琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート396 福井から琵琶湖へ、秋の旅

2023.9.19-20
岐阜県郡上市~福井県福井市~越前市~南越前町~敦賀市~滋賀県彦根市~岐阜県垂井町~揖斐川町~岐阜市


探検レポート396

「長距離の運転は、気をつけて」と、クリニックの主治医から言われて一週間。その言葉も冷めやまぬうちに600㎞を走る一泊のホーロー旅に出ることにした。
ことの発端は、私の心臓の具合にある。 40日間を歩いた春の四国お遍路を終えてから、毎日計っている血圧計の数値がにわかに気になりだしたのだ。
私はもともと若いころから脈拍が遅い傾向にあったが、血圧計に表れる数値はこのところずっと40台。時には38とか39ということもあり、明らかに徐脈となってきていることに気づいた。
それに、手首に手を当ててみると、脈が飛んだり間隔が開いたりして乱れることもある。 最初はお遍路での長期間の継続した運動がいわゆるスポーツ心臓のような状態になって脈が遅くなったのでは?と自己分析していたが、主治医に相談したところ、大病院の不整脈外来での検査を勧められた。
結果は、狭心症などの異常はないが、徐脈は明らかなので、めまいや失神といった症状が出てきたら治療をしたほうが良いということだった。
徐脈の治療には今のところ投薬はなく、心臓ペースメーカーの埋め込みを行うようだ。記憶をたどってみると、私の父や亡き叔父も徐脈で、叔父にいたってはペースメーカーを装着していた。
どうやら私の徐脈は遺伝性が高いように思うが、まぁ、こうなったからにはしょうがない。
60代も半ばを数え、思わぬ爆弾を抱える身になってしまったが、ここは開き直って、残りの人生をのらりくらりと楽しくやっていこうと思う。

探検レポート396

▼9月19日
さて、前置きが随分長くなってしまったが、主治医はともかく、大病院の専門医の「運転は問題ありません」のアドバイスを良いほうに解釈して、福井県から琵琶湖を目指すホーロー旅に出発した。
自宅から岐阜県を縦断し、白鳥町から福井県九頭竜湖に抜ける中部縦貫道を経由した。
福井は今年の2月にも訪ねているが、山間に広がる棚田はすっかり黄金色。雪深いこの地方もそろそろ稲刈りのシーズンだ。
2006年の平成大合併で今は福井市に併合された旧美山町に入る。
面積の9割以上を山林が占めるという美山町には、足羽川に沿ってぽつりぽつりと小さな集落が点在している。そこにお目当ての町名看板があるのだ。
2月の探検で1枚を見つけているが、TMさんのサイト『悠久の思い出』によれば今のところ8枚発見されているようだ。
看板に入っているスポンサーの『大野信用金庫』は1971年(昭和46)に現在の越前信用金庫と名称を改めており、そこから推察すると、この看板の製作年代はそれ以前ということになる。少なく見積もっても50年以上の年月が経過しているのだ。
なお、沿革によると大野信用金庫は1951年設立の大野南部信用組合まで歴史を遡ることができる。
小さな集落に散らばった町名看板の位置は事前にGoogleストリートビューで確認していたので、ハンドルを握って一枚一枚を撮影するだけの単調な作業となった。
ちなみに現在のストリートビューは2023年の最新版が更新されているので、福井の山間といえどもそこに写っている画像で最新の生存確認ができることがありがたい。
机上の事前調査で旧美山町内の看板を隅々まで探してみたが、この8枚以外にヒットしなかったのが残念である。
しかし、あろうことか、その中の1枚の『東河原』が消失していた。これには唖然。言葉が出なかった。

