ホーローの旅
レポート399 秋のホーローウォーク2023【甲州街道編】
2023.10.9-17
東京都台東区~江東区~調布市~立川市~府中市~八王子市~神奈川県相模原市~山梨県上野原市~大月市~勝沼町~甲府市~竜王町~韮崎市~小淵沢町~長野県富士見市~茅野市~諏訪市~岡谷市
▼10月9日
ホテル~【龍泉寺町388】~三ノ輪→秋葉原~岩本町→森下~【新大橋1-3】~森下→清澄白河→三越前~日本橋~甲州街道の旅スタート~日本橋~調布~【下石原2416】~西調布駅→分倍河原→立川~立川リージェントホテル泊
※→は電車移動、~は徒歩移動、【】内は撮影した町名看板
横浜と東京で四日間のホーロー探検を楽しんだあと、予定通り日本橋の起点に立った。 天気はこれ以上ないくらいの悪天。 雨もひどいがそれ以上にビル風が強く、折り畳み傘がひしゃげてもっていかれそうだ。
天気を嘆いても仕方ないが、よりによってスタートからこれだから、日頃の行いが悪いとしかいいようがない。
ともあれ、中山道、東海道に続いて三つ目の五街道、210㎞を歩く甲州街道の旅が始まった。
日本橋から大手町を抜けるが早くもずぶ濡れ。ビル風も半端じゃない。傘で風を避けながら歩く。
6月に続いて今年二度目となる皇居前を歩く。雨に煙ったお堀に沿うように桜田門を通過し、半蔵門から四谷方面に折れた。
三連休の最終日だが、あいにくの雨とあって、四谷駅前も人の姿は少ない。しかし、新宿駅前から西新宿の通りは相変わらずのごった返しだった。
まだ11時の開店前なのに、人気のラーメン店には長蛇の列。雨のなか並ぶ根性に感心する。
甲州街道は国道20号線に沿ってひたすら歩くので、こと都内23区内はまったく面白味もない。
宿場の面影もない下高井戸宿と上高井戸宿を通過するが、トイレもないし、雨宿りするところもない。ようやく出てきたガソリンスタンドでトイレを借りる。
年配のスタッフに「日本橋から歩いてきた」と言うと、「そりゃまた御苦労様です」という返事。それからしばらく世間話をしてスタンドを後にした。
明治大学を過ぎ、高井戸陸橋から国道20号線を離れ、旧甲州街道に入る。 雨は相変わらず落ちてくる。 雨具上下にザックカバー、右手に傘というフル装備で歩いているが、気温が17度程度なので蒸れて暑いということもない。
しかし、靴の中はびしょびしょ。今回の旅のために新調した防水のウォーキングシューズもこの雨では効果がなかった。
14時、気づかないまま調布に入った。下石原にある町名看板を撮影するために道草し、15時に西調布駅にゴール。
そこから電車を乗り継いで立川駅前のホテルへ。 調布のホテルはどこも満室で予約できなかったので、苦肉の策である。
駅前のドンキで晩ごはんを買い出しし、雨に濡れた身体をようやくベッドに投げ出すことができた。
雨に祟られた初日が終わった。
※歩数43037歩、距離 27.93㎞
▼10月10日
ホテル~【高松町2-14】~立川→分倍河原~【南町2-6】~分倍河原→西調布~【府中市白糸台2-21】~【天神町4-4】~【武蔵台3-27】~府中駅~八王子~三恵シティホテル八王子泊
立川と府中市内で二ヶ所の町名看板を撮影した後、電車を乗り継いで昨日ゴールした西調布駅に8時30分到着。
昨日とはうって変わった晴天に感謝だ。今日は八王子までの短いコースなので、道草をしながらホーロー看板も撮影していくつもりである。
西調布駅を出て旧甲州街道に入るとすぐに上石原の西光寺に出た。境内には近藤勇の銅像があった。上石原は近藤の出生地という。 日野は土方歳三なので、甲州街道は新選組ゆかりの道である。
府中市内に入り、甲州街道から外れ、ホーロー看板の撮影に道草。3箇所ほど回り、約7㎞の道草をし、再び甲州街道に合流した。
日野の渡し場から立日橋を渡り日野宿に入ると、古い建物もそこかしこに残っており、ここにきてようやく街道歩きをしているという実感が湧いてきた。
近藤や土方が学んだ天然理心流の道場もあるようで、ここは新選組の町である。
