琺瑯看板探検隊が行く

ホーローの旅

レポート84 春真っ盛り、梅桃桜満開の静岡探検②

2006.4.9
静岡県掛川市~森町~磐田市~浜松市~長野県飯田市~岐阜県恵那市


探検レポート84

飽きもせず2日連続の静岡探検である。朝8時過ぎに自宅を出て、昨日と同じように東名から袋井インターに向かう。
最初の目的地は掛川市内にある仁丹屋敷だ。袋井インターから国道1号パイパスに入り、ユニ・チャームの工場を目印に走ると、新幹線の車窓からいつも眺めていた目的の屋敷はすぐに見つかった。
岐阜県の自宅を出てからちょうど2時間後、のどかな田園風景の中にぽっかりと浮かんでいるかのように見える、鮮やかな仁丹が貼られた屋敷の前に立った
。お宝は何十年もの間この風景の中で同化してきたのだろうか、ごく自然に溶け込んでいるのが不思議だった。
ツクシがびっしりと生えた田んぼのあぜ道から何枚か写真を撮り、名残惜しむように屋敷を後にした。 次の目的の看板酒屋に向かう。
静岡県を中心に琺瑯看板を紹介している某サイトにも取り上げられているが、掲載画像を見た限りでは、ひょっとしたら静岡県を代表する看板商店のような気がした。
確かに、目的の建物の前に立ったとき、少なからず驚きがあった。現在は倉庫として使われている建物に、静岡県の地酒を中心にびっしりと貼られていた。
地酒の「曽我鶴」が全部で13枚、醤油やワインも貼られている。店主に聞くと、倉庫を修理する際に、「マルカン酢」や地酒の酒看板を撤去してしまったという。勿体ない話だ
。更に、私たちのようなホーローマニアが訪ねてきては、断りもなく勝手に写真を撮っていくらしい。どうやら地元では有名な看板酒屋のようだ。
さて、これからどうするかだが、地図を眺めてコースを練る。僕の探検はいつも行き当たりばったりだが、入念にコースを考えても琺瑯看板を探すとなると、やはり道草主体に適当に走るのが一番発見頻度が高いようだ。
とりあえず北上し、森町を目指す。「寿司くいねぇ、神田の生まれよぅ」で有名な清水次郎長の子分、遠州森の石松の町と言ったらお分かりだろうか。

探検レポート84

森町は古い町並みも随所に残っているが、お宝の姿はほとんどなく、地酒看板をゲットしただけに終わった。なだらかな斜面に広がる茶畑を見ながら、豊岡村から天竜市(現・浜松市)に向かう。
豊岡村で肥料看板をゲットするが、昨年6月にも訪れた天竜市ではオロC一枚だけであとは空振り。さすがに静岡県だけあって、お宝の棲息率は低い。 天竜川に沿って北上を続け、ようやく旧龍山村の集落で地酒看板をゲットできた。
ここより更に北上し、佐久間町から水窪町に入った。 実は、水窪町は以前からぜひ訪れたかった町だ。信州から遠州につながる信州(秋葉)街道の要所であり、清流と山々に囲まれた桃源郷のようなイメージがあったからだ。
しかし、実際に訪れてみると、私が思い描いていた、時間が止まったような昭和の町並みにはほど遠く、木造家屋は建替えられ、商店街は俗化され、昭和の名残りを探すのもひと苦労だった。
来るのが10年遅かったか…。
カミさんから借りてきたトヨタ・ヴィッツは1000CCながらも絶好調で、草木トンネルからヒョー越林道を快適に走る。
兵越峠から九十九折の林道を下るとそこは長野県南信濃村、遠山郷と呼ばれる山里だった。 山登りをしていたとき、南アルプス南部の山へのアプローチとして何度か通った村だが、昔日の面影はなく、町並みもすっかり新しくなっていた。
しかし、取り囲む山々は不変である。今が盛りの山桜や、濃い紅色のツツジを眺めながら、自宅まで残り100キロの道のりをのんびりとハンドルを握った。
(2006.4.23記)
※画像上/森町の町並み。狙いのホーロー看板はほとんど残っていなかった。
※画像下/新幹線の車窓から見える仁丹屋敷。屋敷の前に立ってみると、意外に小さな建物だった。しかし、発するオーラは凄かった。



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Profile

つちのこプロフィール
つちのこ
岐阜県在住。
歩き旅とB級グルメの食べ歩きが好きな定年オヤジです。 晴耕雨読ならぬ“晴読雨読”生活に突入し、のんびりとした日々を送っています。
2020年には、少年のころからの夢だった、北海道から鹿児島まで日本列島を徒歩で縦断。
旅の様子はブログ『つちのこ更新日記』で発信中です。


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