琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート55 長野~群馬ひとり旅【後編】黄金バットとの出逢い

2005.8.28
群馬県甘楽町~高崎市~渋川市~東吾妻町~長野原町~嬬恋村~長野県上田市~松本市~安曇野市


探検レポート55

▼8月28日
幾層にも重なったどんよりとした雲が空を覆っている。一晩中降り続いた雨がようやく上がった。
寝不足のまま野菜ジュースをひと口飲んで出発。朝もやが陽炎(かげろう)のように揺れる国道254号線に沿って走る。
吉井町付近は古びた商店が軒を連ね、国道沿いにもかかわらず琺瑯看板は健在だ。群馬県に入ってよく見かけるのがナショナルやサンヨーの家電製品の看板。どれも大型タイプなので、遠くからでもすぐ分かる。
前橋市はサッと通過し、渋川市より本命の旧子持村を目指す。渋川市の中心近くで、看板屋敷を発見。しかし、にぎやかに付いてはいるが、じっくり見ると琺瑯製のメジャー看板は菅公シャツ、パラダイヤ、チオクタンの3品しかなく、私が勝手にルール化している4枚以上の規定に達せず、残念ながら看板屋敷として認定できない(笑)。
看板屋敷とレアものを求めて、どこからともなく漂ってくる肥料の匂いをかぎながら、国道353号線を北上する。
子持村に入ると町内掃除の真っ最中で、国道沿いには箒やチリトリを持った人がぞろぞろ。せっかくお宝を見つけても、これでは車を止めてカメラを向けられない。
旧赤城村方面に向かうとようやく人気もなくなり、看板をたくさん貼り付けた民家が眼に飛び込んできた。
通り越して50メートルくらい進んだ駐車帯に車を止めて向かう。一段と肥料の臭いがきつくなる。
玄関口には、ステテコ姿でしゃがんだおじさんが、遠くを見つめながら煙草をくゆらしている。 「こんにちは~、たくさん看板ありますね~。写真撮らせてもらえますか?」 「…?」 間髪入れずにいつもの言葉がぽんぽん出てくる(笑)。
「兄ちゃん、写真撮るだけじゃなくて、全部貰ってくれないか?あげるよ、全部」 「はぁ?」 結局、僕は看板をいただくことなく、全部をカメラに収めた。
この家には四方八方で7枚の琺瑯看板とたくさんのブリキ看板がついていた。
午後が近づき、さすがに疲れが出てきた。すでに距離メーターも500キロを超えている。休憩所で車を止め、眼薬をさしたあとストレッチ。

探検レポート55

今回の旅では、「なんで、こんなことしてるんだろう」との自問自答が続いている。
体調の変化により、モチベーションが落ちていることの反動が心をナーバスにしている。無性に家に帰りたくなった。
予定ではそのまま群馬県を北上し、新潟県の六日町経由で長野県野沢温泉に出、中央道で帰宅するつもりだった。
しかし、こんな気持ちでは無理だ。事故につながりかねない。 しばらく考えた末、赤城村に寄ってから再び子持村経由で、嬬恋村を目指すことにした。
大幅に縮小したプランだが、遠い岐阜県の自宅のことを考えると、無理もできなかった。
心機一転して、吾妻町、長野原町は国道沿いにお宝の姿を探す。探索眼が鈍ってきた影響で、集落をこまめに回るのが面倒になってきたこともあり、車を止めて集落の路地まで入る気がしない。
しかし現金なもので、モチベーションが上がるも下がるもちょっとしたタイミングのようだ。嬬恋村に入ったところで、いきなり昆ちゃんのオロCをゲットした。
それも黄金バットバージョンだ。食料品店の2階の軒下に付いている。琺瑯狩りの心配もないだろう。黄金バットは幸運なことに、看板探しを始めてから半年間ですでに3枚目のゲットである。いつまでも残って欲しいお宝である。
さて、黄金バットで弾みがついたのか、そこからはそれこそ鼻歌交じり(笑)。
「♪あの人の姿なつかしい、たそがれの河原町~、恋は恋は弱い女を…(以下略)」(京都慕情/渚ゆう子/1971年)。
ベンチャーズサウンドで有名な往年のヒット曲のCDを聴きながら、「今度は京都探検だ~!!」と、ひとり言をつぶやき、長野県真田町から上田市、安曇野を回って帰途に着いた。
蓋を開ければ、意外に収穫が濃かった走行距離780キロの二日間だった。(おわり)
(2005.9.9記)



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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