



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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