気温は26度、昨日とは打って変わった暑さとなった。 西日の暑さに辟易としながらひたすら歩き、大和田橋を渡り八王子に入った。
ゴールは八王子駅近くのホテルだが、まだ16時前。未撮影のエスビーカレーの町名看板がある物件に向かおうと思ったが、見る見るうちに空が怪しくなり、大粒の雨が落ちてきた。
看板探しは諦めて、駅前のドンキに慌てて逃げ込み、ここで晩ごはんの買い出しをしてホテルに投宿となった。
昨日の雨のなか濡れた靴で歩いたのがいけなかったのか、早くも右足の指にマメができてしまった。
最もこの5日間で100㎞以上歩いているので、これも想定内。そろそろ来るものが来たか、というべきか。
明日は上野原までの約30㎞のコースなので、マメがひどくならないように、のんびりと歩きたいと思う。
※歩行距離45165歩、 29.35㎞
▼10月11日
ホテル~【南新町25】~上野原~ホテルルートインコート上野原泊
願ってもない二日続きの快晴の下、7時に八王子のホテルを出発。
ホテルから至近にある南新町に立ち寄り、エスビーカレーがスポンサーになった町名看板を探す。しかし、時すでに遅しか、目的の看板を見つけることができなかった。
しばらくは国道20号線を歩く単調なコースだが、どこまでも続くイチョウ並木に癒される。と思いきや、歩道に散らばる悪臭を放つ銀杏を避けながら歩くことを忘れない。
JR高尾駅からは駒木野宿から小仏峠に向かう県道516号線を行かなければならないところ、うっかり見落としてしまい、気づいたら国道20号線を1㎞ほど進んでいた。合わせて2㎞のロスにがっかりしながら県道に戻る。
旧甲州街道はJR中央線の線路に沿って延びているので分かりやすいし、いつでも途中でリタイアできるので、五街道の中でも歩きやすいコースのようだ。
モチベーションが落ちたら電車の旅に切り替えても良いかなぁ…などと少し弱気になりながら歩く。
駒木野の関所跡を過ぎ、県道の終点に出ると小仏峠への登山道となった。ここで長袖の白いシャツに着替える。
気休めかもしれないが、白いものには寄ってこない習性があるという、スズメバチ対策なのだ。
私は30年以上前、沢登り中にオオスズメバチに刺されたことがあり(2箇所)、腕が丸太ん棒のように腫れた。
五寸釘を打ち込まれたようなその時の強烈な痛みは今も忘れることがない。
厄介なのは、二度目に刺されることで発生するアナフィラキシーショックだ。なので、この時期に活動が活発になるスズメバチは私にとっては天敵なのだ。
登山道には平日というのにハイカーの姿もちらほらいた。先行している人がいればスズメバチのリスクも減るだろう。
息切れすることもなく一息に峠まで登った。スマートウォッチの心拍数は90前後まで上昇したが、徐脈と不整脈を抱える身にはかえって好都合なようだ。医師からは運動を奨励されているので、心拍数が上がるのは良い。
小仏峠は高尾山からの縦走路にあたるので、多くのハイカーがいた。平日でこれなら、休日はどんな状態なのか想像がつく。
麓の豆腐屋で仕入れた豆乳で作ったドーナツを食べて、相模湖に向かって一気に下る。途中の森の中で纏リスがデザインされた火事注意の看板などを見つけることができた。
休むことなくそのまま小原宿の本陣まで歩き、無料開放されているので見学させてもらった。
与瀬宿から吉野宿、関野宿はこれといった見所もないまま通過。国道20号線から旧甲州街道に逸れたりして歩くが、国道には歩道がない区間も多くあり、交通量が多いだけに危険極まりなかった。
寂れた感じの上野原の町に入り、コンビニで晩ごはんを買い出してホテルに投宿。
日本橋からここまで75㎞歩いてきた。まだまだ先は長い。
※歩行距離44256歩、28.76㎞
▼10月12日
ホテル~大月→都留市駅~ファミリーロッジ旅籠屋富士都留店泊
8時ちょうどのあずさ2号で♪
昨夜見た歌番組で狩人が歌った「あずさ2号」がリフレインし、頭から離れない。
春まだ浅い信濃路へ♪
そう、私は秋が深まる信濃路へ向かっている(笑)。
