琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート414 京都仁丹町名看板 完遂編

2026.1.14-15
京都府京都市


探検レポート414

外国人で溢れるオーバーツーリズムの京都。
新しい年が明け、久しぶりにやって来た京都駅の改札口は、観光客でごった返すいつもの混雑が消え、拍子抜けのような落ち着きがあった。
昨年10月の国会での高市総理の答弁が中国を刺激したことに端を発し、中国人の訪日客が減った影響を受けたのは間違いないようだ。
市内のオーバーツーリズムも少しは緩和されたようで、団体客を始めとして、大きなスーツケースをガタゴトと引きずる外国人も減ったようだ。
おかげで、ホテルの価格も下がって安く泊まれることになった。
今回のホーロー探検は、京都の仁丹町名看板の撮影が目的だ。
昨年5月に京都仁丹學會が主催した『仁丹町名看板ローラー作戦』に参加し、微力ながら仁丹看板の調査に関わらせていただいた。
6月に開催された報告会で集計された京都市内に残る仁丹町名看板の残存枚数は、519枚となった。
内訳は、昭和初期の琺瑯製が487枚、平成令和の復活バージョンが23枚、木製が9枚である。
昭和の終わりには1000枚を超える看板が残っていたという。
同会が2013年4月に行った第一回のローラー作戦では740枚の残存が確認されたことを考えると、年を追うごとに減少していることが見て取れる。
私は2005年から撮影を始めたが、加速度をつけて本格的に探し始めたのは2010年からだ。
2019年まで京都に足繁く通い、撮影した枚数は745枚となったが、もっと早く撮影を始めていればと思うと悔いが残る。
今回のローラー作戦に参加したことで、残存が確認された看板の場所をプロットした地図をいただけた。
これまでに撮影した看板と照らし合わせていくと、なんと42枚もの未撮影の看板があることが分かった。
これを僥倖といわずして何というのか。
自分としては仁丹看板の探検は2019年の探検をもって完了したつもりでいたが、また新たな思いで探検に取り組めることになった。
今回こそ、満を持しての【完遂編】である。

探検レポート414

▼1月14日
いつものように京都駅前でレンタサイクルを調達し、今にも雪が落ちてきそうな曇天の下、ペダルを漕ぎだす。
京都駅八條口から国道1号線が通る堀川通を北上し、西本願寺方面に向かう。
新幹線の高架を渡ると緩い登り坂となったが、すでにペダルを漕ぐ太腿に痛みが走り、それに連動するように膝も悲鳴を上げている。
電動にしておけば良かったかな…と思うが、もう後には引けない。 還暦をとうに過ぎた老骨に鞭打って、走るのみだ。
未撮影の42か所はコピーした地図にプロットしてきた。 二日間ですべてを回って撮影をしていく計画だが、そのルート上に看板があれば、すでに撮影済の看板でもできるだけカメラに収めていくつもりだ。
ローラー作戦に実際に参加して気づいたが、家屋のリフォームや取り壊しなどによって再度看板が貼られたりした場合、看板が貼られている位置が往々に変化している。
私が担当した京都駅から東のエリアにおいても、以前の位置より数メートルずれているケースもあった。
また、二日目に撮影した【東山区一橋宮ノ内町】の看板は、2010年に撮影したときには民家のトタン板が貼られた側壁面にあったが、今回の再訪ではまったく違う民家の玄関先に移動していた。
仁丹學會のSさんによると、この看板は3回にわたり移動したようだ。
定点観測をすることは、看板の保護保全に向けて基本的な活動といえるだろう。
京都仁丹學會の活動では、看板の残存状態以外にも「埋蔵仁丹」と呼ばれる民家などに保管されている看板もフォローしている。
埋蔵仁丹は100枚を超える数が確認されており、何かの機会に復活して看板がお目見えすることもあるのだ。
今後の私の探検は、こうした復活看板の情報をキャッチして京都に赴くことになるが、それ以外には数は少ないが平成や令和に入ってから新たに設置された看板も守備範囲となる。

