琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート82 春爛漫の瀬戸内の旅 広島遠征【後編】

2006.3.26
広島県東広島市~呉市~広島市


探検レポート82

今にも降り出しそうな天気の中、のぶ太郎さんの自宅を後にする。
前夜は酒を飲みながら情報交換し、楽しいひと時を過ごした。
東広島市は町村合併で巨大化した市であり、更に広島大学が移転してきたということで、広島市のベットタウン、学園都市としてにわかに脚光を浴びているようだ。マンション建設も盛んに行われていた。
お宝に目を向けると、じっくり探せばわずかながらも生息しているようである。愛知県に本社工場があるのに、中部地方ではなぜか見つからない「ノーシン」や、「加茂鶴」に代表される地酒看板はポイントが高い。
特に醸造元の門に貼られた「加茂鶴」の大看板には、よく見ると「昭和34東京熊本間張付」というロゴが入っており、往時は鉄道沿線沿いに、くまなく貼られていたことがしのばれる。
琺瑯看板を研究する上で、貴重な証言になるのではないだろうか。昭和34年といえば、僕が生まれた翌年であるが、モノ心ついたばかりの幼い頃の記憶の糸を辿ると、東海道本線沿線で、この「加茂鶴」の真っ赤な看板を見たことがあるような気がしてくるのが不思議だ。
呉市に移動し、公開されたばかりの映画「男たちの大和」の人気にあやかって、人でごったかがえす大和ミュージアムや潜水艦が浮かんでいる呉港の前を通り、いよいよ倉橋島に入った。

探検レポート82

今回の探検でどうしても立ち寄りたかった島である。 普段は渋滞するという音戸大橋をすんなりと通過し、海岸線に沿った小さな集落を探検していく。曇天ともあって海は鉛色にくすんでいるが、瀬戸内海らしく穏やかな海だ。潮の香りが何とも言えず、心地よい。
倉橋島の先端までのんびりと巡った。ここでは何よりもうれしかったのが、「カクイわた」のねんねこ看板との遭遇だ。
広島県以西でしか見ることが出来ない看板だが、なんといってもデザインが優れている。ホーロー看板の中の代表選手といってもいいぐらいのインパクトがある。
更に倉橋島では、広島に来たからにはどうしても食べたかったお好み焼き(広島焼き)を食べた。何でものぶ太郎さんによると、のれんをつつましくかけた古く小さな店が狙い目らしい。その上に焼いてくれるのはおばさんかおばぁちゃん、更にソースはオタフクソースでなければいけないという。
倉橋島から呉市内に戻る途中の小さな集落で、のぶ太郎さんの厳しい条件にぴったりの店が見つかった。早速入ってみると、小さな鉄板を囲んで年季が入った古い長椅子があり、壁際には待合用の椅子が置いてある。
「肉玉そば」二つとと肉が苦手な副隊長のあんもん用に「イカ天そば」を注文し、待合用の椅子に座って待つ。
この道27年というおばさんは、手際よく焼きソバを炒め、食欲をそそるオタフクソースで味付けしていく。ソースが鉄板にはじける香ばしい匂いに、僕の鼻腔は「ぐぅ…」「たまらん」と反応していた。

探検レポート82

この店のお好み焼きは、焼きそばをたまごを引いた薄い生地でくるんで、オタフクソースをたっぷりとかけ、青ネギをまぶすというシンプルなものだったが、まるで焼きそばとお好み焼きを一緒に食しているような不思議な食感だった。ボリュームも充分でうまかった。
お好み焼きに満足して、午後からは再び呉市を回り、広島市に向かって走った。交通量が増えて、渋滞も始まったが、看板探しには渋滞はあまり関係ない。ひたすら脇道と路地の探索である。
ここでも僕ら探検隊の出る幕はあまりなく、のぶ太郎さんの案内で看板を撮影させていただいた。 午後3時を回り、広島市内の探検を最後に、二日間のゴールとなった。
振り返ってみれば、撮影枚数250枚を超えた大量収穫となった。これも一重に私たちおっさん探検隊を親身になって案内していただいたのぶ太郎さんのおかげであり、持つべきものは同じ“匂い”を感じる「琺瑯仲間」であると、強く感じた二日間であった。
のぶ太郎さん、ありがとう!(おわり)
(2006.4.12記)
※画像上/倉橋島で食べたお好み焼き。おばちゃんが一人でやってる店。焼そばとイカ天を入れるのが正統派。
※画像中/広島県倉橋町室尾の港風景



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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