7時に上野原のホテルを出発し、大月に向かって黙々と歩きだす。鶴川宿から野田尻宿、犬目宿を経由し、下鳥沢宿までは国道20号線から遠く離れた山間の旧甲州街道を歩く。
クルマもあまり通らないので、のんびりと歩いて行けるのはありがたい。
何より、景色が良い。一里塚や道祖神を見ながらの歩きは、これぞ街道歩きの醍醐味といえる。三日続きの晴天もありがたい。
半袖で歩いているが、空気がカラリと乾燥しているので、それほど暑さを感じない。右足の指に小さなマメができているが、今のところは痛みもそれほどではないので、今日もしっかり歩けそうだ。
13時に大月駅前を通過。時間もまだ早いので、もう少し距離を稼ぐことにし、12㎞先の笹子駅を目指す。
国道20号線は道幅が一段と狭くなり、歩道がない区間が連続するようになった。肩先に触れそうなくらい接近してくる大型トラックも多いので、生きた心地がしない。
敬愛する山本周五郎の生家を過ぎ、笹一酒造の蔵を見て、15時20分に笹子駅に到着。これで明日の行程が楽になった。
笹子駅からは大月駅を経由して、富士急都留市駅までの電車に乗った。
大月駅周辺には素泊まり9000円の東横インを除いて宿がないので、これも仕方がない選択だ。競争相手がいない寡占化された殿様商売にも腹が立つが、9000円とはまったく貧乏ツーリスト泣かせである。
16時過ぎに都留市駅前のホテルに投宿。寝巻、スリッパ、歯ブラシなし、しかも現金払い。ホテルのサービスレベルもここまで削がれると、呆れてしまう。
部屋に入って、いつものようにカミさんに無事到着のライン電話を入れると、病院に来ているという。喉が痛く、微熱があるので検査をしたら、コロナに罹ってしまったという返事。
さらに、畳み掛けるように「16日まで帰らないで」という仰せ。カミさんには可哀想だが、これを不幸中の幸いというのか。 まだ長く旅を楽しむことが嬉しい。
ホーロー看板との出会いはわずかだったが、初見のベンチ看板や醤油看板を見つけることができたのが良かった。
明日は、この旅一番のしんどいコース。笹子峠越えが待っている。
※歩行距離46746歩、30.78㎞
▼10月13日
ホテル~都留市駅→大月~笹子峠~石和温泉~甲府~ビジネスホテルあづま泊
日本橋をスタートして五日目。甲州街道最大の難所、笹子峠を越える日を迎えた。今日のコースは甲府までの約30㎞を歩くので、都留市駅を6時3分の始発に乗車し、大月駅から中央線に乗り換えた。
6時38分に昨日ゴールした笹子駅に到着。ひんやりした空気の中、国道20号線を歩き出す。
笹子川を渡り、新田下の集落から笹子峠に登る登山道に入るが、すぐに道をふさぐ害獣避けの電気柵に阻まれた。 先人の記録ではこれを避けて大きく迂回する人も多いようだ。しかし、ここはチャレンジあるのみ。
まぁ、感電したら運がなかったということか(笑)。柵に触れないように注意して、二ヶ所ある鍵を外し、扉を開けて無事突破した。
ここからは森の中を縫うように延びる山道をひたすら登る。県道が並走しているので、気分的には安心である。
怖いのはクマやイノシシ。ぬた場もあちこちにあったので、どこから出てくるのか分からないのが一番怖い。
それと山ビル。奴らは知らないうちに侵入してくるので、靴下をめくってチェックする。
8時に県の天然記念物に指定された巨木の矢立の杉に到着し、ここから最後の急登をこなすと笹子隧道に出た。
ヘッドランプを点けてトンネルを潜ったが、冷たい風が通り抜けるのでかなり寒かった。
ここまで笹子駅から休まずに一気に登ってきたが、意外にあっけなく登りきることができた。
しかし、笹子越えの核心は下りにあった。県道から離れて植林された林の中を下っていくが、伐採された植林の斜面で何度も道を見失い、面倒なので杣道を見つけては感に頼って下った。
「熊出没注意」のホーロー看板を横目で見ながら県道に出たが、ここから集落がある駒飼宿までがけっこう長かった。
国道20号線をしばらく歩き、県道34号線に右折して勝沼宿に入ると、そこはぶどうロード。決まって、◯◯園という屋号のぶどう農園がどこまでも続いていた。
