ホーローの旅
レポート397 秋のホーローウォーク2023【横浜編】
2023.10.5-6
静岡県静岡市~神奈川県横浜市~川崎市
徳川家康が行った事業の一つに道路制度の改革と整備がある。道を拡張し松並木を植え、関所や一里塚を築くことで政治支配力を強固にしたという。
江戸の日本橋を起点に五街道が定められたのは1604年のこと。 今日では東海道、中山道を筆頭に街道歩きの人気コースとして、ウォーキング愛好者たちに親しまれている。
定年退職後、歩き旅に目覚めてしまった私は、兼ねてからの目標であった日本列島縦断を皮切りに、中山道、東海道、そして四国遍路と歩いてきた。
今回チャレンジしたのは五街道の一つとして日本橋から信州の諏訪を結ぶ210㎞の甲州街道である。全行程を8日間で踏破する計画であるが、暇を持て余している自分にとっては急ぐ旅でもない。
どうせなら横浜と東京で足慣らしがてらホーロー看板を探し、満を持して甲州街道の旅に出発することにした。
▼10月5日
願ってもない秋晴れの初日。横浜市内までの切符を購入し、早朝の在来線と名古屋からの新幹線を乗り継いで静岡駅で途中下車した。
静岡は昨年の東海道歩きで何度も訪れているが、今回の目的は一つ。市内にある看板屋敷の撮影である。
2枚のクスリ看板と由美かおるのアース渦巻が貼られた屋敷はずっと以前からその存在を知っていたが、昨年の東海道歩きの折には街道から外れる距離に躊躇して、道草できずに泣く泣く素通りしてしまった。
以来ずっと気になっており、撮影の機会を伺っていたのだ。
静岡駅から在来線に乗り、下車した駅から歩き出す。 片道5㎞のウォーキングだ。10月に入ったとはいえ、すでに気温は30度近い。汗を拭きつつ、ペットボトルの水を喉に流し込んで歩く。
彼岸花が咲く用水路脇を眺めながらのんびりと歩き、小さな集落にある看板屋敷の前に立った。
屋敷の側面には「ムヒ」と「下呂膏」、正面の壁には「アース渦巻」が貼られていた。
事前にストリートビューで確認していたが、消失の心配が無かったわけでない。 これまで現場に行って、あるべきはずの看板が消失していたということを何度も経験しているので、こればかりは半信半疑なのだ。
以前は商店をしていたのだろうか。湧き上がる感動を抑えながら夢中になってスマホのシャッターを押した。
「下呂膏」は岐阜県下呂市の奥田又右衛門本舗の伝統の貼り薬であるが、これまで岐阜県内で何枚も見つけているもの、静岡県で見たのは初めてである。
当時の売薬さんの販路が広かったのかどうか今となっては分からないが、そんな推理をしてみるのも面白い。
そして、由美かおるのアース渦巻は久しぶりの再会。 ホーロー看板界きってのスター看板も、今では見ることができなくなってしまったことが寂しい。
目的の看板屋敷を撮影できたことに安堵して、往路を戻る。 この暑さの中で、さすがに往復10㎞の道のりはきついが、四日後の甲州街道歩きのスタートを思うと、取るに足らない試練である。
…と思いきや、国道に出たところで行きに見落としていたバス停を見つけ、運よく10分後にやってきた静岡駅行きのバスに乗車することができた。
これによって、横浜市内で1時間余分に看板探しの時間を作り出せたことが嬉しい。
コンビニで昼食のサンドイッチを買い込み、静岡駅から新幹線に乗り、新横浜で下車した。
計画ではこれから二日にわたって横浜と川崎市内で町名看板を探す。そしてその後に東京に移動して、23区内で二日間の看板探しという予定である。
初日の新横浜からの行動は以下のようになった。
新横浜駅→菊名→大倉山~【師岡町900】~【獅子谷3-3】~大倉山→菊名→横浜→西谷→鶴ヶ峰~【今川町20】~鶴ヶ峰→上星川~【仏向町504】~鶴ヶ峰→横浜→磯子~【磯子2-21】~磯子→山手~【大和町1-13】~山手→関内~ホテル泊
→は電車移動、~は徒歩移動、【】内は撮影した町名看板である。
