看板商店 愛知県編
NO.1
▼レポート12
▼2005.3.7撮影
▼歴史を感じる肥料店。50メートルに渡って建物が軒を連ねる。大型の肥料看板が3枚貼られていた。
NO.2
▼レポート13
▼2005.3.8撮影
▼名鉄須ヶ口駅前にあるつり道具屋。夕焼けに染まった看板が昭和30年代のレトロな雰囲気を出していた。
※2枚の看板は西枇杷島町の美濃路に移された。(2012年2月確認)
NO.3
▼レポート14
▼2005.3.12撮影
▼交通量が多い旧国道沿いにあるくすり屋。廃業しているようだが、「イルガピリン」の黄色が鮮やかに目立っている。
NO.4
▼レポート14
▼2005.3.12撮影
▼国道沿いの肥料店。「サムとハイグリーン」の赤い看板がよく目立つ。棟続きの塀にも肥料看板が3枚貼られている。
NO.5
▼レポート32
▼2005.3.12撮影
▼旧道の辻で突然出合った酒屋。二階の軒には「コタバ」と読む戦前のたばこ看板がかかる。
NO.6
▼レポート47
▼2005.7.24撮影
▼海べりの町で見つけた肥料屋。ポストが古いタイプじゃないのは残念だが、経年した建物も素晴らしい。
NO.7
▼レポート47・レポート385
▼2005.7.24/2022.12.8撮影
▼「シキシマ」は半田市の地酒。店の前に積まれた酒ケースがいかにも酒屋らしくていい雰囲気を出している。潮の香りが風に乗って微かに漂うロケーションだ。
※2022年12月7日再訪、すべての看板が残っているのを確認
NO.8
▼レポート56
▼2005.9.11撮影
▼山間の村でポツンとたたずむよろず屋。「アカマルみそ」は小さな短冊看板だが、よくぞ見つけたというロケーションだった。
NO.9
▼レポート71・レポート213
▼2006.1.15/2009.3.28/2010.1.17撮影
▼東浦町の古い町並みが残る一角にある造り酒屋、野村酒造。「幸娘」というネーミングもいい。
※2009年5月、廃業により更地になった。
NO.10
▼レポート71
▼2006.1.15撮影
▼車一台がようやく通れるような狭い旧街道筋の食料品店。思ったとおり看板がかかっていた。
NO.11
▼レポート71
▼2006.1.15撮影
▼味噌醸造元。鉄板の扉の奥はどうなっているのでしょうか。気になります。
NO.12
▼レポート74
▼2006.2.4撮影
▼年季が入った履物屋。地元商工会の短冊看板がさりげなく貼られていた。
NO.13
▼レポート75
▼2006.2.11撮影
▼廃業した薬局。すぐ隣には年代モノの履物屋が軒を並べている。
NO.14
▼レポート75
▼2006.2.11撮影
▼この店のペプシコーラは、これまで一度も遭遇したことがないタイプ。傾いているテントシートもいい味出している。
NO.15
▼レポート106
▼2006.7.22撮影
▼古い町並みが残る一角で見つけた金物屋。この店は昭和30年代からずっとそのまま経年してきた貫禄があった。いつまでも残って欲しい。
NO.16
▼レポート116
▼2006.12.16撮影
▼向いは海。潮風に耐えながら残った商店。廃業しているが、中を覗くと、洗剤や菓子の残骸が転がっていた。よろず屋だったのであろうか。武豊町に醸造元があるイヅマン醤油の看板がなかなか渋い。
NO.17
▼レポート134
▼2007.8.14撮影
▼「清酒萬乗」を作っている萬乗酒造。1791年の創業。このあたりでは一番古い蔵。レンガ煙突が素晴らしい。
NO.18
▼レポート139
▼2007.9.22撮影
▼すでに廃業しているようです。よく見るとレアもの看板が2枚。地元三河の醸造元・川上酢店の調味料。
NO.19
▼レポート139
▼2007.9.22撮影
▼廃屋状態になった商店。よろず屋だったのだろうか。目に鮮やかな赤地のアデカ石鹸と、家の光が貼られていた。
NO.20
▼レポート181
▼2008.9.24撮影
▼名古屋のど真ん中にぽつんと残った店。以前は自転車屋だったようだ。その名残が看板だけになって残っていた。「井上のタイヤー」はタイヤのイラストが描かれた珍しいバージョン。長野県で2005年に見つけて以来2例目。「ダンロップ」は初見です。
NO.21
▼レポート188
▼2008.9.28撮影
▼古い町並みに残る創業100年を越えた米屋。坂東英二の「そこ知りリサーチ」という東海地方のローカル番組でも紹介された。店番のおばさんがきさくだった。
NO.22
▼レポート188
▼2008.9.28撮影