興味本位に覗いてみると、人気のシャインマスカットは二房入って一籠1800円だった。
ちょうど昼時なので、中華料理店に入った。空腹だったので禁断のチャーラーを。炭水化物ダブルの効果で、甲府までのあと10㎞を頑張ることがでそうだ。
店のお婆ちゃんはよく喋る、喋る。
「甲府まで歩くの? もの好きだねぇ」…とこけ脅されて、最後は「頑張って!」と満面の笑顔で送り出された。
店を出てからは、国道411号線を10月と思えぬ暑い日差しに汗を拭きつつ、甲府市内まで黙々と歩いた。
予約した安宿までは甲府市限定の町名看板を撮影しながら到着。長い一日だったが、甲州街道の核心部が終わった。
四日続きの晴天もそろそろ下り坂のようだ。 秋の風景を目に焼き付けながら、後三日をのんびりと歩きたい。
※歩行距離49721歩、32.31 ㎞
▼10月14日
ホテル~甲府市内でホーロー探検~韮崎~穴山→韮崎~旅館正栄荘泊
甲府市内で午前中いっぱいをかけてホーロー看板を探した後、甲州街道を12㎞先の韮崎まで歩く計画で六日目の旅が始まった。
朝6時にホテルを出て、南甲府、甲斐住吉から山梨大学の周辺まで歩きまわり、未撮影の町名看板を撮影。新規の看板を2枚見つけたのもラッキーだった。
10㎞のウォーキングを10時過ぎに切り上げて甲府駅前を出発。 国道52号線を韮崎に向かって歩き出した。
今日も晴れているが、空気が冷たい。確実に秋が深まっているのを感じる。気温は21度。それでも半袖シャツで歩いている。
山梨県立文学館と美術館の前を通過し、国道から旧甲州街道に入る。美術館にはミレーの「種蒔く人」と「落ち穂拾い」が収蔵されていることで有名である。
竜王町に入ると、見事な球形の道祖神があった。山梨県に入ってから似たような道祖神を見てきたが、ここまで完璧な球体は初めてだ。
古い鳥居が残る稲荷神社を過ぎたところで、何気なく振り返ってみたら富士山がドーンと見えた。
旧道は坂道が続き、標高がじわりじわりと上がってくると、富士山はもとより、八ヶ岳や南アルプスの甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山が見えるようになってきた。 これをみると、甲府が山に囲まれた盆地であることがよく分かる。
山に夢中になっていた頃、四季を問わず足繁く通った峰々だが、遠い昔のことなので、感慨もなくなってしまった。
白壁の土蔵が並ぶ今井の集落を過ぎ、中央線の線路に沿って歩くと、韮崎市内になった。 時間はまだ13時なので、もう少し距離を稼ぐことにし、7㎞先の穴山駅まで頑張ることにした。
甲州街道は国道20号線を歩いたり、旧道に逸れたりしながら黙々と歩く。左足のカカトにできたマメが痛い。
穴山駅が近くなり、国道から穴山駅につながる道を地図でチェックすると、なんと、目の前に高く聳える山を登って降りるルートだということに気づいた。
韮崎から諏訪までの間は富士見駅を除いて、JRの駅にはすんなりと行けない。なかでも穴山駅は国道からまだ近いほうだが、山越えの1.9㎞をこなさなければならない。
しかし、ここまで歩いて来たからには戻るわけにも行かず、先に進むことにした。
国道から穴山駅に向かう道に出ると、ちょうどそこに入戸野入口バス停があった。時刻表を見ると、ラッキーなことに10分後に韮崎駅前行きのバスが来るではないか。
明日はここからのスタートとなるが、7㎞を縮めることができたのが良かった。
時間通りにやってきたバスに乗り、15時30分に韮崎駅前に着いた。駅前にはショッピングセンターがあり、晩ごはんの買い出しをして駅前旅館に入った。
天気予報は明日の雨を告げている。30㎞先の富士見までがんばるつもりだが、モチベーションを維持して歩けるだろうか。
※歩行距離47904歩、 31.13㎞㎞
▼10月15日
旅館~韮崎→穴山~富士見→茅野~ちのスカイビューホテル泊
天気予報は大きく外れ、終日雨に降られた日になった。旅館を6時に出て、雨対策のフル装備で歩き出す。