探検レポート396

タッチの差だったのだろうか、看板が貼られていた蔵は解体されており、蔵があったと思われる場所には基礎を残して残骸が散らばっているだけであった。
最新のストリートビューでしっかりと確認できた看板だったが、2月に訪ねることができればと今更ながらに後悔することになってしまった。
しかし、不運はそれだけで収まらず、町名看板ばかりじゃなく、初日の探検は他にも同じことが二度にわたって起きてしまった。
一つは越前海岸に近い金鳥とキンチョールがペアで貼られた屋敷。もう一つはお堂に貼られたレアなクスリ看板。
どちらも最新版のストリートビューで確認できるだけに、その場に立って地団太踏むくらいの口惜しさがこみ上げた。
一枚の看板を撮影するために、医師の忠告を胸に何時間もかけてひたすらハンドルを握り続け走ってきて、この仕打ちは正直言って痛い。
これまでも同じことを何度も経験してきたが、文字通り“看板の命短し”。昭和レトロを追っかける旅はもう一刻も猶予がないフェーズに突入してしまったことを今更ながらに痛感した。
ホーロー探検初日の旅は2種類の畳の看板が軒に下がる廃商店が最後となった。
この物件は2005年にも訪ねているが、一枚しか看板を撮影しておらず、違うデザインの看板を撮り忘れたことをずっと気に病んでいたのだ。 18年の時が過ぎ、ようやくリベンジできたことが嬉しい。
タッチの差で撮り逃がしてしまうこともあれば、このように消失することなく健気に、すんなりとカメラに収まってくれる看板もある。
もっとも、一喜一憂できるのも今だからこそか。 “看板の命短し” 昭和は遥か遠くになりにけり。改めてそう思わずにはいられない。

探検レポート396

▼9月20日
宿代をケチったのがいけなかったのか、琵琶湖に近い道の駅の駐車場の片隅に張ったテントは、深夜に水びだしになる惨事となった。
テントの隙間から蚊が侵入して耳元でぶ~んと飛ぶ、うっとうしく暑くて寝苦しい寝入りばなから、気温が下がった深夜になってようやくうとうとした頃、雷鳴がとどろき、突然の土砂降りに。
暑かったせいかフライシートをかけていなかったのが失敗で、テントはあっという間に水びたし。
テントをそのままに、ほうほうの体でクルマに逃げ込んであえなく車中泊にし、おかげで翌日は寝不足と筋肉痛でハンドルを握ることになった。
それでも現金なもので、車窓から流れる朝もやに霞む田園風景や神秘的な琵琶湖の風景を見るうちに、まるで湖上の霧が消えていくように、気持ちが晴れやかになっていくのを感じた。
そうして、滋賀県彦根市の町名看板を撮影し、岐阜県の山間部に立ち寄って帰宅する探検二日目が始まった。
本日の探検のメイン、彦根市稲枝地区に残る町名看板については2011年に1枚を撮影しているが、それ以来気に留めることもなく月日が過ぎていった。
全国の町名看板を網羅している、先の『悠久の思い出』にはこの地区の23枚の看板が掲載されている。
スポンサーは『稲枝地区給与者の会』。 町名看板の主なスポンサーには企業が多いが、地元のロータリークラブやこうした地方の団体もある。
ストリートビューの事前調査でJR稲枝駅を中心に25枚の町名看板を見つけたが、実際に集落を回りながら撮影をしていくと、同じ町名の看板も複数あり、合計32枚となった。
また、前日の例のごとく残念だったのは、『三津町』の看板が消失していたこと。ストリートビューではその姿をしっかりと捉えられていただけに、これもタッチの差で逃してしまったようだ。
『稲枝地区給与者の会』は町名看板だけでなく、『感謝の心は幸福を生み、不足の心は不幸を生む』という標語看板も見つけた。
まるで禅問答のような標語、しかもこれがお寺や祠に貼られているから、抹香臭い。
『稲枝地区給与者の会』なる団体はいったい何者なんだろうか…帰宅してからネットで調べてみたが分からずじまいだった。