横浜と川崎市内はこれまでにもホーロー探検をしているが、未撮影の町名看板も多く残っているので、今回は現存している看板をできるだけ多く撮影したい。
もっとも、レンタカーで回れば時間も日数もかからないが、そこはウォーカーとしてのプライドがある。 公共交通機関を使って最寄駅から徒歩での看板探しにこだわっているのだ。
何度も書いているが、こと看板探しについては歩き目線に勝るものはないと断言できる。
初日の成果は6枚の町名看板を撮影し、すっかり暗くなった関内駅近くのホテルに投宿した。
静岡でバスに乗ることができて、1時間の余裕ができたことがラッキーだった。おかげで二日目の予定だった【師岡町】と【獅子谷】の撮影できたのはうれしい誤算。
歩数計のスコアは26016歩、距離16.91㎞となった。
▼10月6日
願ってもない快晴の朝を迎えた。予報では今日も夏日となりそうなので、半そでシャツで歩き出す。
2005年から『ホーロー探検』と銘打ち、ホーロー看板を探す活動を始めて今年で18年が経ったが、年々加速度がついて減少していく看板の末路を見ていくなかで、酒蔵に残る地酒看板と京都の仁丹看板、そして都市圏の町名看板はしばらくは残り続けるものと思っていた。
しかし、この推測は甘かったのか、ことのほか町名看板については悲惨な状況になってきている現状がある。
京都に続いて最大級の残存数を誇る東京23区や横浜、川崎の看板も例外ではない。 看板が貼られた商店は廃業し、家屋のリフォームや取り壊しによって、更地や駐車場に変化する。
そして、気づいたときには消滅しているのが実態である。 もはや看板たちの最後の姿と、それが貼られている消え去りゆく昭和の風景を記録するには一刻の猶予もないといっていいだろう。
二日目の探検は以下のように川崎市を中心に歩いた。
ホテル~【日枝町2-63】~黄金町→生麦~【岸谷2-16】~【本町通3-186】~【汐入町3-46】~浅野→鶴見→川崎→矢向~【小向西町4-136】~【塚越2-184】~【下平間287】~【上平間594】~【上平間434】~平間→溝の口→高津~【諏訪1605】~高津→溝の口→登戸→百合ヶ丘~【百合ヶ丘3-27】~百合ヶ丘→登戸→武蔵新城~【千年新町11】~武蔵新城→武蔵中原~【子母口236】~【久末1876】~武蔵中原→川崎~カプセルホテル泊
このなかで【本町通3-186】を見つけ出せなかったのは残念だった。ストリートビューの事前調査でも確認できなかったので消失は想定内だったが、もしやと思って淡い期待を胸に付近を歩き回ってもみた。しかし、不審者として通報されるリスクもあり、これ以上の探索は諦めることにした。
この日の歩数は33746歩、距離21.93㎞となった。
ともあれ、神奈川県で二日間の成果として21枚は上出来といっていいだろう。 新たな町名看板を発見することはできなかったが、看板たちの今の姿を記録できたことは大きな収穫となった。
さて、エンジンがかかり始めたし、翌日からホーロー探検のフィールドを東京23区に移すことにする。
足慣らしのフットワークも板についてきた。
(東京編につづく)
※画像上/彼岸花が咲く、看板屋敷がある集落への道を歩く。静岡市
※画像中/クスリの看板と由美かおるのアース渦巻が貼られた看板屋敷。今はこうした屋敷もほとんど残っていない。静岡市
※画像中/住宅街の気持ちの良い小道を町名看板を探しながらウォーキングした。川崎市
※画像中/工場地帯の住宅地にある町名看板。ブロック塀にさりげなく残っていた。横浜市
※画像下/夕暮れが迫る横浜一番の繁華街、伊勢崎町を歩く。横浜市
※宿泊/10月5日「ホテルグランドサン横浜」 夕朝食付き5800円。横浜一の繁華街にあるので利便性が高い。二度目の宿泊だが無料の食事内容も良くなった ☆☆☆☆★/10月6日「カプセル&サウナ川崎ビッグ」素泊まり3400円。寝るだけなら問題なし。大浴場でくつろぐことができる。☆☆☆★★