韮崎駅から6時20分発の松本行きに乗り、穴山駅で下車。冷たい雨が降る集落を抜け、つづら折りの坂道を下って、昨日ゴールした入戸野入口バス停に到着。
雨はこれでもかと、ざんざんと降っている。 予報では8時くらいに上がるというが、それを期待するしかない。
飛沫を上げて疾走していく大型トラックの水しぶきでびしょ濡れになりながら国道20号線を歩く。
台ヶ原宿までは国道から逸れる旧甲州街道を拾うが、日曜の朝とあって、集落の道で出会う人もいないし、クルマも通らないので、道のまんなかを歩いていく。
台ヶ原宿の手前に「古道入口」の石碑があり、草が繁っているのを見て少し躊躇したが、すでに靴の中はずぶ濡れなので、突入することにした。
古道には石仏があったり、無記名の巨大な石柱が鎮座していたり、見どころも多かった。
台ヶ原宿に着き、清酒「七賢」を造る酒蔵を見学。蔵の中に地酒のホーロー看板があることを期待したが残念ながら無かった。
正午前にサントリーの白洲工場がある松原地区に入ったが、雨は一向に止む気配はない。標高が高くなった分、気温が下がったのか、寒くなったきた。
教来石から蔦木宿に向かうと釜無川を渡る新国界橋に出た。
午後に回復するという天気予報は大きく外れ、雨は降ったり止んだりを繰り返し、その都度、雨具を着たり脱いだり、傘を出したりと全く忙しい。雨宿りする場所もなく、濡れた地面に座る気もしないので、休むことなくダラダラと歩く。
国道から離れて最後の2㎞の坂道を登り、今日のゴールの富士見駅に15時に到着。駅の待合室に入った途端、小雨だった雨は、待ってましたとばかりに土砂降りに。雷まで連れてくる始末だった。
富士見駅からは今夜の泊まりのホテルがある茅野駅まで乗車。
今日の行程は、憎っくき雨のおかげで、早く終わって欲しいと願うばかりの30㎞だった。それでも時折出てくる小さな集落でいくつかのホーロー看板を見つけることができたのは収穫だった。
明日は下諏訪にゴールし自宅に帰る予定だったが、コロナで臥せっているカミさんから「あと一日帰ってくるのを延ばして」とのコール。
おかげで、上諏訪の温泉ホテルで一泊し、明後日に下諏訪にゴールという、嬉しいような、嬉しくないような、おかしな誤算となった。
どっちにしても、コロナには勝てない。
※歩行距離46140歩、30.02㎞
▼10月16日
ホテル~茅野→富士見~茅野~上諏訪~ROKO華乃井ホテル泊
深く立ち込めた霧のなかを出発。茅野駅を7時15発の普通電車に乗車し、昨日ゴールした富士見駅に向かう。
本来なら下諏訪にゴールし、甲州街道完歩の予定だったが、コロナで臥せるカミさんがいる自宅には帰宅できない。 安全策をとって明日の帰宅にすることにし、今日の行動は上諏訪までとした。
富士見駅からしばらく国道20号線を歩き、綿半ホームセンターから南下し、旧甲州街道に合流した。
ちょうど小学校の登校時間に重なったこともあり、ランドセルを背負った子どもたちが元気いっぱいに「おはよう」の挨拶をしてくれる。子どもたちばかりでなく、すれ違うご老人も声をかけてくれる。フレンドリーな町である。
昔は商店をやっていたという、塩とたばこの看板が軒下に貼られた民家の前で、腰が曲がったお婆ちゃんとしばし話す。
富士見駅前の商店街ができる以前は、甲州街道のこの通りは、行き交う人や荷物を運ぶ馬でずいぶんと賑わっていたという。そんな街道も今は、人通りもなく静かな時を迎えている。
日本橋から48番目の神戸の一里塚を通過。両側にケヤキの巨木が聳える圧倒的な存在感がある一里塚である。 そこから金沢宿まではのんびりと歩く。
路傍に佇む石仏がたくさんあったが、集落は新しく建て替えられた民家ばかりで、面白味はない。その上、若い女性が連れた散歩中のデカイ黒い犬に、飛びかからんばかりに散々吠えられて、恐ろしい目に遭った。
金沢宿からしばらく国道20号線を歩き、旧甲州街道に入った。 茅野の駅までは、ホテルのチェックイン時間を調整しながら何度も休みながら歩く。