探検レポート396

午後を回り、コンビニのサンドイッチを頬張りながら彦根を後にした。
目指すは岐阜県西部の山間部にある看板たち。ストリートビューで見つけたものや情報から得た酒蔵の看板などを撮影していく。
色づいた田んぼには稲刈り機がうなりをあげている。お彼岸も近いので、あぜ道には真っ赤なヒガンバナが彩を添える…つい先週までは暑い、暑いを連呼していたのに、なぁに、心配することはない。
季節はいつのまにか確実に秋になってくれたようだ。
大垣市の蔵元・武内酒造の『酒は兄花』の看板が貼られた食料品店は、重厚な木造建築を見せつけるようにたたずんでいた。
スマホを向ける私に気づいて戸口から出てきた女性から、「店に併設したギャラリーで絵や手作り小物の展示会をやっているのでぜひ覗いてください」と誘われた。 後でゆっくりと見せてもらいますと返事をして店内に入った。
店の中には店主と思しきかなりのお年寄りの夫婦がおり、「古いだけが取り柄だけど、好きなだけ見ていって」と声をかけられた。
高い天井に、黒光する太い柱や梁。古い空き缶や道具も置かれた棚、旧いデザインの洗剤や日用品も並んでいる。今はめったに見ることもなくなった、懐かしいよろず屋さんの姿がそこにあった。
老店主にホーロー看板を探して全国を回っているというとりとめもない話をしながら時間を潰し、安らいだ気分になって店を辞した。
看板を撮影したいと申し入れて邪険に扱われる店もあれば、こうして温かく迎えてくれるところもある。
ずっと以前に不審者のごとく追っ払われたのがトラウマになってしまい、それ以来店内に入ることを躊躇しているが、20年来のホーロー探検を思い返してみると、善意で包みこんでくれた店はたくさんあったはず。

探検レポート396

看板談議に花が咲き、お茶やまんじゅうまでご馳走になっこともあれば、かつて酒蔵だった店では「大事にしてほしい」と、貴重な地酒の看板をプレゼントされたこともあった。
私のホーロー探検は大げさかもしれないが、コレクションを増やすことにやっきになってまるで標本箱に並べるようにやみくもに撮影していたマニア然とした時代から、いつしか消えていく看板たちの生きていた頃の姿を記録していくという、使命感と生きがいに変わってきた。
数年前に新聞の取材で記者の方から「この活動はきっと後世の役に立つはず」という言葉をもらったことを思い出す。
昭和を代表するホーロー看板がある風景は言うまでもなく貴重な文化遺産である。そんな風景や看板たちが残り続ける限り、微力ながら記録し続けていきたいと思う。

秋の雰囲気を味わったほんの二日間の短い旅だったが、稲刈りが始まった黄金色に輝く田んぼや白く咲き乱れる蕎麦畑、淡くかすむ琵琶湖の風景が心を癒してくれた。
そんな風景の今の一瞬を切り撮るようにしっかりと目に焼き付けて、ひたすらハンドルを握り続けた600㎞を走った旅が終わった。
(2023.9.27記)
※画像上/首を垂れる黄金色の稲穂がまぶしい。岐阜県揖斐川町。9月20日
※画像中/山間の小さな集落で見つけた金鳥看板がある風景。日本を代表するホーロー看板がある昭和の風景にもめったに出会えなくなった。福井県。9月19日
※画像中/一面の蕎麦畑を見ながら走る。福井を代表する越前おろし蕎麦を思う。福井県。9月19日
※画像中/早朝の琵琶湖の風景。一瞬のうちに湖上に霞んだ霧が晴れ、対岸の山まで見渡せるように変化した。滋賀県塩津町。9月20日
※画像中/お彼岸も近い。気づいたときにはヒガンバナが咲いている。彼岸花とはよく言ったもの。別名「曼殊沙華」、「Red spider lily」。「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」といった異名も。岐阜県垂井町。9月20日
※画像下/揖斐川町の町並み風景。赤いポストもそろそろ見納めだろうか。昭和の風物詩がなくなっていくのが寂しい。岐阜県揖斐川町。9月20日



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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