▼9枚の肥料看板が貼られた商店。山積みされたパレットで左の看板が隠れているのが残念です。
NO.23
▼レポート190・レポート240
▼2009.4.5/2010.12.23撮影
▼以前は商店だったのだろうか。この地方で見るローカルメーカーの看板が並んでいる。イチビキとマルサンはともに愛知県の醸造メーカー。
NO.24
▼レポート190
▼2009.4.5撮影
▼すでに廃業しているが、愛知県を代表する看板商店といえそうだ。塩とたばこ看板を含めると、8枚の看板が下がっている。サミゾチカラ著「ホーロー看板に見る広告文化史」の口絵に掲載されている商店。
※2010年8月、塩の看板以外すべて消失(撤去?)しているのを確認。
※2022年12月、建物が無くなっているのを確認
NO.25
▼レポート190
▼2009.4.5撮影
▼廃業して自販機だけ置かれた商店。新城市の日野屋商店の銘柄である「朝日嶽」の電飾看板が掛かっている。ホーロー看板は2枚が貼られている。再訪再撮影。
NO.26
▼レポート207
▼2009.4.28撮影
▼都心の住宅地にぽつんと建つ年季が入った建物です。そこだけが昭和30年代の匂いに包まれていました。酒看板は、昭和の終わり頃に廃業した木曽川町の田中酒造の「瑞華」です。
NO.27
▼レポート207
▼2009.12.13撮影
▼よろず屋のようです。もちろん営業していました。正面にはクラウンコーラの巨大看板、そして酒看板とコカコーラも看板がありました。酒は津島市の鶴見酒造の銘柄「カミツル」でした。
NO.28
▼レポート213
▼2010.1.17撮影
▼国道沿いで見つけた商店。これまで全く気づかなかった。工務店のようです。正面のトタンの外壁に7枚の看板が貼られていました。土入器はスコップの親類のような器具で、農機具またはカナモノに分類します。コンロの看板は残念ながら褪色が激しく判読できません。
※投稿者のTOTさん情報によると、判読不明のコンロは「オクサンコンロ」ということでです。
NO.29
▼レポート236
▼2010.9.18撮影
▼店内に入ると時間が止まったような空間。博物館の中にいるような心が躍る時間を感じました。この店にはアイドルの販促ツールばかりか、古い看板がところ所狭しと並んでいます。中将湯の看板は大正から昭和初期のものかと思われます。
NO.30
▼レポート249
▼2011.1.30撮影
▼これまでまったくノーマークの脇道で見つけたレトロな商店。入口に2枚の看板がありました。「カネニ味噌」は愛知県碧南市にあった杉治株式会社の銘柄だと思われます。平成20年に休蔵しています。初見。
NO.31
▼レポート249
▼2011.1.30撮影
▼年季が入った金物屋。店内に入ると、ずらりとレアな看板が掛けられていました。メタルラスは、外壁や軒裏をモルタル塗りで仕上げる場合、下地に張り巡らすスチール製の金網のこと。(TMさん情報)。
NO.32
▼レポート249
▼2011.2.6撮影
▼古い町並みがある一角で見つけた燃料を扱う商店。店のご主人が看板を店先に並べてくれました。「トヨダ煉炭」これは初見です。デザインもなかなかです。全体的に赤が多いのは、火を表しているからでしょうか?
NO.33
▼レポート272
▼2012.12.22撮影
▼年季が入った酒屋。地酒の看板は全部で5枚。中でも「優等清酒白楽天」「清酒大勲」「牡丹焼酎」といういずれも初見の看板が残っていました。(「まるかど日記」のまささん情報)。
NO.34
▼レポート310
▼2014.8.14撮影
▼元は金物屋だったのでしょうか。工具と電球の看板がありました。(ぞうまささん情報)。
NO.35
▼レポート373
▼2020.3.1撮影
▼民家の倉庫にずらりと並んだ看板。すでに廃業しているようですが、元は石油販売店だったようです。油つながりでレアな香油の看板もありました。
※一般の民家につき外観の画像は掲載しません。
NO.36
▼レポート385
▼2022.12.8撮影
▼武豊町の老舗醸造元、中定商店の蔵。創業140年を誇る。蔵と併設する資料室には醤油の看板や工場で使われていた標語看板が保存してありました。
NO.37
▼レポート395
▼2023.9.13撮影
▼古い街並みが残る一角で見つけた肥料屋。5枚の看板が並んでいます。道路を隔てて白壁の巨大な土蔵も建っていました。
NO.38
▼レポート395
▼2023.9.13撮影
▼マルエイ完全飼料が貼られた重厚な建物。肥料屋さんのようです。店内にもずらりと看板が並んでいました。