茅野駅近くにあるダイヤ菊酒造に立ち寄り、蔵にあるホーロー看板を撮影し、若くて美人の女将さんと談笑。
今回の旅ではいくつかの酒蔵を訪ねているが、どこの蔵でも見学ばかりで、重いとの理由で何も買っていない。
茅野駅前から国道20号線を経由して旧甲州街道に入った。クルマもあまり通らないので、のんびりと歩けた。
上諏訪宿までは道祖神や常夜塔も残っており、退屈しないせずに15時ちょうどに諏訪湖畔にあるホテルに着いた。
看板の収穫は「ナガノケチャップ」のような再訪看板もあったが、「消火栓」や地酒の看板も多く撮影することができ、改めてホーロー看板多産県である長野の実力を再認識することができた。
今夜は一日早い打ち上げだが、ゆっくりと温泉を楽しみ、8日間の旅の汗を流すつもりだ。
明日は最終日。下諏訪までの5㎞の歩き、そして岡谷での町名看板の撮影で短いようで長かった旅が終わる。
※歩行距離37191歩、24.17㎞
▼10月17日
ホテル~下諏訪~甲州街道ゴール~下諏訪→岡谷
上諏訪の温泉ホテルで快適な一夜を過ごすことができた。 素泊まりなので、コンビニ弁当の夕食は侘しかったが、朝風呂も堪能できて甲州街道歩きの締めを飾るには申し分ない最終日となった。
朝ドラを見てから出発。ホテルが建つ諏訪湖畔から昨日ゴールした上諏訪駅まで戻り、放送大学の脇を抜けて旧甲州街道に合流した。
ゴールの下諏訪までの街道は生活道路になっているので、通勤に急ぐクルマがひっきりなしに通り、のんびりとスマホを向けて撮影することもままならない。後ろからズドーンとされないように注意して、一里塚の碑や道祖神、常夜塔を撮影した。
諏訪湖が眼下に見えるようになってくると、街道を歩く楽しさとは裏腹に今日で終わってしまう寂しさを感じた。
10時に下諏訪宿の諏訪大社下社秋宮に到着。 これまでに何度も足を運んだ諏訪大社だが、日本橋からはるばる歩いてきたことに感謝とお礼の参拝ができた。
神社の鳥居の前には観光バスが並び、観光客でごった返し、韓国語が飛び交っていた。
早々に離れて、日本橋から210㎞を歩いた甲州街道のゴールへ。 合流の地の道標は一昨年の中山道歩きの時に立った場所である。
これで五街道のうち中山道、東海道、そして甲州街道の3つを完歩したことになるが、正直言ってなんの感慨もなかった。
日本縦断や四国遍路を含めたこれまでの歩き旅と比べればスケールが小さく、達成感が薄いのはその理由だろうか。
それでも日を追うごとに深まっていく秋を感じながら歩いた甲斐から信濃の道は、かつて遊んだ南アルプスや八ヶ岳の峰々が、大らかな優しさをもって見守ってくれていた。
ゴールの諏訪が近づくほど、旧街道を歩く楽しさが増してきたことも良かったと思う。
下諏訪からは岡谷に立ち寄り未撮影の3枚の町名看板を撮影した。
静岡から横浜、東京、そして甲州街道を歩いた延べ12日間の旅で撮影した看板は100枚超え。近年になく収穫の多い旅となったことが上出来であった。
※歩行距離11294歩、7.34㎞
※画像上/コスモスが咲き乱れる秋の風景を楽しみながら笹子峠から駒飼宿に下った。10月13日
※画像中/日本橋をスタート。激しく降る雨の中、長野県下諏訪を目指す甲州街道の旅が始まった。10月9日
※画像中/レトロな建物が多く残る新撰組ゆかりの日野宿を歩く。10月10日
※画像中/吉野宿近くの路傍に佇む石仏。10月11日
※画像中/上野原を出て鶴川宿に向かう。鶴川を渡った。10月12日
※画像中/冷たい風が吹き抜ける笹子隧道をヘッドランプを点けて突破した。10月13日
※画像中/甲府市内から韮崎に向かうと甲州街道は黒壁の土蔵が並ぶ通りとなった。10月14日
※画像中/中将湯が貼られた古い蔵があった。ドキリとしたが、帰宅してから調べてみると17年前に撮影していた場所だった。10月15日
※画像中/長野県に多くあるペアの道祖神があった。10月15日
※画像中/甲州街道で唯一残る神戸の一里塚。塚にはケヤキの巨木があった。10月16日
※画像下/下諏訪のゴールが近づくと諏訪湖が一望できた。10月17日