探検レポート414

探検初日は西本願寺から堀川通を北上し、二条城から北野天満宮まで走り、折り返して京都御所を横目に京都駅に戻った。
未撮影の看板は地図にプロットされた場所通りに撮影できたが、北区紫明の木製看板と上京区堀之内町の2枚を見つけることができなかった。
後日、仁丹學會のSさんに問い合わせたところ、木製看板は民家側面の見つけづらいところにあり、さらに堀之内町の2枚にいたってはいずれもガレージ内にあることが分かった。
ガレージのシャッターが開いていなければ見つけることはできないので、こればかりは偶然の出会いを期待して運を天に任せるしかなさそうだ。
また、埋蔵仁丹の看板でどうしても撮影したいものがあった。
下京区の烏丸駅近くの喫茶店にある1枚だが、これまで3回にわたって撃沈しているといういわくつき。
いつ行っても休業中、または留守中の札が下がっており半ばあきらめていたが、今回はランチタイムを狙って訪店し、無事に撮影することができた。
残念だったのは、この店は飲み物主体で食事の提供がなく、店主にお願いして昼時にも関わらず、モーニングサービスでトーストを出してもらった。
ともあれ、ようやく目の上のたん瘤のような宿題を終えることができた。
薄暗くなった17時過ぎに初日の探検を切り上げ、予約した九条にあるホテルに到着。 自転車から下りると、体中の筋肉がガタピシと悲鳴を上げていた。
しかし、無情にもホテルには駐輪場が用意されておらず、仕方なくレンタサイクル店まで1㎞戻って預かってもらうことになった。
ビジネスホテルは4200円という激安料金でしかも朝夕2食付き。
大浴場の湯船に浸かると、全身の筋肉がそれこそ音を立てるように弛緩していくのを感じた。

探検レポート414

▼1月14日
ボリュームのあるバイキングの朝食を食べて出発。
自転車を預けているレンタサイクル店まで戻り、二日目の探検が始まった。
雲の切れ間から青空が覗いているが、風に乗った雪がチラチラと舞っている。
とにかく寒いので、昨日と同じくダウンジャケットにネッグウォーマー、ニット帽。 厚手のアウトドア用のパンツに、ユニクロのタイツを着用の防寒装備である。
昨日と同じく京都駅八條口から堀川通を北上し、二条駅のエリアへ。 そこからは京都御所から京都大学方面のエリアを回った。
京都市内は北上するにしたがい緩い登り坂となっていく。
電動自転車じゃなので、一番軽いギアにしてペダルを漕いでいくが、これではまったく進まない。 息も上がるし、足が攣りそうなほど筋肉を使う。
振り返ってみると、京都でホーロー探検を始めた2005年からレンタサイクルを使ってきたが、これほど体に応えたことはなかった。 やはり年には勝てない。
京都御所から鴨川を渡り、祇園エリアに入った。
周辺には未撮影の看板もいくつかあり、計画通りに撮影できたことが嬉しい。
事前に印刷してきた未撮影リストにチェックを入れていく作業にも張りが出る。
看板を撮影するにあたって、住人の方と何度か言葉を交わした。
盗難を恐れて、一階から二階の壁に貼り替えたお爺ちゃん。
玄関先を掃除をしていたお婆ちゃんからは、取り壊される隣の家屋から看板を譲り受け、自宅の壁に貼ったという話を聞いたりもした。
皆さんが仁丹看板を大切に思っていることが伝わってきた。
仁丹町名看板は京都の文化財といっても過言ではない。 100年の歳月を見守り続け、そこに住まう人たちとともにあるのだ。
数年に一回のローラー作戦で、看板の消失速度が少し緩やかになってきている傾向が見えている。
出版やメディア、イベント等でアピールを行っている京都仁丹學會の啓蒙活動が浸透してきたことも大きいようだ。

探検レポート414

この先も京都市全体やそれぞれの地域において、看板の保護保全の意識が盛り上がっていくことを期待したい。
しかし、八坂通にある料理屋の壁に貼られた未撮影の看板が消失していたのはショックだった。
ここは事前にGoogleストリートビューでも確認していたが、ほんの数か月の間に何らかの理由で消失してしまったようだ。
八坂の塔や清水寺に近いということもあり、京都市内でも一番の混雑エリアだが、私が撮影を始めた頃は看板はなかったので、一度復活したものが、また剝がされてしまったのだろうか。 その真相は分からない。
諦めきれずに観光客でごった返す人波を縫って何度も何度も店先を行ったり来たりしたが、やはり看板の姿はなかった。
少し失意を引きずって、インバウンドの観光客で溢れる東大路通を南下して三十三間堂に向かう。
ここからの京阪本線沿いも仁丹看板が多く残っているエリアである。
脚の筋肉ばかりでなく、腰から背中まで全身の筋肉痛に喘ぎながら、最後の力を振り絞ってペダルを漕いだ。
15時過ぎに二日間の探検を終えて、京都駅前のレンタサイクル店に到着。
未撮影の看板を38枚撮影し、撮影済の既存の看板を含めて145枚をカメラに収めることができた。
2005年から記録し続けてきた京都市内の仁丹看板はこれで783枚となり、まずは【完遂編】と銘打った今回の探検が計画通りに終えたことが嬉しい。
ひとえに、情報を提供していただい京都仁丹學會には感謝したい。
(2026.2.7記)

探検レポート414

※写真上~下/仁丹看板がある風景や京都らしい景色を切り撮った。1月14、15日
※宿泊/京都ユニバーサルホテル烏丸 二食付き4200円 二食付きで大浴場有のこれ以上ないパフォーマンス。部屋も快適☆☆☆☆☆

2026年探検レポートへ

Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


琺瑯看板探検隊が行く
SINCE 2005.3.17