琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート407 熊野古道ホーローの旅

2024.9.25-12.16
和歌山県田辺市~大塔村~新宮市、三重県伊勢市~大台町~紀伊長島町~紀北町~尾鷲市~熊野市~和歌山県新宮市


探検レポート407

9月から12月にかけて計3回、延べ11日間にわたり熊野古道を歩いた。
2020年の日本縦断から始まって、ここ数年来夢中になっている歩き旅である。
これまで20年近くライフワークとしてきたホーロー探検は、ホーロー看板がある昭和の風景の激減とともに、活動のボリュームを落としてしまった。
歩き旅のついでに運良く見つけた看板を撮影し、デジタル収集している今のスタイルは、私がホーロー探検と呼ぶ積極的な活動とは程遠い。
副次的であるにせよ、歩き旅で訪ねた、例えば山の中の限界集落のようなロケーションでの偶然の看板との出会いは、嬉しい至福の瞬間であり、これもまたカタチは違えど私の看板探しのスタイルとなってきた。
歩き旅での看板探しは、地図アプリのGoogleストリートビューを駆使して看板を机上で探すことよりも、はるかに刺激的だと感じている。
地図アプリなどなく、大判の道路地図を片手に勘を頼りに走り回るホーロー探検を始めた頃、眩く反射するホーローの輝きとの偶然の出会いに心がときめいた…あの興奮が甦ってくるのだ。
体が元気なうちは、歩き旅をやめることはないだろう。
旅の途中で看板と出会うことができれば、これほど嬉しいことはない。

探検レポート407

前置きが長くなってしまったが、紀伊半島を歩いた熊野古道の旅は以下のように行った。
歩き旅のレポートは拙ブログの『つちのこ更新日記』に詳しく書いたので、それを参考にしていただきたい。
▼熊野古道【中辺路】  
9月25日 JR紀伊田辺駅~和歌山県大塔村鮎川  
9月26日 和歌山県大塔村鮎川~田辺市中辺路町近露  
9月27日 和歌山県田辺市中辺路町近露~田辺市本宮町
10月12日 和歌山県田辺市本宮町~新宮市熊野川町
10月13日 和歌山県新宮市熊野川町~JR新宮駅

▼熊野古道【伊勢路】
12月11日 三重県伊勢市~大台町栃原
12月12日 三重県大台町栃原~大台町宮原
12月13日 三重県大台町宮原~紀伊長島町~紀北町道瀬
12月14日 三重県紀北町道瀬~尾鷲市
12月15日 三重県尾鷲市~熊野市
12月16日 三重県熊野市~和歌山県新宮市

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熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称で、熊野参詣道ともよばれる。
三重県、奈良県、和歌山県、大阪府にまたがる古道である。2004年に世界文化遺産に登録され、私が歩いた今年2024年はちょうど20周年に当たる。
世界遺産になったこともあり、海外でも注目されているようだ。古道を歩くハイカーのグローバル化が進み、人気ルートの中辺路においては、出会った人たちのほとんどが外国人だった。
9月と10月に2回に分けて歩いた中辺路は、およそ127㎞の行程をテントを担いでの野宿旅だった。
中辺路はコースの六割くらいが山歩きとなったが、山中にぽつりぽつりと出てくる集落の舗装道路を歩くと、遠の昔に閉じてしまった雰囲気の商店や、おばあさんの代で酒屋をやっていたという今はゲストハウスを営む民家には、その名残りのようなホーロー看板の姿があった。
同好者のとらのしっぽさんから教えていただいた中辺路の小さな集落で出会った看板商店には、忘れ去られたような、錆びかけた地酒やコショーの看板が残っていた。
重いのもいとわずザックに忍ばせた熊野古道にまつわる伝承や昔話を集めた、神坂次郎著『熊野まんだら街道』によると、この集落に伝わる話として以下のようなものがあった。
山里に伝わる“恋の作法”として、藁すべを二本、向こうからやってくる若者の前に置く。若者が娘の恋を了解すれば、路上の二本の藁を拾い上げて一つに結ぶ…。
娘からの恋のメッセージは何とも爽やかな風習である。
さて、その中辺路、和歌山県の紀伊田辺駅からのべ5日間をかけて、ゴールの熊野本宮大社まで歩いたなかで、出会ったホーロー看板はごくわずかだった。
人目につく場所に、企業の広告宣伝手段として看板が貼られた目的を考えるなら、人も少ない過疎が進んだ集落には看板が貼られないし、残っていないことは想像するまでもないだろう。
しかし、そんな悪条件の中でも偶然出会った、先に上げたゲストハウスの壁にさりげなく残っていたキリンビールの看板には、砂漠で拾った一粒の宝石のような、価値を感じることができるのだ。

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12月に6日間かけて、伊勢神宮から和歌山県新宮まで180㎞を歩いた伊勢路の旅は、思っていた以上に看板との出会いがあった。
中辺路と違ってこのルートは全体の六割が舗装路、残りの四割が石畳が残る12の峠を歩く、けっこう骨が折れるコースである。
平野にある伊勢神宮から大台の山を越え紀伊長島に出ると、そこから先は熊野灘に堕ちる断崖の峠をいくつも越えていく。
石畳を息を切らしながら登り、冷たい風が頬をするどくかすめていく峠から山を下ると、海辺の小さな集落であったり、山中の限界集落に出たりした。
こんな絵になるようなロケーションにホーロー看板の姿があれば申し分ないが、そうはうまくいかない。
何しろ店もないのだ。 住人たちはいったい、どこに日々の生活の食料品や日用品を買いにいくのだろうか。
素朴な疑問を感じざるを得ない、忘れられたようにひっそりと肩を寄せ合う集落がいくつもあった。
そんな中、海べりの小さな集落にある無人駅の近くで見つけた看板は、思わずガッツポーズが出るくらい嬉しかった。
暗く重いこげ茶の板壁に、並んで貼られた『福助ミシン』と『紀北信用金庫』の赤と黄色が目に鮮やかだ。
電車の車窓からはチラリと見えるはずだが、どれほどの人がこの看板に気づくだろうか。
そんなことを思いながら、偶然の出会いに感動するのだった。

振り返ってみれば、熊野古道の旅は、山あり、海あり。
伊勢路においては、人にほとんど出会うことなく、街の煩わしい喧騒にも触れることなく、いにしえの古道にどっぷりと浸かる静かな旅を過ごすことができたことが、この旅を印象付ける何よりの収穫だった。
中辺路の旅でもお世話になった、新宮の安宿の女将さんは、ザックを背負った私の顔を覚えていて、
「終わったみたいだね(熊野古道)」
「お風呂沸いているよ」
まるで自分の家に帰ってきたような心地よさに、幸せを感じる旅の終わりだった。
(2024.12.27記)

探検レポート407

※画像上/石畳が残る馬越峠へ登る伊勢路の道。熊野古道を象徴する風景だ。12月14日、三重県紀北町
※画像中/昔は酒屋をやっていたというキリンビールの看板が残る中辺路の民家。今は外人ハイカー相手のゲストハウスになっていた。9月27日、和歌山県田辺市
※画像中/中辺路の展望台、高原霧の里休憩所からの風景。山里の緑が目に鮮やかだ。9月26日、和歌山県田辺市
※画像中/名残りの紅葉を見ながら三瀬坂峠への道を歩く。12月12日、三重県大台町
※画像下/加田の集落から長島港を見る。9月13日、三重県紀伊長島町

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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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